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第六十二・五話 パーキンのチェリーブロッサムノート

第四章 調香師との出会い パーキン編 番外 になります。

ネタバレはありません。

本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪

(今回の第六十二・五話は、六十三話の補足的なお話です。)

 パーキンは、コーヒーを口に運んで、深いため息をついた。

 キングスコロンの経営は順調で、化学的なアプローチから香料を生成する実験も成功を重ねている。

 これ以上ないほど順風満帆(じゅんぷうまんぱん)

 だが、パーキンは現状に満足できなかった。


 パーキンは引き出しから、自らが作ったチェリーブロッサムの香水瓶を取り出す。見た目にもこだわり、最高傑作(けっさく)だ、とさえ思った代物(しろもの)である。

 ――マリアの作った香りに出会うまでは。


 ◇◇◇


 パーキンのもとに、王妃様からの小包が届いたのは春の訪れを体感できるようになったころである。

 受けない、という選択肢はなかった。

 それまで、貴族の嗜好品(しこうひん)として扱われてきた香水を、なんとかして大勢の人に届けたい、というキングスコロンの方針が――パーキンの思いが、ついに(むく)われたのだ、とさえ思ったほどである。


 パーキンはさっそく、箱を開け、中に入っていた小さな瓶に手を伸ばした。

 桃色の花。

 何かに漬けられているようで、花の形はほとんど保っていなかったが、独特の苦みと甘みの混ざったフローラル調の香りがした。


 バニラとも違う、柔らかで繊細、それでいてツンと鼻に刺すような香り。


 異国の香りを閉じ込めたその花に、パーキンの心はすっかり(うば)われた。

「今すぐ、この香りを作りださなければ」

 パーキンは、(あわ)てて工場へと走り、それからは実験室にこもりきりの生活が続いた。寝食を惜しんで、チェリーブロッサムの解析を行い、同時にたくさんの薬品を合成しては、香りを再現しようと試みた。


 パーキンが、このチェリーブロッサムの香りを構成している最も重要な成分を作り出すことに成功したのは、彼が実験室にこもってから二週間が経過したころであった。

「……これだ!」

 ほとんど徹夜続きで、数秒でも目を閉じようものならぐっすりと熟睡できる、という状況にあったパーキンの目が()える出来栄え。

 パーキンは目元にクマも、口元にヒゲを残したまま、その香りを慌てて瓶へと保管した。


「次は、パッケージだ」

 王妃様に献上(けんじょう)するものである。できるだけ美しい見た目に仕上げなければ、とパーキンはその場にあった紙の裏にペンを走らせる。

 デザイナーを待つ時間も惜しかった。


 部下たちに瓶を作らせている間、二日ほどパーキンは泥のように眠った。

 そうして、ようやくチェリーブロッサムの香りを完成させたのが、王妃様からの依頼を受けてから三週間後のこと。

 美しい香水瓶に、自らの手で作り上げた完璧なまでのチェリーブロッサムの香り。

 パーキンは誇らしい気持ちであった。


 ◇◇◇


 引き出しの奥から、マリアの作ったチェリーブロッサムの香りを取り出して、パーキンは苦笑する。

「あの時の私は、化学者としては素晴らしかったかもしれないが……調香師としては、失格だったな」

 まさかこの年になって、あの若さの女性から教えられることになろうとは。

 パーキンはそっと、マリアの瓶のフタを開ける。


 チェリーの甘酸っぱい香りがふわりと漂ったかと思えば、それを追いかけるように柔らかなフローラル調の香りが続く。けれどそれらは決して喧嘩(けんか)することなく、むしろ、より芳醇(ほうじゅん)で繊細な香りへとそれぞれを引き立てあう。

 くどくないのは、ほろ苦いグリーン調とウッディ調の香りが全体をしっかりと支えているからだろうか。

 甘すぎず、穏やかに、優雅に。


 チェリーブロッサムの香りと全く同じものか、といえば答えはノーである。

 だが、マリアの香りは、初めてチェリーブロッサムの香りを()いだ瞬間のときめきや、異国への憧れを思い出させる。自然と心が高揚(こうよう)し、気づけばうっとりと、春に咲くチェリーブロッサムの花へと思いをはせてしまうのだ。


 調香のセンスや知識だけでなく、調香師としての気遣い、他人への思いやりがあふれている香り。

 どれほど、相手を思いやり、真剣に向き合えばこうなるのだろうか、と不思議なくらいに。


 マリアに出会って、パーキンは確信した。

 彼女でなければ、この香りは作れなかった、と。

 完敗だった。


 パーキンは瓶のフタをしっかりとしめ、自らの香りと一緒に引き出しの奥へとしまう。

「初心忘るべからず、か」

 パーキンは、ふっと口角を上げた。

「マリアと、仕事をする日が楽しみだな」


 窓の外に映る夕暮れは、まるでチェリーブロッサムの色をどこからか連れてきたかのように、柔らかなピンクであった。

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