第五十二・五話 小さな村の大火事
第三章 王城編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第五十二・五話は、五十二話の補足的お話。ケイが騎士団に所属するきっかけとなったお話です)
ケイは、ハザートの屋敷から持ち帰った小さな箱を、自らの机の上に置いて眺めた。
「これは一体……」
明らかに怪しいものだが、うかつに触って何かが起きてからでは遅い。ハザートの家から、騎士団本拠地までもかなり気を使って運んだのだ。
その間、箱を観察しては見たものの……結局のところ、その箱が一体何なのかはわからなかった。
――嫌な予感がする。
ケイにわかることはただそれだけである。それも、人間の本能というべきか……騎士団としての直観が、ケイにそう告げているだけだった。
ケイは、その箱を一度、厳重に引き出しへとしまって、書庫へと向かう。
この国で起こった事件や事故、騎士団が少しでもかかわった過去の出来事をアーカイブした資料を閲覧するためだ。
「ハザート……財務大臣補佐の男……。確か、中流貴族の出で、両親も、国に仕えていたか」
ケイはぶつぶつと独り言をこぼす。どうにも、気に食わない。
「中流貴族だが、土地はもたず……両親の代で確かようやく中流貴族として成り上がったはずだが」
治安のよいこの国でも、不穏分子というのは存在するものである。今でこそずいぶんと聞かなくなったが、身分の違いによる軋轢がなくなったわけではないし、少なくとも階級はいまだ存在している。
「上流貴族になるためには、土地が必要、か」
それは、ケイの記憶にこびりついた、恐ろしい過去。
あくまでも噂であり、真実のほどは定かではないが……どうしてもうがった見方をしてしまう。
「いや、早計すぎる……。一度、調べてから団長のもとへ行こう」
ケイははやる気持ちを抑えて、長い廊下を歩いた。
◇◇◇
ある夜のことだった。
大きな実に、小麦の穂がこれでもかと垂れていた。収穫間近だ、とケイは自らの家の前に広がった小麦を見ていた。
美しい満月が小麦を黄金色に染め上げ、気持ちの良い夜であった。
そんなケイが、村の異常に気付いたのは、どこからかくすぶった香りが風にのって運ばれてきたからである。
最初は、村のはずれに住む爺さんが、焚火でもしているのだろうと思った。
(あそこの爺さんは、近頃少し……)
ボケているからな、と口に出さなかったのは、ゆっくりと灰に濁った煙が空へと吸い込まれていく様に、胸騒ぎがしたからだった。
「山火事か!?」
気温が高く、空気の乾燥しやすい季節にはままあることだった。ケイは慌てて走り出し、村の中心にある鐘を打ち鳴らす。
異常があれば、この鐘を鳴らせ。
村で最初にならうことだが、まさかそれを自らが鳴らすことになろうとは、ケイも思ってもみなかった。
「何事だ!?」
「わからん! 山火事か、爺さんの家の方だ!」
ケイはてきぱきと指示を出し、そしてまだ姿の見えない村人たちを助けるために奔走した。
火の勢いが止まることはなかった。
どういうわけか、火の回りは早く、あちらこちらにチラチラと鮮烈な赤が目に映る。
立ち込める煙はケイの思考を奪おうと牙をむくが、ケイも、ここで倒れるわけにはいかない、とそれらを振り切るように走る。
いつしか、轟々と燃え盛る火の手が、村中のあちらこちらに上がっていた。
夜のとばりが下り、小麦畑に燃え移った炎がやけに輝かしく見えるほどに。
「早く非難しろ! このままだと家ごとさよならだ!」
ケイは村の中でも最も力と度胸があり、冷静で、頭の回転が速かった。とにかく全力を尽くして、村中の人々をかき集め、そして命を守った。
もちろん、ケイだけではなく村の男たち総出で火消しにあたり、人命を救助し、村は最悪の事態を逃れたが、ケイの心中にはざわざわと嫌な予感が残っていた。
それは、今までのケイの人生で初めての感覚。まだ、終わっていない。そう告げる本能に、ケイは従った。
「すまない、少し様子を見てくる」
ケイは、火消しをする村人たちの横を通り過ぎ、最初に火の手があがった場所へと走り出す。村は業火に見舞われていたが、ケイはその足を止めることはなかった。
村ではちょうど、そのころ、土地を欲している貴族の男の噂でもちきりだった。
ケイの耳にもそれは届いてきており、近くの村でも最近不審火があった、と聞いたばかりだったのである。
近くの村では、火を放つ男の姿を偶然にも目撃した人間がいたそうだ。その人間を捕まえることはできなかった。火消しをしなければならなかったからである。
だが、その判断が功を奏し、火の手が上がる前に消し止めたおかげで、村としては大事には至らなかったそうだ。
(もしや、今回も……)
ケイは迫りくる炎をもろともせずに進む。足の速さには自信があったが、風と火という自然の猛威には勝てなかった。
「お前!」
暗闇の向こう側、森の奥に男の影が見えたような気がして、ケイが声を上げる。
だが、次の瞬間、ケイの前をふさぐように、炎によって倒壊した家の柱が倒れこんだ。
「くっ!」
男の影は闇に消え、森がざわめいた。
――ケイは、男を見失った。
ハザート、という男の名前があがったのは、騎士団により村の復旧の手が差し伸べられたころである。
火のないところに煙はたたない、というのはよくできた言葉であるが……結局、証拠が出てくることはなかった。
◇◇◇
ケイは、自らの、小さな村の大火事についての報告書を読み終え、ため息をつく。
(あるはずがないんだ……証拠なんて……)
ケイは三日三晩、寝ずに探し回ったが、それらしいものは何一つとしてなかった。
結局、この事件は、山火事として処理された。
ケイは、といえばこの事件がきっかけとなり、騎士団にスカウトされた。
村人を守れたことは誇らしいが、男の影を追うことのできなかったケイは、もっと強くならなければ、と入団を志願した。
それ以来、何か変われただろうか、と自分自身を見つめなおす。
数々の騎士団の人間と出会い、己の弱さに向き合い続けてきた。鍛錬を怠ったこともない。シャルルという男に出会い、武術だけではだめだと、勉学にも一層励んだ。
彼なら――シャルルなら、あの男を捕まえられたかもしれない。
そう思う自分自身が悔しく、そして、いずれそんな自分を乗り越えなければならない、とケイは強く思う。
もっと、強くならなければ。
ケイは自らのこぶしを固く握った。




