第四十一・五話 二度目のレッスン
第三章 王城編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第四十一・五話は、第四十話と第四十一話の間、二度目の調香レッスンのお話になります。)
ディアーナは、朝からソワソワと落ち着かない様子であった。
「ねぇ、変じゃないかしら?」
かわいらしいミントグリーンのワンピースに身を包み、グリーン調のさわやかなハーブの香りを纏ったディアーナに尋ねられ、メイドはうなずく。
今日は、マリアとの二度目のレッスンである。
先日、マリアから香りの基本となる七つの香りを教えてもらい、ディアーナはさっそく実践に移している。だが、メイドや執事はもちろん、両親もディアーナには甘いので、ディアーナが身にまとっている香りは、本当にディアーナに相応しいものなのかどうか、ということはあてにならない。
その点、プロの調香師であるマリアの意見があれば、少しは自分の見立てにも、自信が持てるというもの。
ディアーナは、ノックされた扉の音に目を輝かせ、それからハッと我に返って、咳ばらいを一つ。
「お入りなさい」
メイドが扉を開けば、そこにはマリアが立っている。
「こんにちは、ディアーナ王女」
ディアーナはすぐにでもマリアに駆け寄りたい気分をぐっとこらえて
「よく来たわね」
ディアーナなりの精一杯の大人の余裕で答えた。
「あら? 今日は、ハーブの香りですね」
さすがはマリア。鼻がいいのか、ディアーナの前に腰かけると同時に微笑む。
「ど、どうかしら?」
先ほどまでソワソワとしていたディアーナの様子を知るメイドは、思わず表情をほころばせてしまうが、ディアーナはそれに気づいていない。
マリアは、小さくうなずいて
「素敵です、ディアーナ王女。ドレスの色にもぴったりですし、今日はいつもより気温も高いですから、ハーブのさわやかな香りも、清涼感があって」
と実に調香師らしいコメントである。
王城から今日は一歩も外に出ていないディアーナにとって、気温は完全なおまけだが、
「そ、そうでしょう!? 私くらいになれば、これくらいどうってことなくてよ」
と勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
内心で安堵して、ちらりとマリアを見やれば、マリアは嬉しそうにディアーナを見つめていて、それがなんだかくすぐったかった。
「それじゃぁ、今日も香りのレッスンを始めましょうか」
マリアはカバンから三つの瓶を取り出して、再びディアーナの前に並べる。
「今日は三つ?」
「えぇ、今日は、香りの持続時間についてお話しますね」
ディアーナはさっそく、紙の束とペンを並べる。今日も、やる気はばっちりのようだった。
「種類によって、香りのする時間が違うんですよ。正確に言うと、揮発時間、と言いますが、どの程度香りが長持ちするか、どの香りを最初に感じるか、といった具合で」
ディアーナはさらさらとペンを動かしていく。マリアも、ディアーナのメモを見ながら、ゆっくりと話を進める。
「例えば、今日ディアーナ王女がつけているハーブ系の香りは、トップノート、と呼ばれるものが多いです。もちろん、そうじゃないものもありますが……」
「トップノート……。最初に香りを感じられる、ということね?」
「簡単に言うと、そうですね。数時間もたつと、香りが消えてしまうものが多いですが、その反面、フタを開けた瞬間に鼻に抜けてくる香りです」
なるほど、とディアーナはうなずく。
確かに、朝この香りを身につけ、昼前には薄くなってきた、と先ほど香水をつけたしたのである。
マリアが一つ目の瓶のフタを開けると、ふわりと軽やかなシトラスの香りがする。
「シトラス系ね?」
「正解です。シトラス系も、トップノートのものが多いです。最初に感じられますが、あまり長くはもちません」
ディアーナは、ふむふむ、とペンを走らせていく。
「二つ目は?」
「こちらは、ベースノートです」
ディアーナに促され、マリアは香水瓶のフタを開ける。
深い木々の香りと、濃厚な甘みがディアーナを包む。大人っぽい香りで、後ろ髪をひかれる、というのだろうか。ディアーナの寝室に現れる母親の香りにも、どこか似ている気がする。
「ベースノートは、トップノートの反対で、一番長い時間、香りが持続します。その分、最初には感じにくい、という方もいらっしゃるみたいです」
「それじゃぁ、朝に香水をつけて、夜に香るのはこの香り、ということ?」
「そうですね。たいていの場合、香水はこのトップノートからベースノートまでをうまく調合して、香りの変化が楽しめるようになっていますから」
ディアーナは興味深そうに、香りを楽しんでいる。
(朝と夜で、お母さまの香りが違うのは、気のせいじゃなかったんだわ)
ずっと不思議に思っていた。日中、母親と会うときは、ほんのりと優しい花の香りがしているのに、ディアーナにおやすみの挨拶をする時の母親の香りは、もっと濃厚で甘く、ディアーナを温めてくれるような香りなのだ。
香水を変えているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「香りの秘密がわかったわ!」
ディアーナは嬉しそうにペンを置くと、最後の瓶に目を向けた。
「それじゃぁ、これは、ちょうどその真ん中、ということね!?」
ディアーナは瓶のフタを開ける。
「ふふ、さすがです。ディアーナ王女」
飲み込みも早ければ、勘もいい。王様と王妃様の教育のたまものであろうか。
優しいフローラルな香りが、あたりいっぱいに漂って、マリアはうっとりと目を細めた。
ミドルノートは、香水の要。香り全体を印象付ける大切な香りである。
「花の香りは、ミドルノートなの?」
「ミドルノートになるものが多い、というのが正解ですね。ハーブ調のものや、ウッディ調のものでも、ミドルノートのものはたくさんありますし、逆もまたしかり、です」
ディアーナは、へぇ、とペンを動かした。
「香りの種類だけじゃなくて、時間まで考えて作られているのね」
ペンを置いて、ディアーナは感心したように息を吐く。
「それも、たくさんの種類の香りがあって……大変ね」
ディアーナには気が遠くなりそうな話だ。マリアから先週渡された七つの香りを使い分けるだけでも緊張してしまうのに、それらを組み合わせているのだから。
マリアは「そうかもしれませんね」と、まるで他人事とでもいうようにのんびりと相槌を打った。
「だからこそ、やりがいもありますし、楽しいのかもしれません」
何百、何千とある香りの組み合わせは無数にある。だが、だからこそ、そこからたった一つ、これだ、と思える香りに出会えた時の喜びは、計り知れない。
「これは祖母の受け売りですが……」
マリアはどこか遠くを見つめた。ディアーナはそんなマリアの姿に、思わずペンを握る。一言一句、聞き逃してはならない。そんな気がする。
「香りは、人の記憶と深いかかわりがあるそうなんです。調香師とは、そういう人の、過去の記憶を思い出させたり、これから先の未来を彩ったりしてくれる香りを作るお仕事です」
「素敵なお話ね」
ディアーナの相槌に、マリアも柔らかに微笑む。
「もちろん、すごく大変ですが……そういう香りを作って、たくさんの人とつながれることが、私にとっては嬉しいことなんですよ」
ディアーナは、マリアから漂う甘く、優しい花の香りに、きゅっと胸が締め付けられる。マリアは照れ臭そうに
「なんて、生意気でしたね」
とはにかんだ。
国を守ること。国民たちを守ること。
何より、国民たちを笑顔に、そして幸せにすること。
それが王女ディアーナとしての責務であり、これからの未来である。
――きっと、そんな未来の一ページの中に、マリアの香りがそばにある。
つらいときも、悲しいときも、うれしいときも、楽しいときも。
ディアーナには、そんな予感がした。




