第二十九・五話 ディアーナの選択
第三章 王城編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第二十九・五話は、第二十九話と第三十話の間にあった出来事をかいたお話になります。)
その日、ディアーナが城のメイド長より案内されたのは、ディアーナでさえ訪れたことのない小さな客間であった。
メイド長が扉をノックすると、中から父親と母親……もとい、王様と王妃様の声が聞こえる。今日は姿を見かけない、と思っていたら、どうやらここにいたらしい。
「ディアーナか。はいりなさい」
父の声に促されるまま、ディアーナはその扉を開ける。中では、両親が目の前に並んだ四つの小瓶を見つめていた。
「その小瓶は?」
「あなたへの誕生日プレゼントよ」
母親は柔らかな微笑みをディアーナに向け、ディアーナに座るよう促した。
ディアーナは、ガーデン・パレスでのマリアの調香を思い出す。
「チェリーブロッサムの香り……」
繊細なのに芳醇で、異国情緒あふれるどこか大人びた香り。すっかりディアーナのお気に入りである。
「おや? ディアーナには話したことがあったかな?」
父親に言われ、ディアーナはハッと口をつぐんだ。両親には内緒でガーデン・パレスに行ったのだ。シャルルにも、内緒にするように言われていたのに、とディアーナは慌てて首を振る。
「いいえ、お父様! 先日の会食でいただいた花の香りが、したような気がして……。その瓶からかしら!」
ディアーナの様子に、両親は顔を見合わせて何やらふっと笑みを浮かべたが、ディアーナは取り繕うことに必死でそんな二人には気づかなかった。
それでね、と母親が気を取り直したように声を上げた。
「あなたももうすぐ、一人前の素敵な女性になるでしょう?」
母親の言葉に、ディアーナは姿勢を正す。
「そこで、今回はとびきり素敵な香りのプレゼントにしたの。香りにはいろんな効果もあるし、きっとディアーナも気に入るわ」
母親からはふわりと穏やかなローズの香りが漂い、ディアーナもその通りだ、と思う。
今まで香水には興味がなかったが、それも先日マリアと出会ったことで大きく気持ちが変わった。
(マリアの作った香りを身にまとえば、私ももっと魅力的な女性になれる)
ディアーナの中には、そんな確証にも似た気持ちが沸き上がったのだった。
一国の未来を担う王女として、早く大人にならなければ、という思いと同時に、大人になれば、いつまでも自分を子ども扱いする大人――騎士団長も振り向いてくれるのでは、という淡い期待がディアーナの心に芽生える。
「うれしいですわ! お母さま!」
ディアーナの声色に、両親もにっこりと満足げな笑みを浮かべ、それじゃあ、と四つの瓶をディアーナの方へ差し出した。
「あなたの好きなものを一つ、選んでちょうだい」
ディアーナは言われるがままに、瓶へと手を伸ばす。マリアの作ったものと思われる瓶に手を伸ばそうとして――いや、せっかくなら最後に取っておこう、とディアーナはその隣にあった見た目の美しいものを手に取った。
小さなガラス瓶には、花の彫刻が彫られており、シンプルながら大人の女性らしいデザインのものだ。タグには、『キングスコロン』の文字。ディアーナには、それが店名なのか、それともこの香りの名前なのかは判断がつかなかったが、王様の香り、というくらいである。よほど素晴らしいものに違いない、と胸を弾ませた。
「これは……」
ディアーナは感想に詰まった。大人とは、時に世辞を述べる生き物だ、とは知っていながらも、良い誉め言葉も見つからない。
確かに、チェリーブロッサムの香りによく似てはいるが……ディアーナにとっては、どこか無機質な、独りよがりな香りにも感じられた。
マリアのものには、心をときめかせる仕掛けがあった。だが、この香りはのっぺりと、どこか薄い香り。最初から最後まで、たった一つ、花の香りがするだけなのである。
(もっと複雑で……花や、緑や、土のような香りがしたはずなのに……)
ディアーナは言葉を飲み込み、あいまいな笑みを両親に向ける。
二つ目の瓶には、ディアーナも安堵した。こちらのタグには女性の名前がつけられていて、女性らしい、柔らかで繊細な感性と、努力の跡が垣間見えた。マリアの香りには劣るが、ディアーナにとっては好きな香り。もしも、マリアに出会えていなければ、ディアーナはこの調香師の作ったチェリーブロッサムの香りを好んでいただろう。
「これは、繊細で素敵な香りだわ。もう少し深みが欲しいところだけど……良い香りね」
ディアーナの言葉に、今度は両親があいまいな笑みを向けた。
ディアーナは、三つ目の瓶を開けて目を丸くする。
「これも、調香師が作ったものなの?」
「えぇ。もちろんよ」
母親はうなずくが、ディアーナには信じられなかった。おそらく、母は調香師にチェリーブロッサムの香りを作れと命じたはず。
(それなのに……)
ディアーナは、タグを見つめて、
「画家の……!」
と声を上げた。そして納得する。芸術家というものは、時にそういう生き物だ、と。
「調香師もされていたのね」
「頑固なところがあって、素敵な香りを作る時もあるが……今回は、どうやらお気に召さなかったらしいな」
父親の苦笑が、彼の作った香りの総評であることは間違いなかった。
ディアーナは、最後にマリアの作った香りを残しておいてよかった、と心のうちで安堵する。ほかの調香師には失礼かもしれないが、最後はやはり、自分の好きな香りを楽しみたいのだ。
「それじゃぁ……」
ディアーナは最後の瓶を持ち上げ、そのフタを開けた。
◇◇◇
結論から言えば、ディアーナの思いは変わることがなかった。マリアの作ったチェリーブロッサムの香りをしっかりと胸に抱きしめて、客間を後にしたのである。
残された両親は、安堵と苦笑の混じったなんとも言えない顔を見合わせた。
「わが娘ながら、あっぱれ、というべきか……」
夫の声に、妻である王妃も「そうねぇ」とのんびりとうなずいた。
少なくとも、母親が普段使っている香水を調香している調香師のものが、悪いはずもないのだが。
「どこで、こんなに素敵な香りがあることを覚えたのかしら」
ディアーナに香水のハウトゥーを教えたつもりはない。誰にどんな迷惑をかけたのか、なんとなく察することができるだけに、王妃としても苦笑するしかない。
「後で、お礼をしておかなくてはね」
王妃の言葉に、王もまた苦笑する。
――後日、騎士団本拠地とガーデン・パレスには、王様と王妃様からのお礼の品々が届いたという。




