18-19 サキの小さな流離い
「……ふう」
時間は少し戻って。
10月7日の夕方、サキ・エッシェンバッハはトスモ湖の畔を歩いていた。
実家のある側でなく、首都ロイザート側だ。
一人、転移門で実家に転移した後、渡し船でこちら側へ来た。
実家の近くだと見知った顔に会いそうだったからだ。
お金はそこそこ持っていた。蓬莱島にいたら使う機会がないからだ。
付いてきているのはアアルだけ。仁とラインハルトに作ってもらった召使い自動人形だ。
中性的な容姿で、今は侍女服を着ている。
「んー、我ながら情けないとは思うんだけどね」
独り言を呟くサキ。アアルは黙って聞いている。
発端は、父のトアが、友人である女性魔法工作士、ステアリーナと結婚する、と言い出したからだ。
「いつまでも独り身でいる必要は無いと思うし、彼女がいい人だというのもわかるんだ」
アアルからの返事はない。それでもサキは言葉を続けた。
「母が亡くなったのは2歳の時だというから、ボクが覚えていないのも無理はないよね」
そこで一つ溜め息をついてから、もう一度口を開くサキ。
「でも、ねえ……なんだろうね、この気持ち」
振り仰いだ空には気の早い星が3つ4つ瞬き出していた。
湖を渡る風も大分冷たくなってきている。
「……この気持ちは置いておいて、泊まるところを確保しないといけないね。やれやれ、人とは面倒なものだよ」
独り言はそこまでにし、サキは湖畔を離れ、町の方へ向けて歩き始めた。
ここはトロムの町。
トスモ湖での漁を中心とした漁業の町である。
「まだ時間としては早いから、何か食べておこうかな」
昼を抜いてしまっていたサキ。少し前まではそういった不規則な生活も平気だったのだが、ここのところは規則正しい生活をしているため、1食抜いてもきついのである。
「初めての町だからどこがいいのかわからないね」
なので、最初に目に付いた大衆食堂『海老捕りらんぷ亭』の入り口をくぐった。
「らっしゃい」
時間的に少し早いため、半分強が埋まっている程度でまだまだ席には余裕があった。
奥の隅に座るサキ。
高級レストランと違い、大衆食堂のような狭い店内に連れ込むと狭くなるため、ゴーレムや自動人形は連れ込まないのが一般常識だ。故にアアルは店の外で待機ということになる。
「日替わり定食……と、ビール」
普段はあまり酒を飲まないサキであるが、何故か今夜は少し飲みたい気分だった。
「はい、お待ち」
日に焼けた中年女性が、木でできたビールのジョッキと申し訳程度のつまみを置いていった。定食はもう少し後からになる。
「ふむ、喉が渇いているから美味しいね」
1リットル弱のジョッキを半分くらい一気に飲み干したサキは、つまみとして出された干し肉を囓った。
空きっ腹に飲んだため、すぐに酔いが回ってくる。ぼんやりと霞む目で、窓の外を眺めると、暮れていくトスモ湖の湖面に、海老捕り船の明かりが揺れているのが見えた。
「日替わり定食、お待ちどうさま」
大きな焼き魚、大麦の粥、豆のスープ、ちょっぴりの野菜サラダが乗ったトレイがサキの前に置かれた。
「おお、これは美味しそうだね」
基本的に好き嫌いのないサキは、焼き魚から手を付ける。
「うん、ちょっと塩味が強いけど、いい味だね」
塩気が濃いのは、労働者が多いからであろう。残ったビールを飲み干し、サキは大麦の粥を一口。
「……ああ、これはジンのところのほうが数段上だね……」
小さな声で呟くと、不意に涙が溢れてきた。
「……あ、あれ? 何で?」
服の袖で涙を拭うと、サキはスープを一気に飲み干す。少し熱かったが、野菜サラダを口に押し込み、誤魔化す。
「ボクって、こんなに弱かったのかね」
焼き魚の残りをちびちび毟って口に運びながら、サキは自己嫌悪していた。
「そもそも、父さんが結婚するからって、なんで寂しく思ったんだろうね?」
いよいよ酔いが回ってきた頭では、考えもまとまるはずもなく。
「……おねえさん、ビールもう1杯」
支離滅裂な思考は、更なる混沌を求め、アルコールを要求した。
ジョッキと入れ替わりに食べ終えた定食のトレイは下げられていった。
「……ふう」
ジョッキの半分を飲み干したサキはテーブルに頬杖を突いて溜め息をつく。
「ああ、もうどうでもいいや……」
そもそも、サキはアルコールに強くない。いや、はっきり言って弱い。グラス1杯のワインで気持ちよく酔えるのだ。
「お嬢ちゃん、もう止めときな?」
ビール1杯半で酔っぱらってしまったサキの前に男が1人腰を下ろした。漁師だろうか、40少し前くらいの日焼けした男。
「1人でビール飲んで、酔っぱらって……家のもんが心配してるぞ?」
だがサキは笑って答える。
「くふふ、耳が痛いね。でも生憎と、今はこうしていたいんだ」
「何があったか知らねえが、酒で憂さを晴らすには、お嬢ちゃんは若すぎるぜ。そりゃあ中年になってからやることだ」
「ふふん、若いと酔っちゃいけないのかい?」
そう言いながら、残っていたビールを一気に飲み干した。
「おいおい、無茶するなよ」
「無茶……なんて……してない……さ……」
呂律も怪しくなってきたサキは、ついにテーブルに突っ伏してしまった。
「おい、お嬢ちゃん……」
心配する男の頭上から、別の声が聞こえた。
「ああ、連れが済みませんね」
男が見上げると、30前後のそれなりに身なりのいい男が立っていた。
「ちょっと嫌なことがあったので家を飛び出したと思ったら、こんなところで飲んでいたとは」
そう言いながら、ぐにゃぐにゃになったサキを引き起こす。
「そうか、あんたの連れか。もう目を離すんじゃねぇぞ?」
「はい、済みませんね」
サキに肩を貸した男は食事代を払うと、店を出る。サキはもう意識がないようだ。何かむにゃむにゃ言っているだけ。
サキを支えたまま暗がりへと歩いて行く男。そこにはもう1人、小太りな男が待っていた。
「兄貴、上手くいったようだな」
「ぐふふ、なかなかの上玉だぜ」
2人は嫌らしい声を立てて笑い会う。
「いつもながら兄貴の眼力は凄えなあ」
「心理的に不安定な女は匂いでわかるんだよ、匂いで」
そんなことを言い交わしながら、2人はサキを更に人気のない暗がりへ連れていこうとし……。
「お待ち下さい」
という声に呼び止められた。
「何だ?」
男2人が声のする方を見れば、華奢な身体つきの侍女である。
「おい、カモがもう一匹向こうからやって来たぞ」
「へへ、そっちは俺がやっていいすか」
「ああ、好きにしろ」
小太りの男は舌なめずりをしながら華奢な侍女に手を伸ばし……。
「うぉわっ」
あっと言う間に地面に叩き付けられる。
「な、何だ? 何しやがった?」
アアルは非力とはいえ、仁とラインハルトが作った自動人形である。蓬莱島でチューニングもされ、成人男性5人分くらいの力は優に出せるのだ。
反応速度は元々人間の十数倍。触覚もあるので手加減だって自由自在である。
「お嬢様を返しなさい」
地面に横たわった小太りの男の鳩尾に蹴りを入れて完全に意識を刈り取ったアアルは、兄貴と呼ばれる男と正対した。
「ふざけんじゃねえぞ!」
男は懐からナイフを出し、アアルの顔面目掛けて投げ付けた。それを首を傾げるだけで躱したアアルは、大きく一歩を踏み出す。
その一歩で距離を詰めたアアル。左手の正拳を男の顎目掛けて突き出した。
それは見事にクリーンヒット、兄貴と呼ばれた男はそのまま後ろに倒れ、気を失った。
「お嬢様」
アアルが地面に横たわるサキを抱え上げた時、また1人、男がやって来た。
「あー、やっぱこんなことになってたか」
食堂でサキの前に座った40前の男であった。
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20160517 修正
(旧)「……ああ、こいつは仁のところのほうが数段上だな……」
(新)「……ああ、これはジンのところのほうが数段上だね……」




