18-10 酔いと対策
「ジン殿、私は城下に居を構えるヤルマアニ男爵だ。お近づきの印に一杯」
「ジン・ニドー卿、わたくしはブルーランドで商売をしておりますナリーフという者です」
宴会となってから、仁の下には大勢の列席者が顔を繋ぎに訪れていた。
「エルザさん、素敵なグラスでしたわ、ご兄妹で魔法工作に通じてらっしゃるなんてすてきですわね」
「エルザ様、わたくしは隣町クロスゴーで商店を営むストロエンの家内ですの。以後お見知りおきを」
もちろんエルザの元にも、列席者のうち女性客が押し寄せていた。
「ジン殿はご結婚なさってらっしゃるので?」
「我が家には今年15になる娘がいるのですが……」
「エルザ嬢にはもう決まったお相手がいらっしゃるのですか?」
と、まあお定まりの話へと推移していく。
そんな時。
「ジン、今日はありがとう」
「エルザ、ありがとう」
挨拶回りをしていた新郎新婦がちょうど仁たちのところにやって来た。
「相変わらず、いや、良い意味で、だが、なんともすごい腕だなあ」
執事が抱えたワインクーラーから取り出した白ワインを仁が手にしたグラスに注ぎながらクズマ伯爵が言う。
「エルザ、いつの間に魔法工作士になったの? あのグラス、すごかったわ」
侍女に持たせたトレイから甘口のカクテルグラスをエルザに差し出しながらビーナが言う。
この日の主賓2人が『話をしたい』と誰が見てもわかる態度を見せたので、仁とエルザの周囲に群がっていた連中はそれぞれに散って行った。
「助かったよ、ルイス」
「はは、ジンはああいうの苦手そうだものな。まともに相手をするから疲れるんだ。『また今度』とか『機会がありましたら』とか『そのうちに』などと先延ばししておけばいいのさ。間違っても『ありがとうございます』だけは言ってはいけないがね」
「なるほどな……」
こういう社交辞令は国によっても若干違いはあるのだろう。
「……勉強になる」
エルザも、実の親(当時は乳母兼侍女)のミーネが極力社交界から遠ざけていたため、そういった口先だけの付き合いには疎いので、2人が助け船を出してくれてほっとしていた。
「でもほんと、前に別れた時はエルザって魔法工作に関しては何もできなかったわよね?」
「うん。家を捨てて、ジン兄のお世話になって、それで教わったもの」
「精々半年とちょっとよね……自信なくすわ」
「それは私も同じ。ビーナ、すごく素敵になった。今は気やすい口調で話をしているけど、立ち居振る舞いはもう貴婦人。社交界に出ても見劣りしない。私には無理」
「あ、ありがとう」
元々の貴族令嬢から言われたビーナは思わず赤面し、狼狽えた。
「ビーナがどれだけ努力したかわかる。ルイス様、ビーナを幸せにしてあげて、ね」
「ああ、もちろんだとも」
「ルイス様……」
エルザの言葉を受け、伯爵はビーナの肩を抱き寄せる。頬を染めるビーナ。
(ビーナ、幸せそう。結婚……か……)
幸せそうに微笑むビーナを見たエルザの胸の裡に、小さな疼きが走った。
(……?)
まだエルザが、その疼きが何かを知ることはない。
疼きを感じた次の瞬間、別の声がエルザの気を逸らしたためである。
「ショウロ皇国カルツ村領主、ラインハルト・ランドル様奥方、ベルチェ様よりお祝いの手紙と贈り物が届きました」
「……ライ兄の馬車と一緒じゃなかったの?」
「何か手違いがあって着く日付がずれたのかな?」
そんなところだとは思う。それよりエルザも仁も、何が送られて来たのか興味を持った。
ベルチェが贈ったことも知らなかったのだ。魔素通信機で話を聞いた時、ラインハルトも教えてはくれなかったから。
侍女2人が何やら包みを運んで来る。
「ラインハルトの奥方からか。何だろう。楽しみだな」
クズマ伯爵も興味津々である。そして包みが開けられた。
「おお?」
500ccほどの水晶製の瓶が4本。その中には琥珀色の液体が。
「添え書きがあるな。……何々、『当地方特産のメープルシロップを贈ります』か」
やっぱり、と仁は思った。濃い琥珀色の液体に見覚えがあったのである。
それにしても、季節外れのこの時期に、よくもこれだけ大量のメープルシロップを用意したものだと感心する。
本来、メープルシロップの原料となるサトウカエデの樹液は冬から春にかけて採取するものである。秋は最も樹液が少なくなる季節なのだ。
「ほうほう、『特産の樹液から作ったとても甘い蜜』、だそうだ」
添え書きを読み上げる伯爵。
「ああ、試作を食べたことあるけど、本当に甘くて美味しかったよ。それを2リットルも……」
「ん。甘くて、美味しい」
仁が補足し、エルザが裏付ける。
「それは嬉しい。ビーナ、あとで頼むよ」
「はい、…………あなた」
頬を染めながら返事をするビーナ。初々しい。
そんな2人を見て、列席者たちは再び祝福の拍手を贈るのであった。
* * *
「……ふう」
仁は大広間を出て、酔いを覚ましていた。
「お父さま、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だけどな。……酔いやすくなったよな……」
細胞が活性化してから酔いやすくなってしまったのだ。とはいえ、醒めるのも早いのだが、それでもアルコールに弱くなってしまったのはデメリットと言えた。
これまではどんなに飲んでもほろ酔い以上に酔ったことはなかったのだが。
それというのも、これまでは身体の細胞の大部分が不活性であったがため、本来あるべき生体の反応が行われていなかったからである。
「ジン兄、大丈夫?」
エルザも心配してやってきた。
「ああ、大丈夫だ。だけど、これって何か対策しないとまずいな……」
酔っぱらった頭で考えるが、うまくアイデアがまとまらない。
「……ものは試し。『解毒』」
「お、おお?」
エルザが解毒の治癒魔法を仁に掛けたところ、その効き目は覿面だった。
「……あっと言う間に酔いが醒めたぞ。……そうか、酔いというのは毒状態なのか……」
酔いが醒めた頭は正常な論理を展開する。
以前、治癒師のサリィ・ミレスハンが酔いを醒ますために『解毒』を使ったことを今更ながらに思い出した仁。
確かに、血液中のアルコールは異物である。『解毒』が効くのも道理だ。
「……と、なると、解毒効果のあるアクセサリーというのもアリだな」
それなら、酔いたい時は酔えるし、酔いたくない時は酔わないように、と切り替えが可能である。
「……やっぱり、ジン兄はジン兄」
そんな考えに没頭していたらエルザに笑われてしまった。
「……そう、だな。今日はクズマ伯爵とビーナの結婚式だっけ」
頭を掻きながら、仁はエルザの肩を叩く。
「戻るか」
「ん」
仁、エルザ、礼子、エドガーは大広間に戻った。
今度はあまり目立たないよう、壁際に陣取って静かにしていることにした。
クズマ伯爵とビーナが2人連れ添って大広間中を回り、挨拶を続けているのが見える。
「……大変だなあ」
「ん。でも、ビーナ、幸せそう」
そう言いながらエルザは半歩だけ仁に近寄り、肩が触れるか触れないか、と言う距離に立ち、壁にもたれかかった。
礼子は仁を挟んでその反対側に立ち、仁に寄り添っており、仁は礼子の肩に手を置いていた。
その様子を横目で見たエルザは、仁の腕を取ろうかどうしようかと迷った末、広間を巡回している侍女が持っているカクテルグラスを手に取ることに決めたのであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20141003 19時33分 表記修正
「酔いが醒め・・・を展開する。」と「確かに、血液中の・・・」の間に、
『以前、治癒師のサリィ・ミレスハンが酔いを醒ますために『解毒』を使ったことを今更ながらに思い出した仁。』
を追加しました。
解毒系の魔法が酔いにも効くことを見知っていたはずなので、酔いが醒めて思い出したということで。
20160305 修正
(誤)とはいえ、醒めるもの早いのだが、
(正)とはいえ、醒めるのも早いのだが、
20190920 修正
(誤)「エルザ様、わたくしは隣町クロスゴーで商手を営むストロエンの家内ですの。
(正)「エルザ様、わたくしは隣町クロスゴーで商店を営むストロエンの家内ですの。




