18-02 雨の日
珍しく、クライン王国は雨であった。
クライン王国のあるローレン大陸東部は、平野部の降水量は少ない。その代わりに山岳地帯にまとまった雨や雪が降る。
この雨や雪解け水は河川及び伏流水となって平野部を潤しているのである。
各都市は井戸を掘ることにより水を確保している。
昨年仁が作り、ラグラン商会が売りだしたポンプは、こういった理由から瞬く間に普及していったのである。
「秋の雨か」
窓から外を見ていたクライン王国近衛女性騎士隊副隊長、グロリア・オールスタットはその日、非番であった。
「埃っぽくなくていいが、これでは走り込みをする気にならんな……」
日課のトレーニングとして、10キロの走り込みを欠かさない彼女だが、さすがに冷たい雨の中を走る気にはならなかった。
「……こういう日は剣の手入れでもするか」
鋼鉄製の剣は湿気に弱く、すぐに錆が浮く。それを防ぐために、ケメリア(椿に似た植物)の実から採った油を塗り、錆を防ぐのだ。この油は不乾性(固まらない)油で、髪油にも使われる。
油を引いた剣は錆びないが、埃を吸着して次第に黒ずむため、定期的に拭い取り、きれいにしてから新しい油を塗る必要がある。
ある意味手間であり面倒な作業であるが、剣マニアであるグロリアは喜々としてそれを行っていった。
グロリアの容姿はベリーショートにした明るい茶色の髪、鳶色の目をしており、身長168センチ。B83、W57、H82という引き締まった体型は理想的と言ってもいい。
が、その性格が災いしてか、23歳になる今になっても浮いた話一つ無かったのである。
「ジン殿に作ってもらったこの剣はやはり格が違うな……」
かつて、巨大ハサミムシ、『ギガントーアヴルム』相手に一歩も引かなかった剣。アダマンタイトの薄板を鋼でサンドイッチした構造の剣である。
鋼の部分も、ニッケル鋼なので錆びにくい。ほとんどメンテナンスフリーの剣なのだ。
久しぶりにゆったりとした気分になったグロリアは、一心に剣の手入れを続けていた。
「……雨ですね」
トカ村領主、リシア・ファールハイトは鉛色の空を憂鬱そうに見上げて呟いた。
「麦の刈り取りができませんね」
春に播いた春小麦の収穫時期の雨は珍しい。
収穫後、乾燥が必要なため、刈り取りは晴天が望ましいのに、ここ5日間雨続きであった。
「……収穫量はまずまずの見込み。初年度としては及第点でしょうか……」
帳簿を前に、形の良い眉を顰めるリシア。傍らに置かれたティーカップに口を付けるが、もう冷め切っていた。
「……この『お茶』も商品にできるでしょうかね」
トカ村で飲まれているのも、カイナ村と同じく『ペルヒャ』から作ったお茶である。
リシアは、これにハーブを加えて商品価値を高められないかと試行錯誤していた。もう少しで売り物になりそうなところまで来ている。
「リシア様、村長殿がお見えです」
「そう、通してちょうだい」
秘書官見習いのフレッドが村長の来訪を告げた。
フレッドは見習い騎士であったが、武芸よりも事務系の能力があると見たリシアが引き抜き、秘書官としての教育を進めていた。もっとも、リシア本人も未熟なため、2人して失敗する事も多かったが。
「失礼します、領主様」
トカ村村長のブラークが部屋に入ってきた。リシアに向かって一礼すると、さっそく用件に入る。
「今年の春小麦の件なのです」
リシアもその事を考えていたところなので、先を促す。
「作柄は良好なのですが、長雨のため刈り取りができません。ですが、このまま放っておくこともまずいと判断しました」
「どういうことですか?」
農業に関して、リシアは素人もいいところである。村長が何を言いたいのか、まるでわからない。
「このまま雨が続いたとすると、せっかくの小麦にカビが生えて駄目になる可能性があります」
「カビですか……」
また一つ悩みの種が増えたリシア。
「これまでは、収穫が多少減っても、晴れているうちに刈り取りしてしまったのですが……」
今年は急に雨となったのでタイミングを逸してしまったというのだ。
「それについては村長さんの方がお詳しいでしょうからお任せします」
リシアとしてもそう言うしかなかった。
村長は委細承知して出て行った。窓の外はまだ雨が降り続いていた。
蓬莱島でも雨が降っていた。
雨に煙る蓬莱山、その麓にある仁の館。
「『全快』」
「……つっ」
「ジン兄、大丈夫?」
「お父さま、大丈夫ですか?」
治癒魔法を掛け続けて18日。
魔原子で構成された細胞の大部分が活性化されたためか、治癒魔法を受けた時に生じる痛みも随分と軽減されていた。
いまではちくっとした痛みに過ぎない。
「ああ、大丈夫だ。これでも随分痛みは少なくなった」
「……あと2回で完治する」
「ああ、ありがとう、エルザ」
「うん」
仁としても、随分と身体が軽くなったような気がしていた。
以前の例え、『超精密な義手を付けているようなもの』が解消されてきたのである。
どんなに高性能でも義手は義手。本来の肉体には敵わない。
そして細胞が活性化され、肉体に馴染むにつれ、仁の身体機能も向上していた。
そもそも、仁の体細胞にある『マギ・ミトコンドリア』は超高性能である。おそらく、それもまた召喚時に取り込んだものと思われるが、この際重要なのは結果。
かつて、エゲレア王国の魔法工作士互助会で、魔力パターンを測定した際、測定器を兼ねた自動人形、ドーナの回路を保有魔力の多さでオーバーフローさせた仁である。
魔原子で構成された細胞が活性化されたことで、その働きも更に向上しているのだが、今のところそれに気付くものはいない。
利点のみあって不都合なことがないのだから、誰も調べてみようとしていないこともあり、仁がその事に気付くのはもう少し先になりそうである。
「……今日も雨か」
その日の治療を終えた仁は窓の外を見ながら呟いた。
「この気温にこの湿度。……カビが生えそうだな……」
普段と違う気象状況を気にする仁。
「うん、ちょっとじめじめしてる」
エルザも湿気っぽいのは嫌いなようだ。
「えーと、そうすると……」
蓬莱島の倉庫は恒温恒湿となっており、温度も湿度も一定に保たれている。
が、カイナ村はそうではない。
「空調……それに乾燥剤があるといいかな」
「乾燥剤?」
エルザも、それがどういうものであるかは承知しているが、どうやって作るかはわからなかった。
「せっかくだからサキやトアさんにも声を掛けてみよう」
「……うん」
館から研究所まで、雨の中を歩くのは嫌なので、小型転移門を使って研究所へ移動する仁とエルザ、それに礼子。
「おや、ジン君、今日はどうしたね?」
「エルザと礼子ちゃんも一緒とは。何かあったのかい?」
サキとトアは何か打ち合わせか話し合いをしていたようだ。作業台の上にメモ用紙代わりの薄い板が散らばっている。
「いや、こう雨が続いて湿気っぽいから、乾燥剤でも作ろうかと思って」
「乾燥剤?」
「それは? ……ああ、言葉から大体のことはわかる。詳しい用途が知りたいんだよ。部屋を乾燥させるのか、それとも……」
「保存している食料に使う物ですね」
トアに皆まで言わせず、仁が説明した。
「なるほど、雨の季節、食糧の保存はなかなか悩ましいものだが、そういう時に使うものなのか」
「ジン、ボクたちにも何か手伝えるのかい?」
「もちろん。工学魔法を使えば簡単なんだが、それじゃあ一般的じゃないからな」
仁がそう説明すれば、トアも大きく頷いて賛同する。
「なるほど、広く一般で作れるようにしたいんだね。協力しがいがあるよ」
こうして蓬莱島では、降りしきる雨の中、乾燥剤作りが始まったのである。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20140924 19時13分 表記修正
(旧)その働きも更に向上していることに気付くものはいない
(新)その働きも更に向上しているのだが、今のところそれに気付くものはいない
20140924 20時03分 表記修正
(旧)蓬莱島の倉庫は恒温槽になっており
(新)蓬莱島の倉庫は恒温恒質となっており
20140925 08時16分 誤記修正
(誤)恒温恒質
(正)恒温恒湿
20150714 修正
(旧)尤も
(新)もっとも
書籍仮名遣いに合わせました
20201003 修正
(旧)
かつて、エゲレア王国の魔法工作士互助会で、保有魔力……正確には魔力素の変換量を測定した時に測定器を兼ねた自動人形、ドーナの回路をオーバーフローさせた仁である。
(新)
かつて、エゲレア王国の魔法工作士互助会で、魔力パターンを測定した際、測定器を兼ねた自動人形、ドーナの回路を保有魔力の多さでオーバーフローさせた仁である。




