18-01 快癒
「『全快』」
「……くぅ」
「ジン兄、大丈夫?」
「ああ、何とかな。痛みも減ってきた気がするし」
蓬莱島の『館』では、エルザが仁に治癒魔法を掛けていた。
今日は9月29日、仁が魔族のごたごたを収めて帰ってきてから12日が経っていた。
その間、1日1回、仁は治癒魔法を受けていたのである。
最初は礼子に掛けてもらっていた。
途中、身体の馴染み具合をエルザに診て貰ってから、治癒魔法はエルザにバトンタッチされていた。
というのも、もう一つの治療……エルザの『魔力過多症』が完治したからである。
* * *
話は8日前に遡る。
「ジン、100万分の1グラムを溶かした水なんて、どうやって用意するんだい?」
「私も興味あるねえ」
仁ファミリー全員の前で、エルザの『魔力過多症』を治す方法が見つかった、と説明した時は大変だった。
「ジン様! ほ、本当に……エルザの病気が治るのですか!?」
生みの母、ミーネは涙目で縋ってくるし。
「ジン! 君はすごい! この世界では不治の病だった『魔力過多症』の治療法を見つけてくるなんて!」
ラインハルトは大興奮するし。
「『精神触媒』だって? そんな物質が……!」
トアは感心し、欲しそうな目をするし。
「100万分の1なんてどうやって作るんだい!」
サキは疑問を押し出してくるし。
とにかく、他のメンバーも興奮して大騒ぎだった。
「ジン兄……本当に……治る……の?」
エルザだけは1人、目に涙を溜めていたのが印象に残っていた。
サキとトアは、仁がどうやって100ccの水に100万分の1グラムを解かした水溶液を作る気か、興味津々で見入っている。
「100万分の1グラムを量り取れるものなのかい?」
仁の工学魔法にはそんな精度があるのだろうか、とサキは興味深く見つめていた。
「いや、さすがに無理だ。でも0.1グラムならこれを使えば量れるさ」
そう言って仁はサキとトアにできたばかりの秤を見せた。
「これは? 変わった形だね」
それは『上皿天秤』であった。
この世界では秤と言えば吊り下げ式の天秤秤か竿秤であり、上皿天秤は仁が初めて作ったのである。
「この方が量りやすいからな」
吊り下げ式では皿の3箇所に紐が付いているので分銅や試料を乗せたり下ろしたりするのがやりにくいという欠点がある。その点上皿天秤は作業しやすい。
この計量が終わったら、この新式上皿天秤はサキに譲るつもりの仁であった。
「0.1グラムは量れるけど、それってつまり10分の1グラムだよね? 100万分の1グラムはどうやって……」
尚も首を傾げるサキに、仁はヒントを与える。
「『精神触媒』は水に溶けるけど性質は変化しない。水を蒸発させればまた元通りに析出するんだよ」
「ふうん? ……すると…………も、もしや、ジン!?」
仁が巨大な容器に水を用意しているのを見て、サキもようやく答えがわかったらしい。
「ああ。100ccに100万分の1グラムなら、1万リットルに0.1グラム溶かせばいいよな?」
つまり、10トンの水に0.1グラムを溶かせば、求める濃度の水溶液ができるというわけである。
容器というより小型のプールに水を溜めた仁は『精神触媒』0.1グラムをそこに入れ、『均質化』で均質の水溶液を作った。
「ここから……そうだな、1リットル採っておくかな」
エルザ以外にも必要とする者と出会うかもしれないと思い、貴重な治療薬を少し余分に用意しておく仁であった。
100ccずつの水晶製薬瓶10本に小分けし、残った水溶液から『精神触媒』を分離する。
「『抽出』」
「ほう」
サキが感心したような声を出した。
大量の水から0.1グラムにちょっと欠ける『精神触媒』を取りだした仁は、それを丁寧に密封し、残った水は廃棄する。
「さあ、これをエルザに飲んでもらおう」
瓶を手にした仁はエルザの所へ行こうとして足を止めた。何故なら、目の前にエルザが立っていたからだ。
「……エルザ」
「ジン兄」
エルザは仁の手にした瓶を見つめながら、
「それ、が、薬?」
と尋ねる。仁は頷いてその瓶を差し出した。
「そうだ。害になるような成分は混じっていないはずだ。何なら調べてごらん」
だが薬を受け取ったエルザは首を横に振った。
「ううん、ジン兄が私のために作ってくれた薬。いただき、ます」
そう言ってその薬を一息に飲み干す。
「……何の味も、しない」
「まあそうだろうな。10トンの水に0.1グラム。100万分の1の濃度じゃあな」
「ジン、これでエルザは治ったのかい?」
傍で見ていたサキが興味深そうに言った。
「いや、『精神触媒』が身体に吸収されて、最終的に脳細胞に定着するまで2日くらいかかるらしい」
「ふうん、なるほどね」
* * *
そして冒頭に戻る。
2日後、エルザはいつになく爽やかな目覚めを体感した。
「……これが薬が効いた証拠?」
もちろん、今まで寝起きが悪かったわけではないし、気分が優れなかったわけではない。
当たり前と思っていた不調とも言えないような不調が無くなった感覚。
100点が最高点だと思っていたら、その上があった事に気付いたよう、と言えばいいか。
あるいは、風邪の鼻づまりが治ってすっきりした感覚か。とにかく、気分がいいのである。
それを母、ミーネに告げると、彼女は涙を流して喜んだ。そしてエルザを抱きしめる。
「エルザ……、ああ、よかった……」
エルザが魔力過多症とわかってからは、いつもそばに付いていて、余剰魔力の捌け口となっていたミーネ。
余剰の魔力(魔力素)は、大抵は発熱という形で現れる。
エルザに微熱があるな、と感じたらミーネはすぐに、エルザに魔法を使わせ、対処していた。
13歳を過ぎた頃には、エルザは自分でその感覚を覚え、自ら対処できるようになってはいたのだが、仁が余剰魔力を吸収する腕輪を作ってからはそれもしなくて良くなり、普通の魔導士として生きていけると思ったものだった。そして普通の身体ってすばらしい、と幸せを噛みしめたものだ。
しかし今回は更にその上を行っていた。
「ジン、兄……私の、恩人」
かつて家を捨てた時、統一党に捕まった自分を救い出してくれた人。
寂しい自分に妹分という居場所を与えてくれた人。
生みの母を助け、会わせてくれた人。
魔力過多症を解消する腕輪を作ってくれた人。
魔法工作という新たな世界を教えてくれた人。
異世界の科学という、高みへ到る道を見せてくれた人。
そして、今。
一生付き合って生きる他ないと思われた、魔力過多症を根治してくれた人……。
「……私の全てを捧げて、恩を返す」
密かにそう決心したエルザは、仁の身体を構成する補完された細胞が不活性であることを聞き、その解消のために自らが治療をすることを申し出たのである。
「『診察』……大分、活性化している」
* * *
仁の身体を本腰を入れて診察してみたエルザは、そのアンバランスさに驚いたものだ。だが今は。
「半分以上、活性化した」
それを聞いて、治癒魔法を掛ける役をエルザに譲った礼子も微笑んだ。
「あと10日もたたないうちに、ジン兄の身体は、完全になる」
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