16-12 古の施設
「……お父さま、ご自分でご覧になりたいでしょうね」
ハッチを前に、礼子がぽつりと呟く。
まったくその通りだ、と、蓬莱島にいる仁は内心で同意していた。
「……まずハッチが開いたら、1分だけ待ちます。次いでおねえさまに先行していただきます」
アンが計画を説明していく。
「任せて下さい」
「当面の危険が無いようでしたら私たちも乗り込みます」
「うむ、わかった」
「それ以上は情報が無さすぎて何とも言えません。ただ言えることは、まずは平和裡に進めたいと思います」
それにも異論は出なかった。
「では、開けます」
アンがレバーを操作した。推測通り、開閉装置だったようで、ハッチはゆっくりと上へと開いていったのである。
ぽっかりと開いた穴の直径はハッチとほぼ同じ直径2メートルくらい。照明は点いていないようだ。
3メートルほど離れて様子を見守る3人。だが何も起こらず、また何も出てくることはなかった。
「1分経ちました。行ってきます」
桃花を背負った礼子はすばやく穴に消えた。
そして2分。
「今のところ異常は無いようです。私たちも行きましょう」
「え? まだレーコから連絡は無いが?」
訝しむアレクタス。だが、礼子と老君の間には魔素通信機で連絡がなされており、老君とアンの間にも同様。であるから、老君経由で礼子とアンは連絡を付けられるのは当たり前。
「私とおねえさまは連絡を取り合えるのです」
アンはアレクタスにそう答えるに留めておいた。
時間も無いのでアレクタスもそれ以上深く聞く事はせず、2人は開いたハッチから中へと飛び込んだ。
垂直に伸びた縦穴は5メートルほど。簡単な梯子が取り付けられており、非常用の出入り口であろうと思われる。
「もしくは空気取り入れ用のシャフトでしょうか……」
素早く梯子を下りた2人、そこからは左右に通路が延びていた。エーテル発光体らしき照明が使われ、内部は明るい。
片方の通路の彼方に礼子がいるのが見える。どうやらそちらが目的地の方向らしい。
「……しかし、この通路は何なのだ? 床も壁も天井も金属製とは……」
アレクタスが小声で呟いた。
アンは無言で礼子のところへ。ワンテンポ遅れてアレクタスが到着した。
「人の気配がまったくありません。魔力反応はこの先からですが……」
礼子の説明にアンも首を傾げた。そして次の礼子の言葉にはアレクタスも驚愕を禁じ得ない。
「この金属……見たことがないですね」
礼子が、壁に少し触れてから分析結果を述べた。
「えっ?」
「お父さまもこのような金属はご存じないのではないかと思われます」
「魔法工学師でも知らない金属なのか?」
「そういうことですね。いったい誰が作ったのでしょうか」
アレクタスの問いに答えたのはアン。そしてそれとほぼ同時に礼子が叫んだ。
「止まりなさい!」
「えっ?」
3人の目の前で、壁から扉がせり出してきて行く手を塞いだのである。同時に後ろ側も、せり出した扉で塞がれてしまった。
「閉じ込められた!」
「これくらいの扉、破るのは難しくないですが……」
扉を軽く叩いた礼子がそう呟いたとき。天井から、黄緑色の気体が漂ってきた。礼子は瞬時に判断する。
「アン! アレクタスと一緒に完全防御結界を張りなさい!」
その声にアンは、何故、とかの質問をすることも、まして躊躇うこともなく完全防御結界を張った。気体・液体・固体一切を通さない結界である。故に毒ガスもシャットアウトしてくれるはずだ。
反面、中の酸素には限界がある。アンはともかく、アレクタスにとっては時間が限られていた。
「……毒ガスのようですね」
その気体を『分析』した礼子が呟いた。
「……間違いなく、塩素ガスです」
塩素は原子番号17の元素で、目や呼吸器の粘膜を刺激して咳や嘔吐を起こさせる。更には呼吸不全で死に至る場合もある、第一次世界大戦で使われた毒ガスである。
特性として空気よりも重く、塹壕などに籠もった兵士には致命的。
安全に中和させるにはハイポとも呼ばれるチオ硫酸ナトリウム(Na2S2O3)が必要なのだが、ここにそんなものは無い(ハイポは金魚や熱帯魚を水道水で飼う時に使われるカルキ抜きのことである。よって仁も知っていたので礼子や老君にもその知識はある)。
「吹き出し口は……あれですね。『炎玉』!」
冷静に見極めた礼子はまず吹き出し口を溶かし、封じた。次は空気中の塩素である。
「……」
老君とも連絡を取り、対策を練る。
「塩素ガスを水に吸収させる、ですか。なるほど、……頼みます」
老君からのアドバイスを受けた礼子は、続いて老君の支援を期待する。すぐに巨大な氷の塊が転送されてきた。
「さすが老君ですね。まずはこの氷を溶かします。……『加熱』」
1立方メートルくらいある氷が溶け、水になった。更に礼子は熱していく。もうもうと湯気が立ちこめた。
この空気中に充満した湯気は塩素ガスを吸収し、塩酸と次亜塩素酸の混合物となる。これは強い酸性を持つ。
そこで礼子は、桃花を抜き放ち、床に深々と突き立てる。床の未知金属は礼子の力と桃花の強度の前にはボール紙程度の抵抗力しかなく、易々と穴を開けることが出来た。
強酸性の水はその穴から流れ出していき、やがて密室内の空気は無害となった。
「侮れませんね。まずはこの扉を開けさせてもらいます」
桃花を構えた礼子は4連撃を放った。水平に2回、垂直に2回。
扉の金属もまるで紙のように斬り裂かれ、四角い穴がそこに生じる。新鮮な空気が流れ込んできた。
ここで初めてアンは完全防御結界を解除した。アレクタスは何が起こったのか理解できずに、ただ呆然としているだけだ。
「毒の空気を流されたのでアンに結界で守ってもらい、その間に毒の空気を無害化したのですよ」
礼子がごくごく簡単に説明してやった。
「は、はあ……さすが、魔法工学師の自動人形といえばいいのか……」
「とにかく先へ進みましょう。より一層気を付けながら」
そうしてまた通路を先へと進む3人であった。
通路の突き当たりには縦穴があり、下への螺旋階段が付いていた。
「下へ行くしかないでしょうね」
内蔵された魔力探知装置で探る礼子。簡易版とはいえ、魔力の有無は確実にわかるので近距離なら十分実用的である。
「魔法的な罠は無さそうですね」
そう言って、今回も礼子が先頭で螺旋階段に足を踏み入れた。
今回は4メートルほど下っただけで次の階であった。ここもエーテル発光体の照明が付いていて明るい。
とりあえずは何ごとも起こらなかったので、礼子はアンとアレクタスを呼んだ。
「また通路、ですね、おねえさま」
「ええ。目的地はもう少し下のようですが」
「それは、地下深くにあると言うことか?」
「そういうことですね」
1分待って何ごとも起きなかったので一行は目の前に伸びる通路へと足を踏み出した。
天井から先程の酸性水が滴ってくることもなく、進んでいく3人。15メートルほどで通路は右に曲がる。
途中、扉の類は一つも無かった。
「止まって下さい」
先頭の礼子が声を掛けた。
そこから先、床の色が変わっている。今までは灰色だったのが、紫色に塗られているのだ。
「何があるのでしょう」
単なる目印とは思われない。何か意味のある境界を示していると考えるのが妥当だ。
「おねえさま、何か投げてみましょうか」
「そうですね。それでは」
礼子の体内には食べ物を処理、固体化して溜めておく機能がある。球状に固められたそれは一種の武器として使う事もできる。
が、今回は単なる調査用として使うことにした。
ぷっ、と礼子の口から直径1センチほどの玉が吐き出された。玉は放物線を描いて紫色の床に落ちていき、床に触れた途端……。
「!!」
青い火花が走り、玉は黒こげになって床に散ったのである。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20140821 16時19分 表記修正
(旧)直径2センチほどの玉が吐き出された
(新)直径1センチほどの玉が吐き出された
20150713 修正
(旧)中和させるには
(新)安全に中和させるには
(誤)チオ硫酸ナトリウム(Na2S2O4)
(正)チオ硫酸ナトリウム(Na2S2O3)




