12-03 サキ・エッシェンバッハ
歓迎を受けた翌日。
ラインハルトの兄弟たちは、それぞれの任地や職場へ戻っていった。
誰が何をやっているかはあえて聞かなかった仁。それよりも仁には気になっていた事があったのである。
それはずばり、『錬金術師』トア・エッシェンバッハに会うことである。
朝食後、それとなくラインハルトに話をすると、わかってると言わんばかりに頷いた。
「エッシェンバッハ家は近所だからな、安心してくれ」
そう言ってラインハルトは馬車を仕立てようとして、
「ジンの馬車で行くか」
と思い直したのである。
ラインハルトの指示通りに馬車を走らせるスチュワード。仁はそんなラインハルトに向かってすまなそうに言った。
「……ラインハルト、せっかく実家に戻ってきたんだから、俺の相手してくれるのもいいが、ほら、ベルチェさんとか母上とか……」
「はは、気を使ってくれてありがとう。……正直そっちも気にはなるが、ジンの接待は陛下自ら下された役目だからな」
「すまん」
そんな話をしていると、もうエッシェンバッハ家であった。馬車で5分くらい。歩いても10分くらいか。文字通りお隣さんである。
エッシェンバッハ家は、広い敷地に小さめの館。庭には多種多様な木と草が生えて、いや、植えられていた。
「馬車の中でちょっと話したが、変わり者だからな」
ラインハルトにそう言わせるトア・エッシェンバッハとはどんな人物か、仁はわくわくしながら館の玄関へと歩んだ。
「いるといいんだが」
そんな呟きを漏らしながら、ラインハルトは玄関に付けられたノッカーを鳴らした。
「…………」
2分ほど待ったが応答がないのでもう1度。そしてもう1度。
3度目にしてようやくドアが開けられた。
「……うるさいな。今忙しいというのに。……おや、誰かと思ったらラインハルトじゃないか。君なら話は別だ」
ぶっきらぼうな口調でそう言って出てきたのは……おそらくは女性だった。
おそらくは、というのは、シャツにズボン姿で、鼠色に汚れたオーバーオール風のエプロンをしていたので体形がよくわからないからだ。
おまけに化粧もしておらず、髪の毛もまったく手入れがされていない。
焦茶色の髪は肩に掛かるくらいで切られているが、どう見ても切り揃えたとは見えない程不揃いで、櫛もブラシもかけていないとみえ、ばさばさであちこち跳ねている。
瞳は綺麗な紫グレイだが、視力が弱いらしく、すぐしかめ面になるので気むずかしい印象を与えていた。だが、その声は女性のものであった。
背は仁と同じか僅かに低いくらい。やせ気味で、ラインハルトが見向きもしないような胸サイズ。
歳は……仁と同じくらいに見えた。
だが、驚いたことには、顔の右半分が赤く腫れあがり、見えている右腕も同様に赤くなっていたのである。
「サ、サキ! その顔! 手! いったいどうしたんだ!」
慌てふためくラインハルト。仁はとりあえず治療をした方がいいと思い、ラインハルトを押しのけるようにして魔法をかけた。
「『治療』」
だが、赤みが多少引いただけで治りきらない。治癒魔法が適正でないのである。それで仁は礼子を顧みた。
「礼子、頼む」
「はい、お父さま。……『治療措置』」
高度の治療魔法だ。これにより、赤く腫れていた皮膚はもとの色に戻り、爛れかけていた患部もきれいになった。
「……驚いた。今のは高度治癒魔法じゃないか。しかも我が国式の詠唱だ! レーコちゃん、いつの間に憶えたんだ?」
魔力性消耗熱騒ぎの時にエルザが使った魔法である。それを礼子も取得していたのだ。最高位の治癒魔法、『完治』まで使えるようになっている。
仁がそれに答えるより早く、眼前の女性……サキと言うらしい……が仁に礼を言ってきた。
「これはこれは、すっかりきれいに治していただいて、感謝するよ、お客人。……ラインハルト、紹介してくれないのかい?」
そう言われてラインハルトも気持ちを切り替えたようだ。一旦仕切り直すことにする。
「ああ、こちらはジン。僕の友人で、エゲレア王国の名誉魔法工作士であり、先日、魔法技術者互助会名誉会員となった。僕以上の腕前さ」
「ほほう! それはそれは! よろしく、ジン! ボクはサキ。サキ・エッシェンバッハ。ラインハルトの幼馴染みだよ。サキと呼んでくれたまえ」
仁は『ボクっ娘って実際にいるんだなあ』という感想を抱きながら改めて名乗る。
「ジン・ニドーです。どうぞよろしく」
「堅いなあ! もっと砕けた話し方で頼むよ。ボクは堅苦しいの苦手、いや嫌いなんだ」
「わかった。サキ、よろしくたのむ」
仁がそう言い直すとサキは嬉しそうに頷いた。
「うんうん、それでいい。……で、ラインハルト、今日は父に用があったのかい?」
「うん、ご在宅かな?」
だがサキは首を横に振った。
「父は相変わらずさ、一昨日飛び出していったよ。今ごろはハリハリ沙漠か、クリューガー山脈か……」
「まったく相変わらずだな……」
サキの返事を聞いたラインハルトは呆れ顔であった。
「それで、父に何の用事があったんだい?」
サキは仁とラインハルトの顔を交互に見ながらそう尋ねた。
その質問に答えたのはラインハルト。
「いや、ジンが錬金術に興味があるというんで紹介しにきたんだ」
その答えにサキは食い付いた。
「そうか! ジンも錬金術に興味があるかい! それならちょうどいい! 2人とも中へ入りたまえ」
そう言ったサキは2人の返事も聞かず、家の中へ引っ込んだ。仁とラインハルトも苦笑しながら彼女に続いた。
「そういえば、ラインハルト、無事帰って来たんだね、良かった良かった」
廊下を歩きながらサキは思い出したようにそう口にした。
「相変わらずだな、サキは。お嫁の貰い手が無くなるぞ」
苦笑いしつつそう返すラインハルト。現代ならセクハラと言われるようなその発言も、サキは笑って受け流した。
「くふふ、その心配は無いさ。なにせボクはお嫁に行く気なんてこれっぽっちもないからね」
そう言ったサキは突然振り返ると、
「そう言えば、ベルチェ嬢と婚約したんだったっけね、おめでとうと言わせてもらうよ」
そう口にした。
「はは、ありがとう、サキ」
ラインハルトは笑ってそう答えていたのだが、仁は振り返ったサキが浮かべている笑みが何となく悲しげな気がした。だがすぐにサキは前に向き直ったので、気のせいかとも思い、口には出さずにいたのである。
そのサキは廊下の突き当たりのドアを開けて、
「さあ、着いた。ここがボクの実験室だ」
と、仁に向けて言った。ラインハルトは何度も来たことがあったようで、
「ここへ来るのも久しぶりだな」
と呟いていた。
ドアを開けて中へ入ると、一種異様な臭いが鼻を突いた。
見れば、手桶くらいの容器が幾つか作業テーブルに並び、中には何か液体が溜まっている。臭いはそれらの桶から漂ってくるようだ。
いろいろな液体の臭いが入り混じって、一種独特の、すえたような臭いになっていた。
「…………」
その中に、馴染みのある臭いをかぎ分けた仁は、桶の並んでいるテーブルに近寄った。
「ああ、ジン、気を付けたまえ。ボクがあんなことになったのもその一番左の樹液に触れたからなんだ」
「え?」
仁はその桶を覗いてみた。黒い液体が溜まっている。そっと桶を揺すってみると、かなりの粘度があることがわかった。
「ふうん……」
心当たりはあったが、仁が、いや仁の鼻が嗅ぎつけたのはその桶ではない。その2つ隣の桶である。
そこには僅かにアメ色がかった液体が。仁はその液体の匂いを改めて嗅いでみた。
「……うん、間違いない。分析するまでもない、これはメープルシロップだ!」
すると、それを聞いたサキは足早に近寄ってきて、仁の両肩を掴んだ。
「ジン、君はこれが何かわかるんだね!」
「あ、ああ。俺の所ではメープルシロップと言って、サトウカエデの樹液を煮つめて作る甘味料だけど……」
仁がそう言うと、サキは仁の肩を掴んでいた手を離して、
「ラインハルト! 聞いての通りだ! この『メープルシロップ』は、砂糖の代わりもしくは砂糖と並ぶ甘味料になる!」
と、ラインハルトに向かってそう叫んだのである。
ラインハルトは慣れっこなのか、
「ああ、わかったよ。資金を出して、量産体制を作れ、というのだろう?」
と苦笑しながら答えた。その答えにサキは満足したようだ。
「くふふ、分かってるじゃないか。さすがボクの幼馴染みだ。いいかい、この『サトウカエデ』の木は、トスモ湖湖畔にたくさん生えている。そこから採れる樹液を煮つめるだけでいいんだ!」
嬉しそうに語るサキだったが、仁は一言言わずにはいられなかった。
「あー、甘味料にするなら、もっと煮つめないと駄目だと思う」
また濃いキャラが出て来ました……。
お読みいただきありがとうございます。
20140207 13時53分 誤記修正
(誤)振り帰ったサキ
(正)振り返ったサキ
20140207 19時12分 誤記修正
(誤)いや、仁が錬金術に興味があるというんで
(正)いや、ジンが錬金術に興味があるというんで
20140208 21時59分 誤記修正
(誤)砂糖の変わりもしくは砂糖と並ぶ甘味料になる
(正)砂糖の代わりもしくは砂糖と並ぶ甘味料になる
20140209 10時45分 脱字修正
(誤)館玄関
(正)館の玄関
20151013 修正
(誤)名誉魔法工作士
(正)名誉魔法工作士
20180830 修正
(誤)瞳は明るい鳶色だが、視力が弱いらしく、すぐしかめ面になるので気むずかしい印象を与えていた。
(正)瞳は綺麗な紫グレイだが、視力が弱いらしく、すぐしかめ面になるので気むずかしい印象を与えていた。
20200416 修正
(旧)魔法技術者互助会名誉会員となった」
(新)魔法技術者互助会名誉会員となった。僕以上の腕前さ」




