11-40 置き土産
ラルドゥスが消えていったシャマ大湿原を眺めていたデネブ30であったが、短剣を一刻も早く老君に届けるべく、身を翻して走り出した。
目指すはカイナ村。なぜならばそこには転移門があることに加えて、今、仁がいるはずだからだ。
現在時刻は午前9時頃。
カイナ村までは直線距離で80キロほど。湿原のほとりは足場が悪いのでやや速度が落ちるが、それでも2時間ほどで辿り着けるはずであった。
が、その足取りが急に遅くなる。
「!?」
気が付けば、デネブ30の左足首が僅かに損傷していたのである。
「『Distruzione』とかいう魔法の余波ですね……余裕を持って避けたはずなのに」
効果範囲が思ったよりも広かったようだ。
「……これでは満足に走れません……」
仕方なく、デネブ30は老君と連絡を取ることにした。
「ラルドゥスとかいう男の魔法がかすめたため、左足首を損傷してしまいました」
『了解。カイナ村から迎えを出しましょう』
老君はそう請け合った。
デネブ30の居場所は魔力探知機で特定されていたから、カイナ村からの救援ゴーレム、ランドY、Zとは2時間ちょっとで合流することが出来た。
短剣はランドYに渡す。ランドYは単身全速力でカイナ村に帰り、そこの転移門を使って老君に短剣を届け、デネブ30はランドZが抱えてカイナ村へ帰る、という事になる。
必要な情報は全て老君に伝えられているが、何があるかわからない。ランドZとデネブ30は急ぎカイナ村を目指した。
一方、老君は『相変わらず人間は弱いものだな』という言葉に引っかかりを憶えていた。
それで、ラクハムに残っているはずのデネブ29に連絡を取る。
「ちょうど連絡を取ろうと思っていたところです」
驚くべき事態が発生していた。
『ワルター伯爵が病死したというのですか?』
「はい。倦怠感のあと高熱を発し、さらに身体中に激痛が走るらしく、苦しみぬいたあげく……」
老君は、この先いろいろと伯爵をいびるような作戦を考えていたのだが、それが全て無駄になったことを知る。だが、それでがっかりしたりすることはない。
『自業自得。人を呪わば穴二つ、ということですね』
その言葉を最後に、老君は思考を切り替えた。
リシアの体調不良とワルター伯爵の病死。その2つには、ラルドゥスが関わっていると思われた。
『御主人様に報告しなければいけませんね』
そこで老君は、礼子と連絡を取った。
* * *
温泉で朝風呂を楽しんだあと、仁はリシアとパスコーと共に二堂城で朝食を摂った。流れでエルザも一緒である。
エルザのテーブルマナーは教科書のように整っている。それを見たリシアとパスコーは感心した顔で見つめていた。
「え、エルザさん、でしたっけ、とてもお上品なんですね……」
心なしかパスコーの顔が赤い。一方、リシアは素直に称賛。
「うわあ、エルザさんってお淑やかですね。貴族のご令嬢と言っても通用しますよ」
通用するも何も、元令嬢なのだからあたりまえであるが、仁もエルザもそんなことは口に出さない。
「……父が厳しい人だったから」
ただ、ぽつりと、そう呟いたエルザ。その声音に何かを感じたらしく、2人ともそれ以上この話題を口に出すのは止めた。
朝食後は、カイナ村を案内する。仁は愛ゴーレム馬『コマ』、エルザは同じく『スノウ』で。
そしてリシアとパスコーにはそれぞれ『アイン』と『ツバイ』に乗ってもらった。
「わ、わ、こう……ですか!?」
「うわわわっ! くっ、こうすればいいのかっ!」
最初こそ操縦に面食らっていた2人だったが、30分もすると慣れ、歩かせるくらいなら問題無くできるようになった。
そこで4人揃ってカイナ村巡りだ。4人と言ったが、仁の前には礼子が乗っている。
出発地点は二堂城。つまりエルメ川のほとり。
まずは、一旦エルメ川の川原へ。そのあたりは、淵と瀬が隣り合っており、景色がよい。
「少し離れたあのあたりで魔石が採れます。コンロの魔力源として村のいい収入になっているんですよ」
「ああ、ここで採れるんですか」
リシアの家でもラグラン商会のコンロを2基使っていたので、魔石砂はお馴染みであった。一方でパスコーはコンロを知らないようだった。
エルメ川の次はカイナ村に戻る。橋から村へと続く道をゆるやかに上って行くと簡単な木の柵があり、その中が正式なカイナ村である。
柵の中、左手に麦畑が見えてきた。その奥は針葉樹の森。
「あそこの麦畑は小麦を作っています」
仁が説明する。
村の中は、土が痩せているなどの理由で多少遊んでいる土地はあるが、基本は家か畑、もしくは資材置き場など、有効に使われている。
「野菜畑は基本自分たちで食べるために作ってます」
作られている野菜は菜っ葉の類が多い。種まきから収穫までの期間が短いからだ。
そして4人はマーサ邸の前までやって来た。
「ここが元々、俺がお世話になっている家です。リシアさんは知ってますよね」
「ええ」
「元々の工房を拡張して、家も建て直してます。まあ、こちらが自宅ということですね。エルザはこちらに住んでます」
もう少し進むと村長の家になる。
「ご存じの通り、俺の代官として、実質村を取り仕切ってくれているギーベックさんの家です」
ここで仁は中央通りから外れ、東へと向かった。
「この先は……麦の貯蔵庫ですよね?」
昨年、徴税官としてやって来たリシアはそこを憶えていた。
「ええ。でももう一つあるんですよ」
そう言って仁はこんもりと盛り上がった『雪室』を指差した。
「あれは?」
「雪室といいまして、簡単に言うと、穴を掘り、そこに冬に降った雪を貯めておいて、野菜類を保存する場所ですよ」
そう説明するうちに、雪室が近づいてきた。雪室の前にゴーレム馬を駐め、降りる4人。
仁は雪室の扉をそっと開けた。
「あまり大きく開けると中が温まってしまいますのでね」
そう言って中に入っていく。エルザ、リシア、パスコーの順に続いた。仁は光の玉を出して足元を照らす。
「ほんとに雪が貯まっているんですね……少し寒いですけど、これはすごいです!」
目の前にある大量の雪と、そこに空けられた穴に貯蔵されている肉や野菜。リシアは感嘆の声を漏らした。
「ジンさんはいろいろな事をご存じなんですね。そしてそれを村のために役立てている。尊敬しちゃいます」
リシアがそう言って仁を褒めたが、パスコーは悔しそうな顔で仁を見つめていた。そんな時である。
「お父さま、何か緊急事態が生じたようです」
小さな声で礼子がそう告げた。
「何!? 詳細は?」
「はい。……病気のことだそうです」
リシアとパスコーが一緒なので、礼子は極力ぼかした説明をした。だがそれで仁には十分伝わる。
「わかった。リシアさん、パスコー殿、申し訳ないが、一旦戻りたいんですが」
仁がそう告げると、パスコーは何が何やらわからない顔をしたが、リシアは頷いてくれた。
「はい、ジンさんがそう仰るなら、何か大変な事があったのでしょう。私たちには構わず、急いで戻って下さい」
「ありがとう。それじゃあ、先ほど案内したマーサさんの家にある俺の自宅へ来て下さい。エルザはお二人を頼む」
仁はそう言うが早いか、礼子と共に雪室を出ると、仁はコマに飛び乗り一目散に家を目指した。礼子は仁の前に飛び乗った。
まだゴーレム馬に慣れないリシアとパスコーはエルザのエスコートでゆっくりと戻ることになった。
* * *
「……ワルター伯爵が病死!?」
走りながら、礼子を通じて報告を聞く仁。
『おそらくですが、伯爵の所にいたラルドゥスとかいう謎の男の正体は魔族です。ですが今重要なのはそこではありません』
魔族。魔導大戦で人類が存亡を賭けて戦ったという不倶戴天の敵。だが老子はそれは今重要ではないという。仁はコマを走らせながら先を促した。
『奴の置き土産が問題なのです』
「置き土産?」
『おそらくは伝染病』
「何だって!?」
『先日、リシアさんが発症した病気と同じものです。伯爵は手当てが遅れたものと思われます』
仁が危惧した、最も悪い可能性が現実になろうとしていた。
パンデミック!?
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