08-09 惨劇
エルザとミーネを乗せた船が川の3分の1ほどまで来たと思われる頃。
突然渡し屋が船を漕ぐ手を止めた。船は進むのをやめ、川の流れに乗って下流へと下り始める。とはいえ、トーレス川の流れは遅い。人が歩く4分の1くらいの速度であるが。
「どうしたんですか?」
ミーネが怪訝そうな顔でそう尋ねると、
「へへへへ……」
渡し屋の嫌らしい顔がそこにあった。嫌な予感に思わずエルザの肩を強く抱き寄せるミーネ。
「!?」
そのエルザが突然のけ反った。見ると、船に潜んでいたらしいもう1人の男が、エルザの口に何か突っ込んでいたのだ。
「お嬢様!」
「へへへ、こっちのお嬢さんは魔法使うらしいからな。詠唱されちゃあかなわねえ」
「あ、あなたたち!」
ミーネは懐に隠していたナイフを取り出した。
「おっと、危ねえな」
だが、渡し屋が手にした櫂でミーネの手を打つ。
「つっ!」
その一撃でミーネの手からナイフは落ちた。手首がぶらんと垂れ下がっている。骨が折れたようだ。
「年増は寝てな」
渡し屋は更にその櫂でミーネの頭を打つ。鈍い音がし、
「お……じょうさ……ま」
その言葉を最後にミーネは意識を手放した。
「!!!!」
エルザは声にならない声を上げて暴れようとするが、口に布きれを突っ込まれたため魔法発動の詠唱が出来ない上、両腕を後ろ手に捻りあげられてしまい、その痛みに暴れることも出来なくなった。
「ふへへ、上手くいったじゃねえか」
「ああ、今夜の客は貴族のお嬢様だっていうからな、久々の上物だぜ」
渡し屋は、密かに川を越えようとする者達を渡すだけでなく、時折こうして攫い、どこかへ売り飛ばしたりしていたのである。今回の獲物はエルザであった。
「まずは俺たちで楽しむとするか」
「ああ、こんな機会滅多にないからな」
エルザの腕を捻りあげていた男は、何か手錠のような物を使って腕をそのまま固定してしまった。
捻りあげられた肩と肘の痛みに呻くエルザ。だが男達はそんなエルザをにやにやして見下ろしていた。
「へへへ、普段馬鹿にしている庶民にやられる気分はどうですかい、貴族のお嬢様?」
「庶民だって、このくらいのこと、出来るんだぜぇ」
(ちがう、私は庶民を馬鹿にしたことなんてない)
そう口にしたくても出来ないエルザ。
渡し屋がエルザの胸を掴んで来た。
(気持ち、わるい)
身体を捻ってその手から逃れようとするエルザだったが、
「あまり暴れると船から落ちるぞ」
そう言ってもう1人の男はエルザのお腹の上に馬乗りになってしまう。
(ぐ、くる、しい)
成人男性1人分の重さをはね返す事など出来ず、更には呼吸も苦しくなり、エルザの抵抗は次第に弱まっていった。
「おや? もう抵抗は終わりかい? それじゃあそろそろいただくとするか」
渡し屋の方がそう言って舌なめずりをする。
(いや、だれか、たす、けて)
必死にそう叫ぶエルザであるが、口に詰められた布のせいで漏れ出るのは呻き声だけ。
「うへへ、まだこれから、って胸だなあ」
渡し屋はそう言いながらエルザの胸に手を伸ばしてきた。
(ライ、兄……ジン、くん……)
いつも自分を守ってくれた彼等はもういない。そこから逃げてきたのだから。
「エルザ!」
その時、目を覚ましたミーネが体ごとぶつかったため、渡し屋は船の中に倒れ、エルザはほっとした。
「ち、こいつ、もう目を覚ましたのか」
エルザに馬乗りになっていたもう1人の男が忌々しそうにそう言い、先ほどミーネが取り落としたナイフを拾い上げた。月光にナイフの刃が光る。
(まさか? ミーネ、逃げて!)
そう言いたくても声に出来ないエルザは、ミーネの腹部にナイフが突き立てられるのをただ見ていることしか出来ないでいたのだった。
(うそ、うそ、ミーネ……)
「ぐ、ふ……え、る、ざ……」
ゆっくりと倒れこむミーネ。
「こいつを川に投げ込んだらゆっくり相手してやるからな、エルザお嬢様」
そう言って渡し屋はミーネの足を掴み、船縁から川の中へと投げ込んだのである。
(あ、あ、あ……)
エルザが絶望しかけた、その時。
「うっ!?」
不意に彼等を照らした光があった。
「ば、馬鹿な!」
「黒い哨戒艇、だと?」
それはこの川で哨戒艇と呼ばれる快速艇であった。ゴーレム3体が櫂を漕ぎ、普通の船の1.5倍の速度を出せる。
その真っ黒な船体は渡し屋も見たことのないものであった。そのため接近に気付かなかったのか、とも思う。真実は『隠身』の魔法によるものだったのだが。
「か、勘弁してくれ」
「そ、そうだ! 月に5人までは見逃してくれる約束じゃねえか!」
渡し屋はセルロア王国の警備隊と何か裏取引があるらしく、必死にそう言いつのるが、黒い哨戒艇に乗った者達は無言を貫いていた。よく見ると全員黒い服に黒い覆面を付けていた。
「な、なあ、貴族様をやろうとしたのがいけねえのか? まだだ! まだやっちゃいねえよ! だから勘弁してく……」
そこまでだった。一瞬煌めいた白刃で、渡し屋の男の首は身体を離れて川の中へと落下したのである。
「!」
目の前で血飛沫が上がり、エルザは目を閉じた。
「お、俺もか? いやだ! いやだあ!」
エルザに馬乗りになっていた男は叫びながら川へ飛び込んで逃げようとする。
その背を風魔法『風の斬撃』が襲う。
「ぐ、あ……」
背骨まで断ち割られた男はそのまま船縁から川へと転落した。
「…………」
目の前で起きた惨劇があまりにも生々しく、エルザは助かったという気が全くしなかった。
だが、黒い哨戒艇の面々は、無言でエルザを船から哨戒艇へと移し、腕を拘束していた拘束具を外す。
ようやく腕の痛みから解放されたエルザは、口中に突っ込まれた布きれを自分で取り出そうとした。
「おっと、その前にこれを付けてもらおうか」
初めて聞こえた声、それは無慈悲な行為と同時であった。
「え」
エルザの首に、チョーカーのような物が巻かれ、金属音がしたかと思うと、布きれを取り出したにもかかわらず、エルザは声が出せないことに気が付いた。
「……!」
「ん、ちょっときついか。少し待て。……これでどうだ?」
目の前の男が何かをしたらしく、苦しいながらも何とか声が出せるようになった。
「あなた方、は、だれ? たすけて、くれたんじゃ、ないの?」
やっとの思いでそう言うと、エルザの目の前にいる男は覆面越しににやりと笑って、
「助けましたさ、エルザお嬢さん。我々に協力してくれれば、もっと楽にしてやろう」
そう言ったのである。それを聞いたエルザは顔を顰める。が、ミーネのことを思い出し、
「ミーネ! ミーネ、を、たす、けて」
と懇願したのである。
「ミーネ? ああ、あの裏切り者の侍女か」
男は小船の周りを目で追うが、ミーネの姿は川面に見あたらない。
「流されたか、沈んだか。どちらにせよ主家の令嬢を連れ出すような不忠者はいない方がいい。放っておけ」
と、配下の者に命令した。
「はっ」
それを聞いたエルザは真っ青になり、
「そ……そん、な、お、おね、がい、だか、ら」
そう言って苦しい声で懇願する。だが、男はそんなエルザの願いなど無視した。更にエルザの手足にはあらためて拘束具が付けられる。
「あまり長くこの水域に留まっていて警備の者に見つかっても面倒だ。目的は達した。引き上げよう」
長らしい男はそう命令を下し、黒い哨戒艇は高速でそこを離れたのである。
残されたのは首のない渡し屋の体を乗せた小船だけだった。
一難去ってまた一難。エルザの運命はいかに?
お読みいただきありがとうございます。
20150630 修正
(誤)その傷みに暴れることも出来なくなった
(正)その痛みに暴れることも出来なくなった




