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82/84

その82

 夏空にはまだ青みが残っていて、夕焼けには間があるようである。

「チャリで行こうぜ。それか、お袋いるから車で送ってもらうかさ」

 大和の提案を、結子は却下した。自分の足で歩いていきたい。そうしないとウソだという気がしたのである。

「三十分くらいかかるぞ」

「三時間じゃなくてよかったね。じゃ、行きましょう。案内、お願い」

 大和は、ふう、と息をつくと、明日香に、

「家で待ってるか?」

 訊いたところ、もちろん、拒絶の身ぶりが返された。それにしてもそんな質問をするとは、カレシが他の女とどこぞに行こうとしているのに、それを見過ごしにするようなそんな生ぬるい女の子だと思っているのだろうか。

「アスカをバカにしないで、ヤマト」

「バカにしているのはあなたでしょう」

 二人の少女の掛け合いを、大和は微笑みながら見ていた。

 よっぽどそのニヤケ面をやめろ、と言ってやりたい結子だったが、今は依頼をしている身であるし、明日香もいるしで、やめておいた。

 大和を先に、その隣に明日香がついて、結子は二人の後を追った。

 この道はいつも恭介が、学校帰りにカノジョを家まで送ってきたあと、自宅まで帰る道である。いつも彼が通っている道だと思えば、結子の胸は何とはなしにドキドキした。大和の話によると三十分ほどかかるというわけだから、恭介はここから一人で三十分もの間、家路を辿っていたわけである。学校から直接家まで帰ればずっと短い時間で済むところ、カノジョの為にわざわざ苦しい思いをしていたというわけで、結子は、そうさせていた自分に、させていて大して悪いとも思っていなかったその鈍感さにはっきりと呆れた。

 そよ風が心地よい昼下がりである。

 この道が導いてくれる場所にいる人のことを考えずにはいられない。

 寛大で、友だち思いで、何よりこれが一番大事なことだけれど、付き合っているカノジョのことを大切に思ってくれている。得難い人だった。キスの件はいまだ許せないけれど、結子は思うのだ、そういう風に許せないことができるということが、本当に好きになったというそのことなんだろうと。

 恭介が自分と付き合っているということをどこか醒めた目で見ていた自分は、結子の中から既にいなくなっていた。いついなくなったのかは分からないけれど、彼が付き合ってくれているということは結子の中で現実になった。ここからが本当のお付き合いの始まりで、しかし、それを始める前に為すべきことが結子にはある。それを今から為しに行くのである。

「とても仲直りしに行くような顔とは思えないんだけど」

 前を歩いていた大和が立ち止まって、振り向いている。

 結子はにこぉと微笑んでみせた。「じゃあ、こんな顔でいい?」

「もっと悪くなった。本当に仲直りするんだよな?」

「するよ」

「ならいいけど」

「そんなことよりさあ、あんたの手は一体何の為にあるの? お茶碗取るためオンリー?」

 結子が言うと、大和は渋い顔をした。そのあと、明日香に手を差し伸べる。

 明日香は迷うような素振りを見せて、そのあと結子に対してキツイ目を向けてきたが、結局は、大和の手を取ることに決めたようである。

 差し出されたほっそりとした手を取る大和。

 二人仲良くランランと手を握って歩くのを後ろで見ながら、結子は羨ましい気持ちを持ったりはしなかった。バカップルをうらやんでいる場合ではないのだ!

 そのまま歩くこと十五分ほどして、いまだ日は落ちず、一行がこの町に数多くある公園の一つに差しかかったとき、その出入口付近に、立ち話をしている一組の男女の姿があった。

 結子は男の子の方が自分のカレシだということにすぐに気がついた。そうして、そのすぐそばにいる少女が学校一の麗人だということにも。結子は、二人の姿がまるで一幅の絵画のようにバッチリときまっているのを見て、嫉妬を覚えるとともに、深く納得するような気持ちも覚えていた。

「アサちゃん」

 少女が園内に一声かけると、彼女の妹だろうか、小学一年生くらいの女の子が駆けて来て、そのあと、彼女は結子たちに向かって一礼してから恭介にも一声かけて、速やかにちっちゃな子とともにその場から退場した。

 恭介がまっすぐに結子を見ていた。

 結子はその視線を受け止めてから、ちらりと大和を見た。

 見られた大和は視線を逸らした。

 結子は、この「仲直り」の件について、大和が恭介に情報を与えたことを確信した。

「じゃあ、オレたちはこれで」

 大和が明日香をともなって来た道を帰ろうとするのを、結子は止めた。

「終わるまで二人ともここにいて」

 そう言って、二人をとどめてから、結子はつかつかと歩いていくと恭介と一歩の距離に立った。

 園内からは子どもの元気な声が響いて来ている。

「別れて欲しいの、キョウスケ」

 目前の端正な顔立ちに向かって、結子はさらりと言った。

 それはほとんど力みのない言葉である。

 結子は満足した。

 それに対する恭介の答えは、

「嫌だね」

 予想通りであり、こちらにも満足した結子だった。

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