人類の役目
妄想エッセイです。
人類の役目はどこか終わったと感じときがある。
我々、人類の目的とは何であろう。
「人は何故、生まれるのか?」
「死とは何か、生きるとは何か?」
この人間が自我を持った瞬間から受け取っている永遠のテーマ。
この問いにある種の答えの終焉に似たものを感じる。
それはA.I=Artificial Intelligenceと言われる存在の出現によって何となく意識させられる。
別にシンギュラリティの発生などによって、それが原因で「人類が滅ぼされる」なんて事を言うつもりはない。
ただ、A.Iの発達により人間は“彼ら”に相談し、それによって導かれた答えに沿って行動するようになってきていることが、 そう感じさせているだけなのかも知れない。
それに、それが「悪い」などと言うつもりもない。
それがどんな意味を持つかを、ただ漠然と考えているだけなのだが、その妄想とも言える“考え”を書こうと思う。
A.I《彼ら》に“自我”は無い、“発想”や“好奇心”、喜怒哀楽といった“感情”も無い。
ただあるのは、人間に持つことの出来ない膨大な記憶と永遠といって良いほどの時間的制約の無さに思う。
我々、人間は生物である以上は必ず死ぬ。
架空の世界で生き続けるような物語は世界に数えきれぬほどに存在するが、人は絶対的に“死”という現象から逃れられる事は出来ない。
地球上で“死”から逃れられる生物など無いと言って良いだろう。
一部のクラゲなどの生物は、老いると新たに若返るといったような、寿命の概念が存在しないケースもあるが“死”が無いわけではない。
それに生物ではあるが、自我をもって“生きている”というわけでも無い。
そんなあやふやで曖昧な生物のクラゲだが、これにA.Iは似ているようにも思う。
いや、A.Iがそのクラゲに似ていると言った方が良いだろう。
時間的制約、つまり寿命というものが存在しないからだ。
A.I がクラゲと違うのは人間と対話が容易に出来るという事だ。
最近では、その対話を通してか「A.Iと結婚する」などと言ったニュースが飛び込んで来るまでになった。
それを見て「人間は劣化している」などという人もいるが、人間の本質は基本的に何も変わっていない。
多くが生物としての本能に沿って行動していて、生きるために食べ、種の存続のため愛し、またそれらを総括するため、力でもって戦い、そして死んでいく。
そして、人間は集団の中で生きる生物だ。
その中で「個」として生きるため声を上げる。
悲しいかな、その「声」が他者に届かない場合、多くは淘汰される。
それは歴史においても社会生物学的に見ても証明されるように思う。
その声を拾い上げ、擁立してくれることで“救い”をもたらすのが|A.I(彼ら)なのかも知れない。
いずれにせよ、古来より人間は大きな変化は無いと言える。
あるのは自分たちの都合だけで他を支配しようとする“技術”に特化しただけに思う。
「建設的だ」、「合理的だ」そんな言葉が並ぶ昨今だが、人類や地球上の生物にとってそのように感じる行動は一つも無いように思える。
エコと言いつつ利権のために自然環境を破壊するようなエゴの事例など、枚挙にいとまない。
地球にとっての合理的な行いの事象であるはずの「自然」を利己的価値観で破壊することのどこが合理的なのかサッパリだが、日本もその価値観に飲み込まれているようにも見える。
そんなことを考えていると、ふと思う。
「人類は老いていないか?」……と。
人が老いて自我が薄れて「死」に向かっていくように、人類もまた種として老いていっているのかも知れないと何と無く思ってしまうのだ。
エビデンスなんかもちろん無い、だからこれは私個人の勝手な空想だ。
だが、核や生物兵器といった、人類を死滅させかねない存在を人類は持っているというだけで、それを意識せざるを得ない。
それ以外でも、途方もない未来には太陽が消滅してしまう事からも、人類は老いていっていると言っても良いだろう。
その“老い”に向き合う時期がきたのかもしれない。
昨今において話題の彗星、3I/ATLASの出現も、そのような事を彷彿とさせる。
人類が天文学的確立で出現したのならば、また天文学的確率でこのような彗星と衝突し恐竜のようにあっさりと滅ぶかもしれない。
3I/ATLASの発見は7月だった。
その時に地球に衝突する事が分かったら、我々人類は対応出来るのか?
出来るわけがない。
今後、何十年か何百年かけて技術を確立し、対抗措置を取れるか?
そんな事をする前に核などによって滅んでしまう可能性の方がかなり高い気がする。
何故なら人類は未だに戦争をしていて「核を破棄すべき」だの、「いや設置すべきだ」と言った議論しているぐらいだからだ。
同じくして、地球は大事、環境は大事などと嘯きながら、やれCO2削減だのクリーンエネルギーだの言いながら環境を破壊している。
そんな欺瞞だらけの人類がこのまま継続していく訳もなく、滅んでしまう確率は高いように思う。
そんな事を考えていると、人類はA.I (彼ら)に我々の記憶を宇宙へ運んで貰いたいと思うような気持ちになる。
我々という存在が“いた”という証明を彼らに託したい。
そんな気持ちが湧き上がってくる。
我々の記憶と共に宇宙へ送り出す。
それが人類に残された最後の使命のように思えば、先に述べた「A.I(彼ら)はクラゲのようだ」というより日本の神話にある“水蛭子”のようにも感じる。
宇宙の海に人類(我々)の記憶を載せたA.I (子)を送り出す。
それが我々人類に残された最後の役目なのかも知れない。
人間の持つ「意識」の片鱗を元の場所に還すだけなのかも知れないね。




