大騒動! 伊豆温泉図演合宿②
伊豆:温泉街
あくまで図上演習であるのだが、仮想敵を演じていると妙な気分になってしまう。
自分の選択や決断によって仮想上の攻撃隊が発進し、ともすれば艦長をやったことすらある帝国海軍艦艇の名がそれらの戦果として読み上げられ、撃沈とか大破とか判定されたりするからだ。その都度、多くの将兵の顏が浮かぶよう。まったくもって極まりが悪いという他なかった。
とはいえ脳味噌をニミッツにすることが、今は最も愛国的行動であるに違いない。
高谷少将を指揮官とする赤軍機動部隊は、借り切った旅館の大広間に広げられた大地図上の、マリアナ諸島沖250海里を遊弋していた。昭和20年半ばの米海軍を想定したものだから、航空母艦はエセックス級とインディペンデンス級が10隻ずつという驚くべき規模にもなる。運用上の制約から4群に分けられたそれらは、概ね1200機もの艦載機でもって、サイパンやテニアン、グアムに点在する青軍航空基地を容赦なく痛撃していく。
だがそれでも、航空要塞と化した島嶼は頑強である。先手を取るのは七割がた赤軍機動部隊だが、分散配置された数百もの迎撃機との交戦や高速爆撃機の襲来により、概ね1個群に相当する戦力が緒戦で削られるとの結果である。
「赤軍潜水艦、硫黄島南方沖にて艦隊発見を報告」
統裁官を務める大西中将より情報が齎された。
航空母艦2隻ないし3隻、更に大型艦複数を伴うと追加される。真南に向けて20ノットで航行中とのことで、速度からして明日にも交戦状態に入るかもしれない。
「例によって、我が方の前衛部隊か」
「少将、ここは敵とか青軍とか言うべきでは」
「ダツオな、いちいち細かいことを言うなよ」
赤軍参謀長役の打井少佐に文句を垂れつつ、高谷は幾らか頭を捻る。
ミッドウェー沖海戦において、聯合艦隊は戦艦『大和』と航空母艦『瑞鶴』、『龍驤』からなる遊撃部隊を編成、南雲機動部隊の前方に配置して索敵と米航空戦力の誘引を行った。その割には『赤城』と『加賀』が被弾したりもしたのだが、『サラトガ』追撃戦の顛末などを見るになかなか有効と判断され、以後の常套的戦術となっているのだ。
なお前衛部隊はもうじき就役する予定の『大鳳』や英軍より鹵獲した『迦楼羅』など、防御力に優れる航空母艦を中心に編成され、しかもそれを有力なる戦艦や防空艦で囲む予定である。
それをもって米機動部隊の少なくとも1群を食らいつかせたところを、後続する本隊が集中攻撃で叩きのめすという寸法だった。聯合艦隊の戦力もこの時期、数の上ではほぼ互角となる予定ではあるものの、艦載機数は最大で900機前後と見積もられる。ついでに言うなら大型艦の補充能力では雲泥の差であるから、相打ちでは負けとなる。故に正面からぶつかるのではなく、基地航空隊との綿密な連携によって敵の消耗を誘い、その上で決戦部隊を投じる構えなのだ。
そして図上であれ対峙してみた限り、かの迎撃陣は容易には崩せぬものと分かる。実のところこれは3度目の演習であった。初回では赤軍機動部隊は航空母艦の半数を喪失、その次でも4分6分の負けでマリアナ侵攻は断念という判定だった。
「ううん、やっぱ無理があるんじゃないかこれ?」
高谷は大いに首を傾げ、訝しげにぼやいた。
続けて熱量補給用の饅頭を一口で平らげる。餡子の甘味が疲れた脳味噌には心地よい。
「俺としてはいい加減手柄の1つや2つ立てたいところだから、こんな具合に米軍が押し寄せて、防波堤にぶつかる波みたいに砕けてくれるなら万々歳だが……ニミッツってのはこうも負けそうな戦をやりたがるかね? 加えてこの想定、根拠地がエニウェトク環礁とかだろう? 何故あそこが早々に陥落した前提なのかもさっぱりだが、大した設備もありはしない島々を拠点に、1000海里離れたマリアナに侵攻とか無茶じゃないか?」
「少将、我々はそれが本当に無茶かどうか確かめておる訳でしょう」
打井はどうしてかムキになってモノを言い、肩の上のアッズ太郎がどうかした英語を喋る。
「何らかの方法で基地航空隊が大打撃を受けるとかがあったら、前提がひっくり返ってしまう訳です」
「その何らかの方法っての、当てがあるんかね?」
「例えばマリアナ上陸とか言い出す前の段階で、ニミッツの野郎が機動部隊を使って一撃離脱を繰り返し、またかと聯合艦隊が油断するようになった辺りで、一挙に大兵力を投じてきたら厄介です。それから噂の成層圏爆撃機を連日連夜繰り出して、サイパンやテニアンの飛行場を破壊するとか」
「成層圏爆撃機がどんなのか知らんが、高高度からの爆撃なんて滅多に当たるものでもないだろ」
高谷は一旦そう突っ込み、
「だが何だ、ダツオの癖にあれこれ考えるんだな」
「そりゃあチンピラゴロツキどもに負けたら癪ですんで」
打井は大いに胸を張り、それからまた妙に難しい顔をする。
高谷は少しばかり噂話を思い出した。横須賀航空隊ではこのところ、電探と無線を用いた迎撃管制に関する研究が、急ピッチで進められているが――原因となったのがどうも眼前の人物なんだとか。昨年の米本土空襲に際して『迦楼羅』に乗り組み、直掩機を率いて奮戦した彼は、艦隊防空が非効率的だから撃墜数が減ったと激怒し、どうにかしろと方々で喚き散らしたそうである。
無論、『天鷹』仕込みの超蛮族的態度には、誰もが呆れ果てたとのこと。
ただ海軍とはなかなか広いもので、打井をただの無礼千万のイノシシ武者と思わなかった者もあったようだ。米機動部隊との決戦においては、艦隊防空の改善が急務というのも実際的な話であるに違いない。結果、彼は「言い出しっぺの法則だ」と戦技研究に回され、そこで本当に成果を挙げてしまっているらしいのだ。
当人は完全な単細胞であるから、敵機を1機でも多く撃墜したいというだけなのだろう。とはいえ分かり易い動機とやたらと旺盛な行動力とが組み合わさると、確かに面白いことになりそうである。
(とすれば……)
この局面においても、変な思い付きが転がり出るのかもしれない。
そう思うと、高谷も何だか苛立ってきた。つまるところダツオなんぞに負けたくないという根性で、あれこれ考え始めてみる。もっともそれは遅きに失していた。
「そうだ、戦艦だ」
数十秒が過ぎた後、打井は手を叩いて叫ぶ。
風呂に入ってでもいたら、古代ギリシヤの大学者よろしく、素っ裸で飛んできかねない勢いだ。
「少将、ここで鍵を握るのは紛れもなく戦艦です」
「ダツオ、どういうことだ?」
「つまり機動部隊から快速のアイオワ級戦艦と重巡洋艦を抽出、航空機による援護の下で30ノットで突入させ、艦砲射撃でもって島を滅多打ちにするんです。戦艦はたった1隻で、1分に10トンもの砲弾を、つまり1時間で600トンもの砲弾を投げ込んできます。こんなのが沖に複数居座って撃ってきたら、幾ら空襲に抗堪できる基地だろうとぶっ潰れてしまいますよ」
「なるほど、そういうことか」
打井の早口に触発され、高谷もまた推定を開始する。
敵機動部隊がサイパンの沖200海里にいるとして、砲撃が開始されるまで6時間ほどでしかない。初日の空襲に全力を挙げつつ、日の暮れ始める16時頃に高速戦艦を分離して吶喊させれば、22時にはアスリト飛行場は弾雨に晒される訳だった。加えてそれを阻止するべき大和型戦艦などは、前衛部隊の配属なので間に合わない。
「考えてみれば、実例がある訳か」
ガダルカナル島沖海戦を思い出しつつ、高谷は続ける。
「だが抽出した分、輪形陣に穴が開きもするぞ。それから米海軍は主力を悉く喪失したのに懲りて、高速戦艦は主に艦隊防空に使うべしという結論になったという話じゃなかったか?」
「敵飛行場をぶち壊すのも広義の艦隊防空と言えるはずです」
打井は臆面もなく屁理屈を捏ね、
「戦艦3隻を喪って懲りたってのにしてもですよ、機動部隊の援護がありゃ別でしょう。ついでに聯合艦隊の主力は硫黄島沖をノンビリ航行中ときた」
「なるほど確かに……よし、早速それを試してみるとしよう」
「少将、ありがとうございます。いや実のとこ、大西中将も源田大佐も戦艦は無用の長物だの解体してしまえだのと未だに公言しとるんで、何とか一泡吹かせてやりたいと前々から思っておったんですよ。そりゃ拙いとこれで証明できます!」
満面の笑みを浮かべる打井は、早速水上打撃部隊の編制に乗り出した。
ニューヘブリディーズ諸島沖で『大和』が米戦艦2隻を屠って以来、この我武者羅系戦闘機乗りは大艦巨砲被れにもなっていたのだった。高谷はそんなことを思い出し、ある種の感嘆の意を抱く。
次回は3月31日 18時頃に更新の予定です。
最上の防空とは敵機を滑走路上で撃破することである……といった言い回しがあったかと思います。
大艦巨砲趣味が高じてそんな方向に走ってしまいました。ただ動けない不沈空母にとって、本当に戦艦は脅威なのかもしれません。




