大騒動! 伊豆温泉図演合宿①
伊豆:温泉街
ここ最近で最も世を沸き立たせたニュースといったら、やはり大陸戦線がほぼ決着したことだろう。
現在、揚子江中流の漢口において、南京と重慶の両代表による会談が行われている。汪兆銘の「かつての同志に猛省を促す」という極まりなく強烈な声明に、相次ぐ敗北によって権力失墜の瀬戸際にあった蒋介石が応じた形で、それに合わせて支那派遣軍の全てが作戦行動を一時停止させているのだった。
無論のこと、この交渉が決裂に至る可能性もない訳ではない。
ただ事態がそう転がったとしても、支那派遣軍は現在準備中の四川作戦を改めて発動するだけである。対して蒋介石にはまるで後がない窮地に追い込まれていて、故に話はまとまると予想されていた。結局のところ彼の政権は、米英からの支援なくしては立ち行かなかったし、挙句の果てにスティルウェル将軍の放った刺客によって爆殺されかけたとあっては、連合国の一員としてあり続けろという方が無理なのである。
そして国民政府の脱落を見越してか、浙江や福建といった辺りで掃討戦を行っていた師団の一部が、早くも転進を始めたという噂が流れてきてもいた。
「であればこの戦争、もはや勝ったも同然でしょう。名実ともに大東亜共栄圏が成ったのですから」
「米英の莫大なる生産力は脅威だが、地の利は我が方にある。大東亜を総力を挙げて開発し、運輸交通を盛んにしていけば、伍していくこともできよう。蒋介石の降伏はその一大契機となるに違いない」
「大陸が片付いたら、次はインド解放かな。あるいはシベリヤでソ連邦を叩くのかもしれない」
提灯行列の興奮冷めやらぬ市井の人々は、口々にそんなことを言い合う。
地方人であるが故の暢気さという訳でもない。調子のいい陸軍の参謀殿から療養中の傷痍軍人まで似たようなもので、まったくもって楽観的という他ない世相だった。
「まあ実際、別段おかしな話という訳でもないでしょう」
海軍が借り切っている温泉旅館。その図書室で適当に読書などしつつ、高谷少将はぼんやりと呟く。
傍らに置かれているのは、『日本は勝つ』という単刀直入かつ景気のいい題の書籍。しかも最近になって1章ほど追加された改訂版だ。著者の福永というのは海兵三十六期を卒業し、退役後に文筆業に転じて空想科学や仮想戦の小説を記してきた人物で、これがまたウンウンなるほどと納得できる内容を書くのである。
「世間で言われておる通り、後は日本海大海戦よろしく、来寇する米艦隊の撃滅を残すのみなんだから」
「いや、僕も福永サンには感謝しているよ」
そう切り返すは、今は軍需省であれこれやっている大西中将。
彼の説明するところでは、戦後に生産設備が無駄になると懸念して投資に及び腰な企業人のところへ、かの著者は斬り込みまくっているとのこと。曰く、大東亜十億の民草を支えねばならぬのだから、いったい何が過剰となろう。航空機生産に責任を負う者にとっては、こうした姿勢が実際ありがたいのだろう。
「とはいえ日本海大海戦の再現なんて、安易に口走る訳にはいかん」
大西は厳格なる口調で唸り、
「特に日本海大海戦なんてのは、やたらと上手くいった歴史であるから、表層だけ見てウカレていてはどうしようもない。それに環境も条件も何もかも違うにもかかわらず、過去の都合のいい事例を接ぎ木して夢気分になるのは阿呆の所業だ。真にそれを参考とするなら、結果が分からぬ中でどう考え、どう選択したかを見なきゃならん」
「だからこうやって研究会やら図上演習やら催しておると」
「そうだ。特に機動部隊というのはその快速と航空機の射程が故に変幻自在の作戦をやれるものだから、ともかく想定に想定を重ねまくり、敵に意表を突かれぬよう務める他ない。俺も決戦の時には航空艦隊司令長官であろうし、米海軍の再建は予想より早く進捗しているようだから、そうやって備えていかんと拙いことになる」
「だったら……ううん」
高谷は少しばかり思案し、自虐的結論を得る。
「俺なんかよりもっと頭のいい奴揃えるべきじゃないか? いや、タダで温泉に浸かれるのはありがたいがね」
「それはもうやった。ついでに言うと、似たような出来の脳味噌の持ち主同士では、決まりきった型ばかりになってよろしくない。だから貴様くらいチャランポランのバンカラな人間を呼んだって訳だ」
「おいおい、流石にあんまりな言い草じゃないか?」
「なら型破りとか傾奇者とか言っておくかね。まあ貴様、昔から変な思い付きをすることがあったろう。さっぱり精査や裏取りをせん放言の類ばかりだったから、教官によくドヤされておったが……最近は発明者になったそうじゃないか。そういう柔軟というか不定形生物的な発想が、この難局を乗り切る上で役立つかもしれん」
「ふゥん、なるほどそういう考え方もできる訳か」
幾度となく首を前後させ、まあ自分が否定的に評価された訳ではないと高谷は思う。
それから静岡名産の緑茶をチョイと啜り、少しばかり頭の中を整理する。何にせよ自分もまた航空戦隊司令官であるのだから、機動部隊運用の知見を深めておくことは死活的に重要に違いない。
「であれば、早速あれこれ始めた方がいいんじゃないか?」
「いや、演習をやるための人員がまだ揃っておらん。軍令部の源田と、あれが毛嫌いしながらも目にかけておる横空の打井ってのに来てもらう予定なんだが、例によって汽車が遅れてしまっておおるようだ」
「あんれま、よりにもよってダツオが来るんかね」
呆れたような声が思わず漏れる。
年中無休でチンピラゴロツキ撃滅と喚き散らし、戦闘機乗りの癖に大艦巨砲に被れたりする血気盛んに過ぎる人物の、やたらと勝気な面が脳裏に浮かんだ。型破りを集めるにしても程がないだろうか。
駿河湾:戸田村沖
ガトー級潜水艦の十番艦たる『ブラックフィッシュ』は、とてつもなく厄介な任務を仰せつかっていた。
日本軍の置き土産たる大量の機雷を、ようやく処理し終えたミッドウェー諸島。そこを根拠地として、対潜艦艇や哨戒機がウヨウヨいる日本近海へと向かうよう命じられたのだ。一般の通商破壊戦や敵艦隊の監視であったなら、まあやってやろうという気分になったかもしれない。だが彼女に下されたのは、音響関係の試験場があったりするらしい駿河湾に侵入し、しかも工作員を上陸させてこいという困難な任務である。それを聞いた瞬間、艦長のダヴィッドソン少佐も流石に絶句したりしたものだ。
とはいえ今のところは、作戦は順調に推移していた。
危険な囮任務を引き受けた僚艦が、敵の注意を集めてくれているからだろうか。日本製のすぐ故障する蓄音機よろしく、水中測量装置の出来が悪いという可能性もあり得る。あるいはその全てが上手く噛み合ったが故の幸運なのかもしれない。ともかくも『ブラックフィッシュ』は駿河湾へと浸透し、大変なる忍耐を要する長時間潜航の末、目的地へと到達したのだ。
そうして待つこと数時間。深夜の真っ暗な海面に、アメリカ製の鉄鯨は姿を現した。潜望鏡に映った伊豆半島の山がちなる地形は、まことに闇に包まれ悍ましい。
「艦長、ここまで無事送り届けていただき、まことにありがとうございます」
特殊任務部隊を率いるハーレー大尉が、妙に能天気な面持ちで謝する。
「見事皇居を爆破して戻ってきますので、それまでお待ちいただければ」
「うむ。だが予定時刻になっても戻ってこなきゃ、日本に置いていくからな」
「ええっと……それは困ります。作戦には想定外が付きものですので」
「その分を見込んで、時間を設定しただろうが。こんな敵中ど真ん中、潜伏しているだけで一大事なんだからな」
ダヴィッドソンは少々うんざりした口調で返し、
「それから君等の攻撃目標は、皇居じゃなくて沼津御用邸だろう。何で俺の方が詳しいんだね?」
「まあ似たようなものですから」
ハーレーはあっけらかんと笑い、筋肉質な部下達も同調する。
潜水艦を用いての潜入作戦だけあって、彼等の使命もまた極めて重大。つまるところ日中の有力者達が重慶政府の降伏を見越し、避寒地として有名な沼津において今後の戦争協力体制のあり方などを話し合っているというので、それをまとめて爆破してしまうのである。信頼と実績の戦略情報局によれば、主だった会談はエンペラーの別荘で催されているらしいから、成功の暁には日本軍の士気の大幅低下も見込まれるとのことだった。
正直を言うとダヴィッドソンは、何かが根本的におかしいのではと直感している節があった。
ただそれ以上に問題と思われたのは、ハーレーと愉快な仲間達そのものである。日本では同盟国のイタリヤ人になり済ます予定らしいが、どうにもスットコドッコイな気配が満ちている。というより何故こんなのが特殊任務部隊なのだろう? "special"という英単語には、オツムが足りないとかそういう婉曲的な意味合いもあるが、まさにそれが当てはまりそうだった。
「おっと」
軽く金属を打擲する音が響き、ハーレーがそれに即応する。
セイル上部より届いたそれは、魚雷改造の水中スクーターの準備が整ったことを報せる合図に他ならない。
「では、これより出撃いたします。艦長もご無事で」
「うむ。ともかくも作戦成功を祈っておるぞ」
ダヴィッドソンはあれこれ懸念するのをやめ、サッと返礼して見送ることとした。
この変テコな部隊を上陸させた後は、ただ身を潜めるだけが任務である。とすれば自分があれこれ勘案しても致し方ない。そう思うのが得策だろうと彼は断じた。
(とはいえ……)
特殊任務部隊の1人が盛大に足を滑らせ、鈍い音が艦体を駆け抜けると、やはり不安は増幅するものだ。
次回は3月29日 18時頃に更新の予定です。またも更新時間がずれ気味になってしまい申し訳ございません。
長らく続いた大陸戦線が片付き、どうにか対米戦に専念できる状況ができてきそうです。
とはいえ米機動部隊の再建も着々と進んでいます。目論見通りいくかどうか。なお蒋介石が暗殺されかけてますが、大陸打通作戦の前後で米英が挿げ替え工作を考えていたという話も聞いたことが。




