海のゴロツキ再結集
佐世保:水交社
「仏戦艦『ジャン・バール』、万里の波濤を乗り越え遂に日本に到着す」
「4万トンの巨艦。聯合艦隊の頼もしき新顔に山本司令長官も思わず莞爾」
年明けの新聞やラジオをそんな具合に賑わせている通り、戦艦『ジャン・バール』は佐世保に錨を降ろしていた。
堂々たる四連装砲塔を前甲板に備えた、リシュリュー級二番艦たる彼女は、これより『伊予』という名で呼ばれることとなる。しかも今後の艤装工事で、格納庫とカタパルト、飛行甲板を据えた航空戦艦へと生まれ変わるのだ。妙な舌足らずさが人気の有名作家の言葉を借りるならば、砲戦力と航空戦力が両方備わり最強に見えるという訳だった。
もっとも回航委員長を務めていた陸奥中佐は、昇進を契機に艦を離れることとなった。
海軍で大佐といったら軍艦の艦長をやる、一番面白い階級だ。幾多の建艦計画でポストも随分と増えていたから、そこに疑問を抱く余地などない。それでも異例と言う他ないのは、軽巡洋艦などをすっ飛ばし、いきなり航空母艦の艦長に任じられたことだろう。
「まあ結局、前任者が軒並み神経症か胃潰瘍になってしまったが故とのことだが」
水交社の喫茶店ですら貴重なコーヒーを味わい、本場のと違うなどと文句を捏ねつつ、陸奥はクスリと苦笑い。
佐世保に到着してみたら、やたらと見覚えのある航空母艦がちょうど出港していくところだった。何とも懐かしいと思ったものだが――つまるところ彼は、悪名高き『天鷹』が何がしかの任務を終えて戻ってき次第、その艦長に就任する訳である。
「副長はスッパが横滑りというし、員数外は員数外で何とかしろってことなんだろう」
「こう言っては何ですが、『天鷹』ですからね。普通の将校ではまず耐えられんでしょうし、嫌がられてもいるのでしょう」
そう応じるは、随分と長引いた海外赴任より戻って間もない鳴門中佐。
相変わらずチビ猿のパプ助にマーマイト乾パンを食べさせている彼もまた、ソ連邦はイルクーツクでカバン持ち兼秘書官業務をやっているうちに、どういう訳か昇進できたそうである。
「自虐にもなりそうですが……上から下まで問題児ばかりなので」
「具体的な例を挙げるならば、毎度毎度遅刻してくる航海長が乗り組んでいたとかな」
「はい。他にもあちこちで現地妻をこさえてくる大佐が新艦長と伺っております」
「だが挙式当日に遅刻というのは流石にどうかしておると思うぞ」
楽しげなる苦言とともに、笑い声が重なり合う。
ソ連邦より戻るや否や挙げた式の写真など眺めながら、やいのやいのと惚気話に興じていく。大戦も真っ只中であるからそう長い慶弔休暇とはならなかったようだが、夫婦揃って国防スキー修練合宿と称する旅行に参加できたというのは、時世を考えればなかなかにロマンチックな思い出ではなかろうか。
そうしてあれこれ喋っているうちに、随行の途上で垣間見られたソ連邦の内情へと話題は移ろっていく。
このところドイツ空軍は陸路を封鎖したバクー油田およびカスピ海航路に対し、集中豪雨的な空襲を実施している。その関係で燃料事情が相当に逼迫し、暖房需要にすら影響が出始めているとかは、やはり新聞や雑誌で論じられている通り。それから出征した男達が何百万と戦死したため、とんでもない数の未亡人が誕生しているという話となると、身体を持て余す小鹿が如き乙女を陸奥は脳裏に浮かべてしまう。
とはいえ新婚間もない身からすると、その辺りは大変に微妙なところだろう。鳴門もまた兵学校を出た海軍軍人であるから護国の鬼となる覚悟はあるとしても、せめて世継ぎを残してからという生物学的欲求は、やはり消えぬものに違いない。
「となれば早いところ当たりを出したいところよな」
再びコーヒーを嗜みつつ、陸奥は神妙な口調で言う。
「その意味ではメイロ、次の配置は何処となるのだ?」
「詳細説明は未だ受けておりませんが……どうも何処かの航空戦隊で航海参謀をやれという話になっているようで」
「ふゥむ、何処の戦隊なんだろうな?」
「ああ、メイロならうちで預かりの予定だ」
唐突に耳に覚えのあり過ぎる声が飛んでくる。
咄嗟にその方を振り向いてみれば、これまた大変に見覚えのある人物が、どうしてかボロボロな軍服を着て佇んでいた。
「あれま、高谷艦長……もとい、高谷少将。昇進おめでとうございます」
「うむ。ムッツリにメイロ、息災なようで何よりである」
高谷はガハハと笑う。幾分恰幅がよくなった関係か、妙に声に重みが出ている。
「それで、先程の話はまことなので?」
「メイロな、俺は適当なことは言うが、こういう時に嘘は言わん。ついでにムッツリ、お前もまた俺の部下に逆戻りだ。新設される第七航空戦隊に配属予定の艦は、今のところ『天鷹』だけのようだからな」
「何とまあ……」
驚嘆というか唖然というか、まあそんな調子の声が異口同音に漏れる。
開戦時に『天鷹』乗り組み、その後も人事異動がほぼないままペルシヤ湾まで出征していた佐官が、これで4人も揃ってしまった訳である。艦長が戦隊司令になったりする等、多少の地位の変動もありはするものの――如何な盆暗揃いだの恥晒しだの言われる面子であっても、これを単なる偶然と片付けはしまい。
しかも高谷の話によると、方々で騒ぎを起こした末に横空へ行った打井少佐まで、そのうち合流する手筈だという。
軍艦の乗組員、特に将校については定期的に人事異動を行い、組織としての動脈硬化を防ぐべし。海軍にあってはそれが慣例であり原則であるはずなのだが、日頃の行いが悪過ぎたが故か、どうやら『天鷹』はその例外となってしまっているようである。
「ともかくもそういう訳だ、また一緒に上手い事やっていこうじゃないか。黒島とかいう変テコ参謀によると、今後『天鷹』は聯合艦隊の太平洋大決戦に備え、前段作戦をあちこちで展開することになるのだそうだ。とすれば戦果を挙げる機会もあるだろう。今度こそ敵主力艦を何隻か撃沈し、お高くとまった『赤城』だの『飛龍』だのの鼻を明かしてやるのだ」
「ところで少将、1つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「ムッツリ、どうかしたか?」
「軍服が幾分、スマートさを欠いているといいますか、バンカラ風になっておられるようですが」
「ああ、外で元『隼鷹』艦長の岡田とバッタリ鉢合わせしてな……あいつ後輩の癖に、相変わらず動物運搬船長とか生意気抜かしやがる。だから頭にきて足払いをかけてやったら、殴り合いの喧嘩になっちまった。まあ俺の勝ちだと思うがな」
「ええと、折角ですからクビにならんで下さいよ」
「うむ。目下の心配事はまさにそれである」
高谷が少しだけ困った顔をする。少ししか拙いと思っていないところが、一番拙いところに違いない。
もっとも、海軍の重鎮達はさっさと臭いものに蓋をしたかったようだ。佐世保鎮守府司令長官たる小松侯爵はその典雅なる顔を大いに顰めて始末書を受領したが、事はそれで済んでしまったようである。
次回は3月27日 18時頃に更新の予定です。
国防スキーは史実でもあった民間の戦時中のスキー訓練のことです。
なお訓練とついていますが……実態はただのスキー旅行。スキー旅行だと戦時中に何をやっているのかと批難されるので、「スキーは国防上重要な競技であり将兵の錬成にもよいため、その訓練を事前に行っている」といった名目を付けておりました。ものは言いようですね。
上野発の「国防スキー列車」は史実でも昭和18年まで運行していたようですが、本作品の世界では昭和19年になっても運行していそうです。




