新生改装空母、戦列復帰
東シナ海:五島列島沖
ひとえに戦争体験といっても、その内容は千差万別という他ない。
出征先や配置、階級などによって、全てが天と地ほども変わってくるからだ。戦友の大部分を喪うような激戦を辛うじて生き抜いた記憶もある一方で、生きては帰れぬ覚悟で出陣しておきながら、型通りの訓練と退屈な占領地警備ばかりだったという声もある。中には色々と旨いものをたらふく食ったとか、現地妻と仲良くやったとか、楽しげな思い出しか残らなかった者もいるほどだ。
曲がりなりにも昇進した高谷少将の、支那方面艦隊での参謀勤務などは、最後のそれに概ね当てはまるだろう。
陸軍は国府軍の大攻勢を見事粉砕し、返す刀で一号作戦をかまして北京と広州を陸路で連結、更に福建省内陸部にあった敵軍数十万を一挙に降伏せしめるという大戦果を挙げてしまった訳ではあるが……大陸戦線での海軍といったら、獅子奮迅の航空部隊を除けば完全に裏方だった。揚子江での河川機動作戦については多少、新聞やラジオで取り上げられはしたものの、残りはつまるところ運送屋業務である。
故に高谷などは、「艦隊のために歓待す」などと寒い駄洒落を飛ばしながら、現地雇用の水先案内人どもを集めてドンチャン騒ぎをやっていたりした。他人の金で飲む酒はまったく美味いものである。
「とはいえ、少々肉がつき過ぎたかもしれん」
大村に向かう零式輸送機の中で、高谷は少しばかり苦笑い。
実際、腹が少し弛んでしまったようだ。主に豚肉料理が美味だったせいだが、自分が豚になっては話にならぬ。
「内地に戻ったら、ちと稽古でも付けんといかんよな」
「ついでに座禅なども如何でしょう?」
横の席から妙な提案が、異臭とともに飛んでくる。
「なかなか頭がスーッとして考えがまとまりますぞ」
「いや、自分は根っからのバンカラなので、剣道の方が性に合う」
「ペルシヤ湾では英海軍の艦長を相手に一騎討ちの大立ち回りとのことでしたな。でも高谷少将、座禅もいいものですよ。頭空っぽの方が夢を詰め込むこともできますから」
ちっとも慇懃でない無礼を働いて面白そうに笑うは、黒島とかいう大佐である。
高谷ですら呆れるほど身なりが汚く、おまけに臭い。そのため輸送機に乗り込む前に正体を尋ねてみたのだが、「そうです、私が変な参謀です」と堂々と開き直り、更には奇天烈な舞を披露し出す始末であった。
ただ本当に海軍将校なのかすら怪しいこの人物は、何と聯合艦隊司令長官たる山本大将の懐刀だという。
しかも内地に戻り次第、聯合艦隊だか軍令部だかの要職に就くとのことだから、関係は良好である方がよさそうだ。ニューヘブリディーズ諸島沖で敵戦艦に攻撃隊を送り損ねたのも、どうやらこやつが原因らしいが、今更そんなことを言っても仕方がない。これから航空戦隊司令官として、どう戦果を挙げるかの方が重要なのである。
「それに航空戦隊を率いるならば、我武者羅ばかりではなりませんぞ」
黒島は尚もそんなことを言い、
「大陸戦線こそ今年度いっぱいで片付くでしょうが、米海軍は未だ戦意旺盛。必ずや再建された機動部隊をもって、太平洋を押し渡らんとするに違いない。それと対峙するに当たっては、基地航空隊や諸々の地上部隊とも密に連携しつつ、断続的な奇襲攻撃を仕掛けていかねばなりません。特に少将が率られる新編成の第七航空戦隊などは……」
「おい、ちょっと待ってくれい」
高谷は目を丸くしながら割り込む。
「実のところ初耳なのだが、どの戦隊かって話も決まっておるのかね?」
「あれま、てっきり既に伺っているものとばかり」
「まあ細かいことはいい。第七航空戦隊というのにはどの艦が配属されるんだ?」
「ぶっちゃけた話、『天鷹』ですね。もしかしたらもう1隻追加されるかもしれませんが」
「何だ、つまるところ古巣に戻れか」
拍子抜けした感はありはしたものの、懐かしさもまた俄然込み上げてきた。
どうしてか素行不良の問題児ばかりが集められた関係で、聯合艦隊の鼻つまみ者といった扱いではあったが、艦長をやっていて一番楽しかったのもまた事実。それに曲がりなりにも大東亜戦争が始まって以来、東奔西走して幾多の激戦を繰り広げ、ペルシヤ湾で英軍の奇策を食らっても尚、沈みはしなかった殊勲艦に違いない。
その割には、思うように戦果を挙げられなかった気もするが――それは今後取り返せばいいだけだ。
黒島とやらが言うには、『天鷹』は前線を駆け回らねばならぬらしい。とすれば手柄を立てる機会も十分にあるだろう。それに大修理ついでの改装によって、彼女はより強力な艦に生まれ変わったとのことであるから、まったくもって頼もしい。
「ん……噂をすれば影という奴か」
「おや、そのようですな」
着陸間際の零式輸送機が、少しばかり翼を翻した瞬間。高谷は目聡く見い出した。
佐世保湾を抜けて南へと針路を取ろうとしている数隻の艦隊。その中心たる艦は、紛れもなく『天鷹』だった。今度は戦隊司令官としてかの艦に乗り組む己が姿を脳裏に描きつつ、米機動部隊何するものぞと意気込みに燃える。
もっとも――第七航空戦隊が前線へと駆り出される理由は、実のところなかなかにろくでもない。
連合国軍がやたらと『天鷹』を目の敵にしているとの情報から、米空母を釣り出す囮として使えるのではといった判断があったのである。そしてそれを主導しているのは他でもない黒島であり、まあ上手くいきそうだと内心ほくそ笑んでいる訳であるが、単細胞で鳴らす高谷がそんな目論見に気付くはずもない。
サイパン島:ガラパン港
修理と改修で1年近く戦列を離れていた航空母艦『天鷹』は、少しばかり姿を変えていた。
対空兵装や電探の更新、防火設備の増強など、より打たれ強い艦として復帰したのだ。だが一番大きな変化といったら、艦首に据えられていた15.2㎝連装砲が撤去され、その分だけ格納庫が拡張されたことだろうか。再建されつつある米機動部隊に伍していくには、1機でも多く積めることが望ましいからである。カナダ西岸沖で敵駆逐艦と接近遭遇し、危うく魚雷を食らいかけたこともありはしたが、ほぼ例外事例だからよしと片付けられていた。
もっとも増大した搭載能力を戦場で活かす機会は、まだもう暫くはなさそうな雲行きである。
ちょうど今日、戦争は3年目へと突入した訳ではあるが、『天鷹』は例によって便利屋業務に駆り出されていた。サイパン島で最も賑わう街たるガラパン、その沖合に錨を降ろしている彼女は、艦尾扉より大発動艇を降ろしている。砂浜へと着岸しつつあるのは、新編成の海軍設営隊ほぼ丸ごと1個。ブルドーザーやダンプカーを多数備えた優良なる工兵部隊で、高い機械力をもって根拠地機能を一挙に増強するのだという。
「とはいえ……どういうことなんだろうね」
ぼんやり作業を監督しつつ、諏訪中佐は首を傾げる。
「どうかなされましたか?」
そう尋ねてくるのは、これまた元『天鷹』の抜山少佐。
今はサイパンの根拠地隊で主計長をやっているらしく、ペルシヤ湾以来の再会である。
「これだけの設営隊なのだから、マーシャル諸島とかにでも送った方がいいんじゃないかと思ってね」
「あまり大きな声で喋れる噂でもないですが」
抜山は囁くような声で言い、
「どうも聯合艦隊はマリアナ諸島を関が原にする心算のようで。なので今のうちから飛行場を幾つか追加で建設し、掩体や地下燃料庫を充実させて不沈空母とし、一大決戦に備えておるのですよ」
「ええッ、そんな話なの?」
諏訪は大いに目を丸くし、びっくり仰天といった相。
ミッドウェー諸島こそ3か月前に撤退したとはいえ、未だ内南洋は1か所も欠けていない。特にサイパン島はほぼその西端に位置していて、最前線からは3000キロ近く離れている。サトウキビ畑が軍用地に転換されたりはしているものの、まったく平穏無事といった気配が漂っていた。
ただそれでも、抜山は法螺を吹いているという訳でもなさそうだ。
彼が時折吹聴する未来予測は、実にそれっぽいが案外いい加減だと高谷大佐が評していたが――根拠地隊で主計長などやっているのだから、不沈空母云々は事実なのだろう。戦線が広がり過ぎている、子供が好き放題膨らませた風船だ、そんな話も聞くには聞くが、それほどまでに諸々が逼迫しているのだろうか?
「まあ戦局についてはなるようにしかならないので、あれこれ気を揉んでも致し方ないかと」
少しばかり取り留めなく話した後、抜山はそんな風に切り上げ、
「それより諏訪中佐、新艦長は何時お見えになるのでしょうか?」
「ちょっとまだ調子が戻らないみたいでね……」
「あれま。案の定ではありますが」
「お陰で面倒ごとが全部僕のところに来るんだよね」
諏訪は少しかすれた声で苦笑する。
戦線復帰と同時に『天鷹』艦長に就任した草津なる大佐は、艦内に蔓延った放蕩無頼の気風をこの機に粛清せんと勇躍乗り込んできたのだが、やはりと言うべきか、さっぱりその志を果たせぬままノイローゼに罹ってしまっていた。件の名物エビ天にバラムツの刺身、マーマイトなどで熱烈歓迎される状況では、精神が持つ方がおかしいのである。
とすれば――戦局のためにも解決すべきは、まずそこなのだろう。
もっともまともな人間を送ってもらっても、現艦長の二の舞になることは火を見るより明らか。軍の統制から考えれば無茶苦茶な話だが、艦に慣れた者を内部昇進させるしかないのではとの結論に達し、まさに自分がその口ではと諏訪は気付く。
次回は3月23日の18時頃に更新の予定です。
ようやくのこと『天鷹』が復活してきましたが……活躍の機会はもう少し先でしょうか?
なお海軍の鼻つまみ者っぷりは少しも変わっていません。




