マダガスカルまだ助かる⑩
モザンビーク海峡:セントマリー岬西方沖
マダガスカル沖で行われた一大海戦が、赫々たる勝利に終わったのは間違いない。
航空戦でもって6隻あった特設空母を悉く屠った上、コロラド級やネルソン級といった古強者を含む戦艦4隻を全て撃沈することに成功したのだから、結果に疑問を差し挟む余地もないだろう。熾烈を極めた水雷戦に関しても、重巡洋艦の活躍やイタリヤ海軍に供与した酸素魚雷を奏功した面もあって、軽巡洋艦2隻に駆逐艦11隻という赫々たる戦果が挙がっていた。
一方、喪失までいったのは軽巡洋艦『アッティリオ・レゴロ』と日伊の駆逐艦5隻のみ。
無論のこと損傷した艦も多く、特に戦艦『ジュリオ・チェザーレ』は満身創痍としか呼べぬようなあり様だった。だが彼女を無事アデンまで持ち帰ることができたならば、本当に完勝と呼べそうである。
「だが……まさかこんな結果に終わるとは」
機動部隊を率いる角田中将は、如何ともし難いとばかりの面持ちでぼやく。
先程から航空母艦『隼鷹』の作戦室を支配していたのは、挙がった白星にまるで似合わぬ気配。灰皿には煙草の吸殻が気まずそうに積み上がり、職掌によって困惑の声やら溜息やらがあからさまに漏洩していた。
如何ほどの実力かと勘繰っていた者達に、一番の獲物を持っていかれてしまったためだった。
暴走としか評せぬような突撃をいきなり始めた末、米英戦艦群との砲戦に先んじたイタリヤ艦隊は、予想を遥かに上回るほどの奮戦ぶりを見せつけてきた。敵の頭を押さえながら激しく撃ち合った末、旗艦たるコロラド級の被雷を皮切りに火力を敵二番艦に集中、英国が誇るネルソン級らしきその艦をまず撃破した。それから彼等は距離を一気に詰め、被害を顧みることなく、得意の中距離砲戦でもって残余を叩き潰していったのである。
対して遅れて戦場へと到着した『長門』と『陸奥』は、ニューメキシコ級と思しき敵四番艦を袋叩きにして沈めたのみ。まったくいいとこなしであった。
「しかし美味しいところを持っていかれたとはいえ、イタリヤ海軍に関する評価を改めねばならんな」
角田は少しばかり頬を緩めて言う。
「特にあのヴェネト級とやら、随分と有力な戦艦のようじゃないか」
「正直なところ、己が不明を恥じずにはおられません」
顔が変に硬直してしまった砲術参謀が呻き、
「あの新型砲がかくも強力で、かつ彼等がああも巧みに軍艦を使いこなすとは」
「まさしく油断大敵だったということでしょうか」
航海参謀も瞠目したまま言う。
原油不足が解消されたことによって息を吹き返したる同盟国海軍。彼等が挙げたる戦果を鑑みれば、中東作戦には予想以上の効用があったということになりそうだ。
「とはいえまあ、嬉しい誤算と考えるべきかもしれません」
参謀長は妙に落ち着いていて、
「イタリヤ新型戦艦の実力は、長門型と同等あるいはそれ以上と証明された訳です。あれらにコテンパンに打ちのめされた米英の評価は、更に過大となるかもしれません」
「なるほど、しかも4隻もいると。うち2隻は当面使い物にならんとはいえ」
「はい。連合国軍でこれに対抗可能な艦といったら、今のところアイオワ級くらいしかないでしょうし、そうでなければ正規空母を何隻かジブラルタルに貼り付ける他なくなります。とすれば太平洋方面での反攻も遅れるはずですから、戦略的影響も極めて大と言えますし、長門型を含めた5隻で戦うより、ある意味でよかったと考えられる面もあるかと」
「西村の奴がそれで納得してくれれば楽なんだがな」
角田は苦笑しながらそう漏らす。
「あいつ、せめて残りの1隻は討ち取らせてくれと言って聞かんのよ。そうでなければ恥ずかしくて生きておられんとか何とかな。もっともその残りの1隻というのが、未だに見つかっておらんのだが」
「低気圧に上手いこと潜り込めたのかもしれませんね」
「あるいは今頃どっかで人知れず沈んでしまっているのやもしれんが……まあとりあえずこれで、マダガスカル沖から邪魔者は一掃されたと言えるだろう」
必ずしも全てに納得した訳ではないにしろ、角田はそう締め括った。
「ともかくも作戦の主たる目的は、揚陸したる米海兵隊の追い落としだ。イタリヤ艦隊は流石に撤退するとのことだから、『長門』と『陸奥』には橋頭保を粉砕してもらわねばならぬし、行方不明艦の索敵攻撃をやっている暇はないな」
「ですかね」
「うむ。仮に敵戦艦が生き残っているとしたら、逃げ込む先はダーバン以外にあるまい。であれば後であの港に攻撃隊を送り込み、帰りがけの駄賃に沈めてしまえばいい。そういう訳だ、さっさとトゥリラを叩いてしまおう」
角田はそう言い、何とか豪気に笑った。
程なく『隼鷹』と『飛龍』から50機弱の攻撃隊が発進し、角田機動部隊もまた北上を開始した。それを阻む戦力といったら、揚陸艦隊を直接護衛していた幾許かの小艦艇と、何とか再稼働したリチャーズベイの航空隊くらいのものである。
トゥリラ:海岸線
水上打撃部隊より放たれたる悲報を受け、海兵第1師団は速やかに撤退へと移行した。
常人離れした闘志と苛烈なる性格で有名なスミス少将にとって、この状況が屈辱以外の何かであるはずもない。ただ失敗続きの海軍をどれだけ罵倒したところで、迫りくる脅威を退ける魔法が発動する訳でもなかったから、将兵に尻尾を巻いて逃げるよう命じる他になかったのである。
断続的な空襲の中で行われたそれは、まさしく苦難の道だった。
だが何より怒りを増幅せしめたのは、海兵隊員の3割ほどしか乗船させぬうちに、揚陸艦隊が沖へと移動し始めたことだろう。つまるところそれ以上の作業を続けた場合、鈍足の輸送艦はいとも容易く海底集団墓地に変えられてしまうからなのだが、残される者の目には敵前逃亡としか映らなくて当然である。
「おい海軍の糞ボケども、俺達を置いて逃げる心算か!?」
「すまんな、本当にすまん」
伝わってくる声は震えていて、
「だがこれ以上待っていたら、まとめて全滅するだけなんだ」
「ふざけるな腰抜け野郎、ただちに引き返せ!」
スミスは無線電話器越しに怒鳴り散らす。
だが揚陸艦隊指揮官からの返答には何の変化もないので、遂には拳銃でもって装置をぶち壊した。それから仮設司令部を出、大海原をきつく睨め付ける。
「全員、ただちに海岸線を離れろ」
諸々に対する怒りを静かに湛えつつ、スミスは命令する。
「それから何でも構わんから物陰に隠れろ。でなければ急いで蛸壺を掘り、その中でじっと蹲れ。まことに遺憾ではあるが、生き残る方法はそれ以外にない」
「ア、アイサー……」
引き揚げる船舶を呆然と、絶望的な面持ちで眺めていた者達も、それで何とか正気を取り戻した。
鬼のような軍曹が叱咤する中、本来の精悍さを削ぎ落された若者達が、どうにかシャベルを動かしていく。蜂ワッペンの工兵が運転する建機などは、縋るべき守護天使か何かと見えていることだろうし、残された戦車や水陸両用車にドーザーブレードを取り付け、壕を掘り進めるという器用な真似をする者も出る。
とはいえ一連の努力は全て、"too late"の2語で片付けられてしまいそうだった。
どれほど強大な敵が相手であろうと、忠誠の誓いを胸に、臆することなく立ち向かうのが海兵隊である。しかし目前に迫りつつあるのは、そもそも生身では反撃のしようのない、沖合から一方的に命を刈り取ってくる海の怪物。猟犬が如き駆逐艦に先導されたるそれが水平線上に現れ、次第にその姿が露わとなっていくと、さしもの海兵第1師団にも恐慌が広がり始めた。彼等にできたことといったら、発進した弾着観測機に向けて小銃を撃ちまくることくらいだった。
そして沖合5マイルほどにその巨体を据えるや、敵戦艦は恐るべき砲身をもたげ、轟然と火を吹いた。
「おお、神よ……」
「天は我等を見捨てたもうたか」
誰もが祈らざるを得ぬほどの衝撃が、程なく襲いかかってきた。
海岸線に山と積まれていた各種資材はあっという間に木っ端微塵となり、爆風に弾き飛ばされたガソリン缶が燃え盛りながら降り注ぐ。空中で炸裂した16インチ級砲弾が鉄の雨を降らせ、大地を好き放題に切り裂き、やたらめたらに掘り返していく。フランス軍相手には大変に頼もしかった戦車も既に大半がスクラップで、土塊と将兵の肉片とが綯い交ぜになった酸鼻極める光景が、あちこちに広がり始めていた。
艦砲射撃は必ずしも十分な人的損害を与え得ない、後世にはかような見解が存在するのもまた事実。
だがそれは十分に堅牢な陣地を構築し、将兵がそこに逼塞している場合の話に違いない。ほぼ無防備な海岸線に張り付き逃げ場を失っていた海兵第1師団はその対極で、駆逐艦から戦艦に至る十数隻からの猛射を浴びせられた彼等は、たちまちのうちに割で測られるべき人的損害を被ることとなった。付け加えるならば作戦行動を継続する上で必要となる物資は、個々の将兵が持ち合わせていた分を除けばほぼ全損である。
「畜生、どうする……?」
スミスもまた簡素な退避壕に身を潜めつつ、今後の方針について考えを巡らせる。
マダガスカル侵攻が破綻したのは明白としても、撤退を完了させるまでの間は、自分達の身は独力で守らねばならないからだ。特にここで逆襲を仕掛けてきたら、カエル食いの降伏猿が相手だったとしても、そのまま蹂躙されてしまいかねない。
だが――そんな思案もまた、途中で強制終了させられてしまった。
砲弾同士の干渉によってか、些か目標を外れてしまった大口径砲弾が、スミス達の籠っていた壕を直撃したのである。
次回は3月17日の18時頃に更新の予定です。
闘将角田中将もびっくりなイタリヤ海軍の突入により、マダガスカルはサブタイトル通り助かってしまいました。
もっとも流石にその次となると、相当に厳しそうな気配しかありませんが……マダガスカル作戦が瓦解したお陰で、連合国軍のインド洋反攻は更に遅延してしまいそうです。




