マダガスカルまだ助かる⑨
モザンビーク海峡:セントマリー岬西方沖
イタリヤ東洋艦隊の主力たる戦艦3隻は、敵の頭を押さえるべく突き進む。
雷撃隊の活躍により、ネルソン級1隻が魚雷複数を受けて脱落した。その報を受けるや否や、パロナ少将は突撃を敢行。一方の敵艦隊も臆することなく向かってきて、ここに艦隊戦が生起した。
「全艦、左砲戦」
「主砲、撃ち方始め」
飛び交う号令。イタリヤ海軍が誇る戦艦『リットリオ』は、その真新しい艦体を打ち震わせる。
戦場を28ノットの高速で疾駆する彼女が狙うは、コロラド級と思しき敵一番艦。彼我の距離は3万3000メートル。最新鋭の50口径38.1㎝砲をもってすれば、ほぼ一方的に撃ちまくれる間合いである。ネルソン級と思しき敵二番艦には『インペロ』が当たり、可能な限り迅速にこの2隻を無力化する心算であった。
「撃てッ!」
発令とともに、主砲のうち6門が火を噴く。
耳を聾するような轟音と、天地を揺らがせんばかりの衝撃。作戦参謀として諸々の御膳立てをしたマラゾッキ中佐は、戦乙女となった戦艦の、実に芳しい硝煙に酔い痴れる。
狩猟本能の根幹に通じるような気配に、精神がスッと研ぎ澄まされるようだった。
更にはそれは蠱惑的にも思え、それは身体的な特徴となって表れていた。つまるところ仲のよい陸奥中佐から贈られた、しょうもない渾名の通りの状況に、彼の下半身はなっているのだ。
「弾着……全て遠」
「構うな、撃ちまくれ」
叱咤激励の声が飛び、続けて主砲3門が咆哮する。
戦において最重要なのは、主導権を握り続けることに他ならない。そしてそれは可能だと彼は確信していた。リットリオ級戦艦は速力で大きく優越し、主砲も最大4万メートル超の最大射程を有しているのだから。
「それに……名誉は一番大事だ」
交叉射撃が艦体を激しく揺さぶる中、マラゾッキはそう漏らす。
指揮官たるパロナ少将と視線が合い、それをもって意思を疎通させる。戦争準備が十分整わぬうちに参戦が決定してしまったものだから、イタリヤ海軍は決定的な燃料不足に苛まれ、まともな作戦能力を有さなかった。確かに僅か15機の複葉機によって戦艦3隻が大破するような事例もありはしたものの、それをもって消極的だの戦意に欠けるだのと陰口を叩かれるのは、まったく我慢ならぬところだったのである。
とはいえ、そうした鬱屈もまた過去の話に違いない。
ロンメル軍団がスエズを陥落させ、日本が湾岸地帯を占領した結果、中東は概ね枢軸側に加わるか戦争から脱落するかした。バーレーンやキルクークから齎される原油と、ほぼ聖域と化した東地中海の存在により、イタリヤ海軍は十分な訓練と活発なる作戦行動をする余裕を得ることができた。
とすれば――足らぬのは栄冠のみ。それを今ここでもぎ取らんとしているのだ。敵艦より放たれはじめた16インチ砲弾も、決してその妨げにはならぬだろう。
「第7斉射、挟叉しました!」
「次より一斉撃ち方」
荘厳に謡うような声色で、矢継ぎ早に指示がなされる。
これは苦渋を飲まされ続けた男達が、遂に勝利を掴む物語となると、二等水兵から少将に至るまでの誰もが確信した。我が方は既に発砲諸元を得たのに対し、敵は今からである。雌雄を決する戦において、これがどれほどの差となるかが分からぬ者など、誰一人としていないことだろう。
「このまま撃ち続けよ。勝って子や孫に語り継ごうぞ」
パロナの叱咤激励したる声が、殷々と響き渡る砲音に調和する。
気分は皆、英雄スキッピオに率いられし重装歩兵。それもハンニバルを破りしザマの戦いのそれだった。敵艦の照準も次第に正確さを増しつつあったが、未だ優位は揺らいでいまい。
「第9斉射、弾着……今!」
見張り員が朗々たる音吐で告げ、
「遠、近、命中、遠、遠、近、近、遠、命中」
「やったぞ!」
喝采の波が艦のあちこちに広がり、飛沫となって充満する。
被弾したる敵一番艦は未だ健在。しかもその直後、『リットリオ』は遂に挟叉された。だが彼女はここぞとばかりに撃ちまくり、次から次へと命中弾を与えていく。後続したる『インペロ』もまた大したもので、ネルソン級らしき敵二番艦に先制打を与えた。まったく新鋭艦の面目躍如といったところである。
もっとも海軍条約時代の古兵たる艨艟達も、強かに巻き返しを図ってきた。
艦齢が古ければ兵装は陳腐化しがちだが、その分だけ射表が充実していたりもする。改修に際して最新鋭のレーダーを載せていたりもする。そうした経験と技術に裏打ちされた16インチ砲弾がイタリヤ艦隊を見舞い、『リットリオ』の副砲をたちまちのうちにガラクタに変えた。溟海の怪物どもが血の饗宴とでも表すべき一大艦隊決戦は、いよいよもって激しさを増していく。
「おおッ、こりゃあ結構な大勝負だ!」
マダガスカル南部の飛行場より、彗星を駆って来援したる博田大尉は、眼下に広がる光景に感動する。
唐突に奔走し始めたイタリヤ艦隊は、米英の戦艦群と互角の勝負を繰り広げているようだ。両軍の一番艦は濛々たる黒煙を上げながらも激しく撃ち合い、敵二番艦は前甲板に集中したる砲塔の一部を喪ったようだ。『長門』と『陸奥』はようやく戦場に到着したばかりで、西村少将は切歯扼腕してそうだが、まったく天晴れだった。
「大尉、どれをやるんで?」
「そうだな……」
誤って友軍を襲わぬよう、博田は慎重に敵を見定める。
砲雷戦もたけなわとあっては、展開される対空砲火もまばらであった。逸る心を落ち着かせ、友軍にとって最大の脅威となっている敵に、手痛い急降下爆撃を食らわせるのだ。
「よし、あれにしよう」
選定されたのは、最後尾を進むニューメキシコ級らしき戦艦。
未だほぼ無傷と見え、イタリヤ戦艦部隊最後尾の『ジュリオ・チェザーレ』を圧倒しつつあった。これを討ち取ることができたならば、味方は主力艦を1隻と喪失せずに済むかもしれない。
「各機、続け。助太刀だ!」
博田は意を決し、追従する5機に一筋の線になるよう命じる。
そうして米戦艦の背後に滑り込み、爆撃態勢へと移った。砲を撃ち合っている最中に、回避運動などできるはずもないから、本当に訓練と同じようにやるだけだ。猛烈な加速度に身体が引き裂かれそうになりながら、目標の直上へと果敢に飛び込んでいく。
「1500メートル……1000メートル……500!」
「食らえッ!」
投弾。放たれた50番爆弾は、見事に目標を捉えた。
何時の間にか1000時間を超えていた飛行経験をもってすれば、至極当然の成り行きである。ただ己が戦果を確認するより前に、焼け爛れたる戦艦の姿が、猛烈なるGから回復した視界の中央に映る。
「よし、こいつはオマケだ!」
博田はほくそ笑み、機首の7.7㎜機銃を見舞う。
まさかそれが艦橋構造物の頂点に据えられていたMk.12レーダーを直撃し、射撃管制に厄介な混乱を与えてしまうとは、誰も夢にも思わなかったに違いない。
彗星5機による急降下爆撃を受け、戦艦『ミシシッピ』は1000ポンド級と見られる爆弾3発を受けた。
そうして炎上して一時的に交戦が不可能となった彼女は、新たに姿を現した敵戦艦の集中砲火を浴び始める。しかも最悪なことに、不正確ながらも次々と立ち上る水柱は、14インチ砲弾によって生じるものよりも明らかに大きかった。
「な、長門型のようです!」
「誰だ、あれを金剛型なんて言った奴は! 退艦させるぞ!」
激烈に怒り狂いながらも、ターナーは己が窮地を自覚する。
イタリヤ戦艦部隊というシーラと、長門型2隻からなるカリュブディスの間に、艦隊は追い込まれてしまっていた。敵の罠に見事はまったと考えるのが妥当なところだろう。
だが燃え滾るような闘志は、未だ衰えるところを知らなかった。
罠ならば食い破るまで。そう念じて弱気を吹き飛ばした直後、『コロラド』に新たなる敵弾が命中した。だがそれは第一砲塔の分厚い装甲によって食い止められ、何ら被害らしきものを齎さない。
「ともかく距離をもっと詰め、パスタどもをまず片付けろ。残り2隻はその後だ」
ターナーは歯を食いしばりながら命令し、それから彼我の状況を改めて鑑みる。
旗艦『コロラド』は強烈なる15インチ砲弾を既に6発受け、『ネルソン』も7発食らっているが、未だ両艦とも戦闘・航行ともに支障はなし。速力を犠牲にしてでも防御力を高めたことが奏功した形だった。三番艦の『テネシー』も外見とは裏腹に健在で、妙に射撃が不調のようだが、じきにその実力を取り戻すだろう。
一方で相対するイタリヤ艦隊は、旧式の三番艦が脱落し始めていた。
であれば残るはリットリオ級の2隻。4万トン超の新鋭戦艦たる彼女達が、現在どれほどの損害を受けているかは判然としないが、16インチ砲弾を叩き込まれて無事ということもあるまい。
(このまま3対2に持ち込めば、勝てるはずだ)
ターナーは大いに意気込み、拳をガッチリと握り締めた。
それから次の展開について考えを巡らせる。傷付いた状態で長門型2隻と戦うのは難しいかもしれないが、何が何でもやり遂げねばならなかった。
だが――次の瞬間、それはまったく無駄になってしまった。
まったく前触れのない轟音と激震が『コロラド』を襲い、大勢が壁や床に叩きつけられた。右舷前部には大きな水柱が立ち上っていて、ギリギリという金属の悲鳴が乗組員の耳を劈く中、艦体は大きく傾斜し始める。
「糞ッ、何事だ!?」
「右舷に被雷、魚雷です!」
「馬鹿な、何処からだ!?」
「不明です。ともかくも本艦は被雷しました!」
艦長のウッドサイド大佐は被害局限を急がせながら、残酷なる現実を告げた。
水雷戦隊同士は伯仲の勝負を繰り広げていて、そこを突破してきた敵駆逐艦は未だない。だが何処から撃たれたにしろ、喫水線下に大穴が穿たれたことに変わりはない。速度はみるみるうちに低下し、艦隊陣形が急速に乱れていく。
「ど、どうしてこんなこと……」
ターナーは譫言のように呻きつつ、眼前の全てが崩れ始めたのを実感した。
彼はイタリヤ艦隊相手にネルソン・タッチが如き戦術を試みんとしていたが、その目論見は魚雷によって突然打ち砕かれ、肥溜めに首まで嵌ってしまった。そしてかの大提督の精神を受け継いだ戦艦は、衝突を回避して先頭に躍り出たところで、38.1㎝砲15門の集中砲火を浴びて燃え上がる。
次回は3月15日の18時頃に更新の予定です。
やたらと元気と戦意いっぱいなイタリヤ海軍部隊でした。それもこれも中東からの原油が入るようになったお陰?
マダガスカル島の運命や如何に?




