マダガスカルまだ助かる⑧
インド洋:セントマリー岬東方沖
いきなり突撃を始めてしまったイタリヤ海軍だが、これには一応の理由があった。
一番鈍足の『ジュリオ・チェザーレ』でさえ28ノットも出るのだから、海原を駆け回らねば損という発想である。速力において優越していれば、戦端を開く時機はこちらが選択することができる。更には敵特設空母群は先程の空襲で全滅し、空は零戦が制圧するところとなったから、観測機を自由に送り込むことも可能だ。とすれば早々に敵艦隊との接触を試みつつ、後は臨機応変とするのが望ましいと考えられ、角田中将からの命令にあるように"高速をもって攪乱"することとしたのである。
ただ実のところを言うと、この決断は意図的な誤認の産物に違いない。
角田が想定していたのは、防御力に優れる『長門』と『陸奥』が敵主力艦と撃ち合っている間に、優速の『リットリオ』や『インペロ』を回り込ませて挟み撃ちとする戦法だった。だが幾つかの文法上のミスが多重事故を起こした結果、イタリヤ艦隊は先行して打撃戦を挑むべしと解釈し得る余地が、作戦書類に残されてしまっていた。
そしてそれを目聡く発見した人物が、作戦参謀のマラゾッキ中佐に他ならない。しかも彼は司令官たるパロナ少将に、この陥穽を上手いこと利用する方法を、随分と吹き込んでいたのである。
「おお、日本艦隊も追随してくれておるようだな」
旗艦『リットリオ』艦橋の司令官席に座するパロナは、実に好男子らしい顔をしていた。
「あの狼めいた重巡洋艦コンビに駆逐艦が8隻、長門型の2隻も後続。まっことありがたい」
「しかし敵は依然16インチ砲艦3隻を擁しており、うち2隻がネルソン級です」
そんな懸念の声も聞こえてくる。
英国が誇るネルソン級戦艦といえば、3基の主砲塔を前甲板に集中させている関係で、頭を押さえたところで砲戦力が減衰し難い厄介な相手である。
「その点に関しては、これまた日本人頼みとなってしまうが」
パロナはなかなか楽しげに続け、
「空母から雷撃隊が出て、敵艦隊の足並みを思い切り乱してくれるはずだ。我等が撃ち負けでもしたら彼等も当然困るから、援護に回らせざるを得ないし、仕損じたのなら改めて日本艦隊と合流すればいい。そうだな、マラゾッキ中佐?」
「その通りです。ただ彼等の卓越したる技量を鑑みれば、敵戦艦1隻の脱落は見込めるかと」
「とすればまさに好機到来、名誉挽回の時間という訳だ。ここで冒険しなければ男じゃないよな」
自信に満ち溢れた言葉に、艦橋に居合わせた誰もが活気づいていく。
開戦劈頭から暫くは、海軍は敵航空母艦に翻弄される一方であったが、その雪辱は今まさに晴れんとしている。程なく頭上に、これまで温存されていた雷撃機が現れた。唸りを上げて航過していくそれらの活躍を願いつつ、制空権下の水上戦とはかくも楽しいものかと、マラゾッキは実感した。
もっともそんな中、大慌てで艦橋に飛び込んでくる者もいる。
日本海軍から連絡将校として派遣されてきた湯野中佐で、これまた見事なまでに真っ青な顔をしていた。
「少将、何故突撃してるんです!?」
「どうした? 命令通り、高速をもって敵を攪乱せんとしておるだけじゃないか」
「いやいや、あれは元々……」
「湯野中佐、落ち着いてください。状況判断ですよ」
マラゾッキは会心の表情を浮かべて告げる。
「貴国の伝説的哲学剣士たる宮本雅史が、奥の細道で詠んだ俳句の通り、風林火山という奴です」
「何ひとつ合ってないじゃないですか!?」
狼狽し切った湯野が素っ頓狂に叫び、イタリヤ人達は豪快なる笑い声で応じた。
その後も『リットリオ』以下の12隻は、減速などするはずもない。礫のように寄せられる抗議に蒟蒻問答で躱しつつ、そのまま敵艦隊目指して一直線。
モザンビーク海峡:セントマリー岬西方沖
大きく傾斜した戦艦『ロドネー』の姿に、ターナー少将は思わず歯軋りした。
日本海軍の恐るべき雷撃機に襲われ、右舷に3発もの魚雷を食らった彼女は、もはや戦力として数えられそうになかった。的確なダメージコントロールが奏功し、沈没は避けられる見通しというのが不幸中の幸いではあるが――出し得る最高速度が11ノットでは、当然ながら艦隊運動の足手纏いにしかならぬから、護衛を付けて撤退させざるを得ない。
それから空を憎々しげに仰ぐ。
今そこを支配しているのは日の丸の翼だ。零戦がブンブンと飛び回り、護衛艦艇の甲板に機銃掃射を仕掛けたりしている。そのうちの1機が返り討ちに遭って墜落し、いい気味だと思いはするも、苦しい限りの状況は変わらない。次の空襲に際しての抵抗力は徐々に削がれているし、水上機を射出して索敵しようにも、たちまちのうちに撃墜されてしまうのだ。
護衛空母が1隻でも健在であったならば、少しは違ったかもしれない。だが既に『サンガモン』を除く全艦が沈没し、残された彼女にしても、浮かぶアイロンも同然である。
「とにかく、艦隊の再編を急げ」
回避運動でバラバラになった各艦を掌握せんと、ターナーは急ぎ命令する。
数時間前に何とか送り出した索敵機からの報告では、敵艦隊は急速にこちらへ向かっているとのこと。空襲で混乱した隙を突き、各個撃破を試みんとの企図であろうから、速やかに陣を立て直す必要があった。
『ロドネー』の脱落により、砲戦における優位が崩れつつあるのもまた確か。
だがここで艦隊決戦を挑んだ方がよいのも間違いない。今ならば4対5で勝負できるが、再び敵の雷撃隊が襲ってきたりでもしたら、更なる不利へと追い込まれるからだ。全ての戦艦艦長がそうした現実を察していたが故か、対応はなかなかに迅速だった。
「一時方向に敵艦隊らしき反応」
「速力28ノットで急速接近中」
待ちに待った報告が、レーダー室より届けられる。
既に単縦陣が組み上がっていた。いざ尋常に勝負、そうとばかりにターナーは拳を鳴らす。加えて追加で後に齎された目視情報が、彼の戦意を猛烈に沸騰させた。
「敵戦艦は3隻で、全てイタリヤ艦なんだな?」
「はい。間違いありません」
「軟派なヘタレ野郎どもにしちゃあ珍しい」
幾分の偏見に満ちた笑い声が木霊する。
程なくもう1群、恐らく水雷戦隊と思しき反応が確認されたため、軽巡洋艦や駆逐艦はそちらの迎撃に回さざるを得ない。だがわざわざ4対3で勝負に来るなど、天使すら足を踏み入れぬ場所に突っ込む愚か者に違いない。
「よし、各個撃破だ。ぶちのめしてやれ!」
「アイサー!」
ターナーの上げたる気炎が、艦隊全域に染み渡る。
ただ唯一分からないのは、何故高速で知られる金剛型と一緒でないのかという点だった。実のところそれが『長門』と『陸奥』であることに、最後の最後まで気付けなかったのは、幸か不幸か分からない。
戦艦同士の殴り合いが始まるより前に、先鋒同士の戦闘は開始されていた。
餓狼と評されし『足柄』に座乗したる大森仙太郎少将は腕組みしつつ、状況を幾分楽観視していた。イタリヤ水雷戦隊との合力により、重巡洋艦4隻に軽巡洋艦1隻、それから駆逐艦14隻という戦力となった。一方の米英側は、軽巡洋艦3隻と駆逐艦17隻といった陣容であったためだ。
無論のこと米海軍が誇るクリーブランド級は、1万トン超の侮れぬ艦であるのは確か。
だが軍艦の数では勝っているし、撃ち合いにおいてものを言うのは砲弾の重量だ。日伊の連携が多少拙いのを差し引いたとしても、20㎝砲弾を順当に叩き込んでいけば問題ないと踏む。乱取りとなる駆逐艦についても、イタリヤの軽巡洋艦『アッティリオ・レゴロ』が頼みとなる。
とすれば――ここが思案のしどころに違いない。
「さて、敵戦艦との距離はどれほどだ?」
「2万9000メートルほどです」
「なら一応、届きはするよな」
大森はほくそ笑み、一瞬だけ逡巡する。
搭載している酸素魚雷は確かに相当の射程を有するが、流石に1万メートル以上では命中はなかなか期待できない。というより、条件が揃わねばまず当たらないのだ。
それでも敵主力は、ひたすらに直進するのではないかと思われた。
快速で知られるイタリヤ戦艦との砲撃戦であれば、可能な限り距離を詰めんとするだろう。とすれば未来位置は概ね読める。先見や直観とでも呼ぶべき内なるものが、罠を張るべしと盛んに囁きかけてくる。
「よし、次の取り舵の直後に隠密雷撃。先頭のコロラド級を狙え」
大森は決断し、誰もが沈黙をもってそれを肯定した。
水雷戦用意の命令が麾下の艦へと伝達され、魚雷発射管に取り付いた兵が懸命に機器を操作していく。6インチ砲弾の水柱が幾つも聳えていく中、『足柄』に率いられた艨艟達は舵を切った。
「撃てッ!」
号令一下、酸素魚雷が圧搾空気に押し出された。
海面を駛走し始めた魚雷は、8隻合わせて50発以上。何発が命中するかは神のみぞ知るところである。
「だが……1発当たれば戦局が傾く。イタ公にばかり手柄を立てられてなるものか!」
次回は3月13日の18時頃に更新の予定です。
速力において優越しているなら、とにかく良い位置を取れるよう運動し、機を見て独断専行していけ。それから友軍をどんどん自分のペースに巻き込み、主導権を握って戦え……といったような内容の指揮哲学を、何処かで見た記憶があります。
今回のイタリヤ艦隊はそんな具合でしょうか? 長門型2隻や雷撃機をいいように使ってしまっておりますし。




