欧州空母航空団育成計画
南シナ海:リンガ泊地
シンガポールからほど近いこの海域にて、航空母艦『飛鷹』は搭乗員の発着艦訓練に従事していた。
ただ通常の内容とは相当に毛色が異なることは、士官室や待機所の人種的混淆具合を見れば一目瞭然。日本語に加えてドイツ語やイタリヤ語が飛び交う、まさしく三国軍事同盟といった光景が艦内に広がっているのだ。
これもまた、日欧連絡線が確立されたが故の成果と言えるだろう。
遥か1万キロの彼方の外津国からやってきた者達の大部分は、数か月以内に就役する手筈となっている『グラーフ・ツェッペリン』や『アクィラ』への配属が決まっていて、残りの者達もまた、呉での工事が完了し次第引き渡される客船改装航空母艦に乗り組む予定だ。ただ独伊海軍はどちらも機動部隊運用の経験がなく、そのままでは戦力化に時間がかかり過ぎるとの判断がなされたため、事前に日本の艦で訓練を積むこととなったのだった。
そうして異国の地にて奮闘する彼等にとって最良の清涼剤たるは、やはり祖国が勝利に違いない。
強敵を前にした戦友達の奮戦ぶりを耳に挟むと、やはり吐くべきは気炎であって弱音ではないと痛感するものである。出来得る限界まで技量を高め、新兵器や新戦術を携えて戦場に舞い戻らんと欲するものである。
「それにしてもドイツ海軍の頑張りようも凄いものだ」
士官室の誰かが日本語の歓声を発し、
「大東洋の大海軍たる我等も負けてはおれぬ」
「国防海軍が健在な限り、ノルウェー海をただでは通さぬのだよ」
「スターリンが音を上げる日も近いんじゃないか」
「ともかくも戦艦撃沈ともなれば、総統閣下もお喜びだろう」
少々ふてくされ気味なイタリヤ人達を尻目に、日独の士官達がワイワイやる。
米英重爆撃機による空襲に苦しむドイツ人をも沸き立たせ、ヒトラー総統が異例の祝辞を述べすらした米本土攻撃。それとほぼ同時期に、英独主力艦もまたバレンツ海において激突していた。幾分遅れて届いた幾つかの新聞には、同海戦に関する詳細なる記事が掲載されており、それによると戦艦3隻と装甲艦2隻を中核とするドイツ海軍の一大通商破壊部隊が、戦艦4隻に守られた援ソ船団の襲撃に成功したというのである。
しかも極北の海において挙げられたる戦果は、相当に大きいようだった。
フィヨルドの女王などと呼ばれたる戦艦『ティルピッツ』は、シャルンホルスト級戦艦二番艦の『グナイゼナウ』とともに英戦艦3隻を牽制。その隙を突いて『シャルンホルスト』が突入し、格上の敵を相手に苦戦を余儀なくされていた装甲艦『リュッツォウ』、『アドミラル・シェーア』と合流、合計21門の28㎝砲によって猛反撃に移った。その結果、英国海軍が誇る高速戦艦『レナウン』と歴戦の重巡洋艦『ノーフォーク』は大破炎上の末に沈没し、更には散開の遅れた貨物船複数が海の藻屑となったのである。
無論その後も潜水艦や基地航空隊による波状攻撃が続き、再集結した船団がムルマンスクに到達した時には、元の6割弱しか残っていなかったという。
「ただそれならば……」
喧騒の中、『飛鷹』飛行長の諏訪少佐はぼんやりと思考を巡らせる。
「航空母艦があると更に戦果の積み増しができたのかもしれないな」
「御意」
ウェルズ装置でも使ったかのような台詞が、独り言に対して返される。
「まさしくそれ故に拙者等は、貴公等に教えを乞い仕り候」
「ああ、うん。そうだったよねセバスチャン」
「其は誰ぞ? 拙者は瀬蓮茶之介でござる」
「ああ、茶之介だったね……」
クノイチなる名のカメレオンを撫でつつ、諏訪は困った顔で肯く。
何時の間にやらドイツ人航空士官のスタイン大尉がやってきていた。ナチ党の宣伝ポスターに描かれていてもおかしくない風貌の持ち主で、技量優秀なる急降下爆撃機乗りだが、これが何を勘違いしたのか日本刀など提げている。しかも何処で覚えたのか妙チクリンな侍言葉を話すし、出鱈目な名を名乗り出すしで、まったく世の中というのは分からない。
「ソ連邦のスターリンめは、悪鬼羅刹にして大菩薩なる外道」
敵国首脳を糾弾する表現はかなり間違っていて、
「かの大悪党と世間を惑わす共産主義の不埒者どもを成敗致し候というに、米英のうつけは怨敵に塩を送るばかり」
「我が国の関東軍も無敵などと威張っておる割に不甲斐ない」
スタインと仲の良い秋元という中尉が、心底悔し気に言う。
彼もまたすっかり変な色に染まっている。微妙に伝染性のものなのかもしれない。
「対ソ静謐などと宣うて、未だシベリヤを攻めぬ。友誼に悖るとはこのことぞ。まったくかたじけない限り」
「いやいや、いずれそちらの火蓋も切って落とされよう。とはいえ我等に航空母艦あらば、ノルウェーの沖にてあやつらの廻船を大層沈められたかと思うと、まったく口惜しくて夜分しか眠れぬ」
「夜寝れば十分だと思うんだよね」
「然り」
スタインと秋元は大口を開けて心底楽しそうに笑い出す。
一応は会話が成立しているのだから、わざと時代錯誤な喋り方をしているに違いないが――まあ割合、自分は傾奇者と縁があるのだろうと思うこととした。
「しかしかのほうき星なる航空機、あれはまっこと見事」
「おお、やはり」
「うむ。乗りたるは今日が初なれど、スツーカなど比べ物にならぬ。その疾きこと風の如く、動くこと雷霆の如し。聞けばかの翼の心臓は我が国の設計というから、欧州にて数千機を拵えれば為虎添翼の傍若無人となろう」
「ええまあ……ただ実際、そういう話も耳にしたんですよね」
諏訪がポロリと口を滑らすや、スタインが目を輝かせる。
シンガポールのクラブにて技術者達があれこれ話しているのを、ちょいと小耳に挟んだ程度ではあるが、新造航空母艦で使う分以外にも、単発の高速爆撃機というのはなかなか需要があるらしい。しかも生産元の愛知航空機は創立以来、ドイツのハインケル社と提携したりしていたものだから、生産移管に関してもかなり円滑に進められる見込みとのことである。
そうした噂話を続けていたら、横で猥談中だったイタリヤ人達まで食い付いてきた。
言われてみれば地中海という環境には、洋上での長距離作戦を前提とした帝国海軍の航空機が、性質的にピタリと合いそうなところがある。とすれば彗星だけに留まらず、零戦の設計図を提供するといった可能性もあり得るのではないか。そんな具合に話に花が咲いていく。
日欧連絡線が開かれてからというもの、技術協力は随分と得られるようになりはしたが、返礼が搭乗員の訓練と南方産の資源では少々情けない。とすれば片務関係が解消されるなら万々歳といったところだろう。
「ともかくも早急に稽古を終え、友の待ちたる戦場へと舞い戻り、敵艦目掛け急降下し候」
スタインは本当に上機嫌に言い、それから唐突に目を見開いた。
いったい何事か。周りがキョトンとしていると、彼は冷や汗など垂らし、更に腹をさすり始める。
「ううむ……如何な因果か、拙者の腸も急降下し候」
「あれまあ」
スタインは真っ青になり、厠へ一直線に駆けていく。
何だか久々に見たような展開だ。諏訪はそんな感想を抱きつつ、かつての乗艦の記憶を脳裏に浮かべた。食中毒とバンカラぶりで鳴らした航空母艦『天鷹』は、当たり所が悪くて未だドックから出られぬらしいが、流石に夏の終わりくらいには直るだろう。とすればまた縁があるのだろうかと、ぼんやりと思うのだった。
なおスタインの腹痛の原因だが、どうやら食べまくっていた珍妙なる果実に悪い虫だか菌だかが混ざっていたようで、彼以外にも多くの犠牲者が出てしまった。
そうした中で何より喜ばれたのは、ラッパのマークの征露丸である。その効用によって元気を取り戻した欧州人達は、ロシヤを討たんとばかりの薬名にいたく感激し、随分と買い込んでいったとかいないとか。
次回は2月19日 18時頃に更新の予定です。
航空母艦、というか海軍に関する熱がドイツでも高まっています。本作品のヒトラー総統は戦艦が大好きなんじゃないでしょうか?
それから謎なドイツ人大尉が出てきていますが、元ネタの人もっと変な人なのでご容赦を。あと25話くらい後にまたひょっこり登場するかもしれません。




