アメリカ大陸疾風怒濤⑧
真珠湾:太平洋艦隊司令部
「ミッチャーは頑張ってくれた。そう言うべき結果ではあろうな」
バンクーバー島沖海空戦に関する暫定報告を受け、ニミッツ大将はそう評した。
ワシントン州への空襲を許し、シアトルやタコマは今も大変な騒ぎになっているようではあるが――少なくとも大和型戦艦による艦砲射撃を阻止し、更には敵航空母艦も1隻撃沈した。写真偵察機によって『蒼龍』と判明した彼女は、持ち帰るのは困難と判断されたらしく、総員退艦の後に友軍の魚雷で処分されたようである。とすれば海軍の面目も何とか保たれたと言えるだろう。
だがそのために支払うこととなった犠牲は、正直に言ってかなり甚大である。
敵機動部隊が戦闘機をやたらと多く積んでいた関係で、西海岸にあった大航空部隊は相当数の未帰還機を出していたし、飛び立つ前に地上撃破されたものも100機近くあるという。奮戦した第14任務部隊もまたかなり無理のある攻撃で艦載機多数を喪失し、最新鋭の航空母艦『エセックス』を処分する破目にもなった。1000ポンド級とみられる爆弾を複数受けた挙句、経験の浅い乗組員による非能率的ダメージコントロールが災いして大破炎上、混乱の中で雷撃機の接近を許してしまったのだ。
加えてあれこれ話を聞く限り、日本海軍も新型機や新兵器を続々投入してきている。連合国軍の太平洋反攻作戦は、まだまだ遠く思えてならなかった。
「双方1隻ずつの喪失となりはしましたが、海の上では我々が勝ったも同然でしょう」
知恵者と評判のマクモリス少将は割合に元気で、
「もっとも『エセックス』と『蒼龍』では、格がちょっと違うかもしれませんが」
「それでも補充能力の差を考えれば、悪くないという考えか……」
「ええ。戦艦や重巡洋艦の補充もあって遅れ気味な部分もありますが、1年後にはエセックス級は更に8隻揃う予定ですし、インディペンデンス級も合計18隻まで増やす決定がなされました。一方で情報部の分析よると、日本海軍は精々3隻か4隻くらいの航空母艦しか追加できないとのこと。時間は我々の味方です」
「そうだな、うん。間違いない」
厳かに肯きつつ、ニミッツは胃の痛みを堪えた。
それから角砂糖を大量にぶち込んだコーヒーを飲み、溶け切らなかったそれを口の中でジャリジャリとやる。
確かに今回の海戦については、多少はマシな結果を残せたと言えるのかもしれない。
とはいえこれまでの犠牲が多過ぎ、その責任は開戦直後から太平洋艦隊を率いてきた自分にあった。なのに何故、長官交代とならぬのだろうか。ルーズベルト大統領やキング海軍作戦部長に求められているのであれば、何があろうと祖国のため最善を尽くす所存ではあるが――時折、そこが分からなくなってしまうのだ。
「まあ、それはそうとして」
執務室の机にコーヒーカップを置き、話題と思考を切り替える。
「日本軍は次に何処に出てくるだろうかな?」
「恐らくは……北太平洋方面で更なる攻撃に出るやもしれません」
「なるほど、その根拠はどんなところだろうか?」
「まずアラスカ方面の航空戦力が現在……」
マクモリスは説明を続けようとしたが、それは部外者によって中断された。
執務室のドアがバタンと開かれ、顔面蒼白の連絡員が用紙を手にすっ飛んできたのである。
「長官、カナダのプリンスルパートおよび周辺の航空基地群が空襲を受けた模様です!」
「な、何だって!?」
避退したと思われていた日本海軍の機動部隊は、尚もアラスカ方面での作戦を継続していたのだ。
しかも悲報はそれだけに留まらなかった。アラスカ第四の都市たるシトカの沖合に戦艦群が現れ、艦砲射撃を開始したというのである。
アラスカ湾:バラノフ島沖
「いやはや、大変に良い気分だ!」
打井少佐は言葉に違わず上機嫌であった。
航空母艦『迦楼羅』からは、轟然と火を吹く戦艦『武蔵』の姿がよく見えた。大和型の圧倒的火力は米航空基地を容易く撃滅し、滑走路や格納庫を吹き飛ばしていく。幾分チンケではあったが、一応は北米大陸に所在する目標に違いないし、やはり艦砲射撃というのは見ていて飽きるものでもないのだ。
なお艦隊の上空には、直掩の零戦が1個中隊ほど飛行していた。
そちらからの景色はさぞ壮観だろう。隊長としての仕事が山積みであるため、空を飛ぶばかりでは済まないことに多少の悔しさを覚えはしたが、まあ後進に譲れてこそ海軍士官だと自身を納得させる。
「そういえばあの基地の島、不思議なことにヤポンスキー島って言うらしいですね」
弾撃つ響きが雷の声かとばかりに響む中、頭と片腕に包帯を巻いた室田大尉がそんなことを呟く。
「ロシヤ語で日本人の意味です」
「それくらい知っておるよ。でもどういう由来なんだろうな?」
「大黒屋光太夫のちょっと後くらいに、あの辺に漂着した日本人がおったとか」
「とするともしやあの辺りに日系人が住んでおるのか?」
「いや、それはないと思います。江戸時代の話ですし、住んでいたとしてもその」
「ああ、糞ロクデナシな話になってたんだったな」
新聞で報じられているところによると、米国は日系人を収容所に送ったという。
同じく交戦中のドイツやイタリヤ、ハンガリーなどに繋がりのある人間がそうなったという話は全くない。それ故、排日移民法以来の人種主義であって言語道断の所業であるとか、東條首相が口酸っぱく演説していたのが思い出される。
「まあ色々と妙な話なので、戦争に勝ったらこの島を割譲でもしてもらいたいもんですね」
「ははは、そいつは面白いな」
打井は屈託なく笑った心算であった。
確かに米本土空襲を成功させ、今まさに艦砲射撃を実施しているのだから、彼等が戦争遂行意欲に一定の打撃は与えられただろう。だが米軍将兵もまだまだ戦意旺盛であろうし、そんな相手から準州の一部であれ領土を引き出すのは容易ではなさそうだ。
加えてやはり思い出されるのは、デブな癖してやたらと素早い新グラマン。
11機か12機を撃墜したとはいえ、こちらも5機が未帰還となるなど、従来通りの戦いが難しそうな敵機が出現したのである。まだまだ技量でもって戦えはするだろうが――『蒼龍』に殺到した攻撃隊に痛撃を与えた室田にしても、艦爆の後部機銃に撃ちまくられ、見ての通り深手を負ってしまったりもした。
そうした諸々を鑑みると、イケイケの戦もこの辺までではないかと、滅入りそうな気分にもなる。
「まあでも、だ」
僅かに滲んだ敗北主義を根性で振り払い、
「室田大尉には早急に快癒てもらわんと困るぞ。取らぬ狸の何とやらでは仕方ないし、米軍の反撃もより熾烈となるかもしれん」
「無論です。さっさと治しますよ」
「うむ。ただし焦らず、万全の状態で戻ってきてくれ」
実感を込めて室田の肩を叩き、それから戦が続くであろう空を睨みつける。
するとどうしたことだろう。図体のでかい四発機が編隊を組み、幾分遠くの雲間を通り抜けていくのが目についた。一切聞いていないのでもしやと思い、双眼鏡でその方角を覗いてみると、深緑色の胴体にははっきりとした日の丸。何だまだまだやれるじゃないかと独り合点し、打井は彼等が旅路を見守ることとした。
ブリティッシュコロンビア州:アダムズ川上流域
「あッ、友軍機が見えました!」
見張り員の感極まったとばかりの声が響く。
特別陸戦隊を率いる北郷少佐は、それを耳にするや否や涙を流しそうになった。伊二十八潜水艦に便乗してカナダ太平洋岸の人気のないフィヨルドに上陸、現地のカヤックに似せた小舟と鍛え抜いた健脚でもって数百キロを踏破し、遂にはアダムズ川上流の名の知らぬ山岳の尾根に陣取った。そうした凄まじいまでの労が、見事報われたからに違いない。
彼等が部隊に与えられていた任務は、正確な気象情報を送信することだった。
特に機動部隊による空襲と並行して行われる、16機の二式大艇を用いて北米大陸内陸部の目標を爆撃する一大作戦には、それが死活的なまでに重要。しかしながら無線信号はすぐさま現地部隊や警察組織の傍受するところとなる。故に所定の区域に潜伏を終えた後も、発信の度に数十キロを移動し、山狩りから逃れねばならなかった。森林と河川、峻険なる山々ばかりが連なる場所での大重量物を背負っての強行軍が、どれほど過酷なものかは記すまでもないだろう。
そして自分達は米加軍の追跡を躱して生き残り、ロッキーの尾根を這うように飛ぶ二式大艇を目撃している。奇跡は自ら起こすものだと何度も口にしてきたが、それを目の当たりにして冷静でいるのは難しい。
「頑張れよ!」
「頼んだぞ!」
部下が口々に、しかし音量の抑制された声援を送る。
二式大艇は感謝の意を示すかのように真上を航過し、南の尾根へと消えていった。恐らくはその先にある水力発電所や変電所、アルミニウム精錬工場などを破壊し、米国民の肝胆を寒からしめる計画なのだろう。
「ところで少佐」
火星エンジン音が聞こえなくなった辺りで、副長の日高大尉が尋ねてくる。
「元より生還は期しておりませぬが、今後我々は如何なる任務に就くのでしょうか?」
「甲乙丙案の何れかではあろう」
「とすればようやく米本土浸透ですか。まったく腕が鳴りますね」
「まあ今日か、遅くとも明日には連絡があるはずだ。全てはそれ次第だよ」
北郷もまた大胆不敵な表情を浮かべ、改めて友軍機の過ぎていった方を望んだ。
決死の爆撃行であろうが、折角ここまで来れたのだから、是が非でも上手くいってほしい。彼は一心不乱に願い、天はそれを聞き入れた。帰路に半数以上が撃墜されたとはいえ、十三番機を除く全機が所定の目標への攻撃に成功していたのだ。破壊にはまるで至らなかったものの、世界最大のグランドクーリーダムに対する投弾すら行われ、ワシントン州全体が蜂の巣をつついたような大騒ぎに見舞われた。
だが後世の視点からすると、十三番機が挙げた戦果の方がより重要だった。
途中で機位を失って燃料を徒に消費してしまったことから、機長の古渡大尉は代替目標の捜索を指示し、結果として建設中のアルミニウム精錬工場らしき建屋に爆弾2発を命中させた。ハンフォードという何の変哲もなさそうな平地に築かれつつあったそれは、実のところ極めて特殊な元素を生産・精錬するための、副大統領にすら知らされていない超極秘施設だったのである。
次回は2月17日 18時頃に更新の予定です。
潜水艦から出撃した特別陸戦隊の誘導によって二式大艇が米本土を爆撃し……大変なものを破壊していってしまいました。
ハンフォードの超極秘施設は言うまでもなくプルトニウム生産用の黒鉛炉です。同施設は建設が始まってから間もない段階なので、施設の直接的被害はそこまで大きくないかもしれませんが、偶然であれ爆撃を受けたという事実そのものが、様々な疑心暗鬼を生み出すかもしれません。




