アメリカ大陸疾風怒濤⑥
太平洋:バンクーバー島西南西沖
「まったく、ミッチャーの親父は人使いが荒くて困る」
急降下爆撃機たるSBDドーントレスの機内に、マクラスキー少佐が木霊する。
「だが海軍で一番いい親父だ」
「違いありませんね」
後部機銃員のロガチョフ軍曹が元気よく応じた。
ミッチャー少将はあまり口数は多くないが、海軍の飛行機野郎の草分けとでも言うべき人物だ。それに長年の経験によって培われた不思議な寂寞感を帯びていて、それが大勢を惹き付けるのである。
そんな大提督に心底済まなそうな表情で、大変な仕事だがやってくれないかと頼またれたらどうなるか。
是非とも、喜んでと快諾できぬ搭乗員など、第14任務部隊に配属されているはずもなかった。誰もが期待に応えるべく、また米本土空襲の仇を討つべく、艦載機に飛び乗って射出されていったのである。
「とはいえそろそろ見つからんと、俺等全員海水浴だな」
航法を上手い事こなしつつ、マクラスキーは翼を翻して索敵する。
彼の率いる中隊は現在、北緯47度25分を保って、ともかくも真西へと向かっていた。未だ敵機動部隊の位置は掴めてはおらぬが、飛んだ先に必ず潜んでいるとの確信があった。
もっとも燃料は有限である。任務部隊は北北西に驀進しているとしても、帰還不能点はかなり近い。
「ん、んん……?」
マクラスキーの皿のような瞳が、海面に浮かぶ幾つもの染みと、長々と伸びる航跡を認めた。
一旦両目を瞑り、改めて対象を凝視する。やはり敵艦隊に間違いない。
「おおッ、ここであったが百年目だ!」
「やりましたね!」
会心の笑みを浮かべつつ、敵艦隊のある方へと中隊を誘いていく。
それから周辺の空を厳重警戒し、遠くに零戦があることを確認する。ただ見たところ、それらが向かってくる様子がない。
「少佐、艦隊発見の打電を」
「いや……暫し待て」
僅かな逡巡の後、マクラスキーは大胆な可能性に到達した。
既に敵艦隊のレーダーに捉えられているはずだが、直掩機との距離は縮まらない。もしかすると敵艦隊は艦載機の収容を終えた直後で、自分達を遅れて帰還した友軍と勘違いしているのではないか? そうした確信は、時間経過とともに強まっていく。
「どうやら俺等は、最高にツイているようだ」
マクラスキーは屈託なく笑い、神に感謝を表明した。
対空砲火も撃ち上がらぬ中、姿が露わとなってきた1隻に狙いを定める。油断し切ったところに急降下してやれば、500ポンド爆弾も半分くらいは命中させられるかもしれない。
小沢中将率いる機動部隊本隊は、確かに航空機の収容を終えたところだった。
しかもちょうど南東方向から接近する大型機をレーダーが捉え、直掩機の一部をそちらに向かわせてもいた。米艦爆隊はそうして生じた間隙を突くように、更には味方艦載機のような挙動で侵入してきたからたまらない。
不運の積み重ねを一身に浴びることとなったのは、航空母艦『蒼龍』に他ならなかった。
怪しんだ対空見張員が異変に気付いた時には既に、ドーントレスの群れは上方の好位置にあった。そこから次々と翼を翻し、エンジンを最大まで開きながら、爆弾を抱いて猛然と突っ込んでくる。
「敵機直上、急降下!」
「何ィ、取り舵一杯!」
艦長の服部大佐が大声で命じるも、舵が利き始めるには時間がかかる。
対空機関砲群が遅まきながらも撃ち始め、幾筋もの火線を展開するも、文字通り命知らずな艦爆を阻止するには至らない。敵一番機は見事という他ない技量でもって急降下爆撃を完遂し、放たれた爆弾は後部飛行甲板を貫いた後に炸裂。耳を劈かんばかりの爆音とともに格納庫に火の手が上がり、据え置かれていた零戦をジュラルミンの残骸に変える。
無論のこと乗り組んでいた者達も凄まじい激震に見舞われ、あるいは猛烈なる爆風や火炎に斃れていく。
「敵機、更に急降下!」
「総員、衝撃に備え!」
毒づく間もなく、残余のドーントレスが更なる攻撃を継続。
ようやくのこと『蒼龍』は回頭を始めるも、それまでの間に更に3か所に被弾した。エレベーターのうち2基が使用不能となり、航空機運用能力を喪失、水線に数メートルの破孔も穿たれていた。消火装置が全力で稼働し、僚艦が急ぎ駆け寄って放水するも、大火災はなかなか収まる様子もない。
だが――それ以上に罐の損傷具合が、厄介極まりない問題となりそうだった。
「随分とやられたな……速力はどれほど出せる?」
「現状、14ノットが限界かと」
「分かった。ともかくも復旧を急がせろ」
強烈なる悔恨を面に滲ませつつ、服部は命じる。
本隊は敵機動部隊撃滅に向かうだろうが、『蒼龍』はもはや足手纏いにしかならぬ。しかも北米大陸は未だ間近で、味方勢力圏は数千キロ先。死して護国の鬼となる覚悟が必要となりそうだった。
航空母艦『蒼龍』被弾、その報に誰もが色めき立つ。
米索敵攻撃隊を味方と誤認し、迎撃し損じた末の、相当に手酷い打撃である。後続する複数の艦爆隊は直掩機が壊滅させはしたものの、生じた火災は未だ収まらず、まるで予断を許さぬ状況であるという。
一方、敵機の離脱方向から米機動部隊は南南東と断じた小沢中将は、残存する航空母艦3隻をもって反撃を構えだ。
とはいえ30ノットの最大戦速で南下する艦隊に、深手を負った『蒼龍』が追随できるはずもない。随伴の駆逐艦2隻とともに後退する彼女は、そのままでは水上標的も同然。今後の戦局を鑑みれば、ここで喪失する訳には絶対にいかぬから、未だ健在な囮部隊でもって援護することとなった。
「敵の第二次攻撃隊は何時来るか分からん。何としてでも防いでくれ」
飛行長が真剣なる面持ちで言う。
「では皆、頼んだぞ」
「ええ。チンピラゴロツキにゃ指一本触れさせません」
打井少佐は拳を振り上げ、勇んで愛機に飛び乗った。
既にエンジンのかかっていた機であったから、発進に時間などかからない。飛行甲板を一気に駆け抜け、空の高みへと軽やかに舞い上がる。艦隊上空で列機と合流して隊伍を組み、援護するべき艦のある方へと向かわんとする。距離は未だ60海里ほどはあるが、零戦であればひとっ飛びといったところだ。
「よし、このまま一息に……」
「打井少佐、応答願います」
切迫した呼出が届く。『迦楼羅』通信室からだ。
すぐさま航空無線を送話に切り替え、どうしたと呼応した。それからまた受信に戻す。
「艦隊九時方向に敵爆撃機と見られる目標多数」
「何ッ!」
「至急、迎撃に向かってください」
「了解。直ちに向かう」
言いたいことを押し殺し、打井は即座に応答した。
一刻も早く援護に向かいたいところだが、空襲下で回避運動をしながらの発艦というのは至難の業だ。これは後続機が上がるのを阻害されぬために不可欠のこと、焦燥する己が魂にそう言い聞かせる。
「チンピラゴロツキというには、なかなかヤクザな敵だな、おい……」
素早い操縦桿捌きで交戦空域へと機首を向けながら、打井は思わずそう漏らす。
息苦しい時間を経て、双発の中型爆撃機の姿が露わになった。ともかくもこれらを迅速に撃滅し、大急ぎで反転する。それまで『蒼龍』が更なる被害を受けずにいてくれることを、切に願う以外ない状況だった。
次回は2月13日 18時頃に更新の予定です。
囮艦隊を用い、西海岸に展開する航空戦力を吸引しはしたものの……流石に小沢機動部隊も無傷とはいかなくなりました。
被弾した『蒼龍』の運命や如何に?




