アメリカ大陸疾風怒濤④
太平洋:バンクーバー島西方沖
北方の何処か荒涼とした空には、無数の飛行機雲が入り乱れていた。
十数もの筋を束ねたようなそれを辿ってみれば、合衆国陸海軍が放った爆撃機隊へと辿り着く。ワシントン州の飛行場から700マイルもの距離を踏破した四発の大型機が、互いの死角を埋めるように密なる編隊を組み上げ、近付く敵機あれば全力での機銃掃射を見舞わんとしているのだ。
一方、時折紛れる白い曲線は、かの堅牢なる陣に果敢に飛び込んだ戦闘機のものに違いない。未だ神通力を保った零戦が、両翼の大口径機関砲を瞬かせ、不運なる何機かを脱落させていく。
「ああッ、ルイス機がやられたッ!」
「何でもいい、撃ちまくれ!」
敵艦隊直上を目指すB-24の機内に、切迫した叫びが木霊する。
悍ましい栄エンジンの唸りが高まり、急速に遠のいていく。だが安堵している暇などない。次の敵機がすぐにも現れ、恐るべき大火力を見舞わんとしてくるからだ。
とはいえ中には、航空迎撃をまるで受けぬ部隊もあった。
飽和攻撃に成功したという意味だった。直掩機を大きく上回る数の爆撃機を揃え、次から次へと投じていけば、無敵の零戦といえど息切れする。そうした隙を突いての攻撃という訳だ。狙い撃たれた機のクルーは不運であるが、それが最も犠牲を小さくする方法であることは、幾多の戦闘で実証済みである。
実際、敵艦隊の規模から考えて、戦闘機は多くとも60機程度だろう。B-17やB-24といった重爆撃機を200機以上も投じた波状攻撃なのだから、そうなるのも当然の成り行きだ。
「だがここから先は、まさに地獄の二番地」
B-24を操るマクドネル大尉は、汗ばんだ手で操舵輪を握り締める。
「待っているのは花火での大歓迎だぞ。皆、覚悟はいいか?」
「できてますぜ!」
「よろしい! 大和型とかいう奴に爆弾を叩き込んで撃沈し、いい気分で凱旋しようじゃないか!」
マグドネルは威勢を上げ、正面をきつく睨みつける。
爆撃を敢行しつつある友軍編隊の近傍には、黒色の花弁が咲き誇っていた。敵は戦艦4隻、航空母艦3隻を中核とし、十数隻の護衛艦艇がその周囲を固めている。とすれば高射装置によって射撃管制された100門近い高角砲に撃ちまくられる訳で、そんな地獄の中では隊伍を維持するだけでも難しかろう。
そして自分達が向かうのも、かように苛烈な空に他ならぬ。ここで求められるのは蛮勇だ。
「あッ……」
下方見張りを行っていた爆撃手が、唐突に素っ頓狂な声を上げた。
「どうした、何かあったか?」
「敵艦、主砲発砲の模様」
「いったい何だ、それは?」
さっぱり意味が分からぬ報告だとマグドネルは思った。
戦艦については実のところ素人だが、主砲を発射すると凄まじい爆風が甲板を舐めるであろうから、対空要員は一旦艦内に退避せねばならないだろう。とするとまったく非常識的で、合理性の欠片も感じられない。
(とするとあるいは……)
友軍が戦果を挙げたのを、見間違えたということもあるかもしれない。
前後の甲板に同時に被弾するようなことがあったならば、主砲を発砲したと見間違えることもあるかもしれない。だがどちらであったとしても、さほど重要な話ではないだろう。ともかくも今は長機の指示通りに編隊を組み替え、大和型戦艦に爆撃を見舞うのみ。先の言葉とは裏腹に、500ポンドや1000ポンドの爆弾では沈まぬだろうが、艦上構造物をスクラップにすることはできる。
「ボビー、そろそろ爆撃の準備を……」
マクドネルはそこで二の句を告げなくなった。
眼前にて得体の知れぬ何かが爆ぜ、悍ましく煌く数千の星々を撒き散らしたからだ。白色の煙を立てて燃焼するそれらは、爆撃航程に突入せんとする編隊に容赦なく降り注ぐ。
正体は言うまでもなく、日本海軍が対空戦闘用に開発した三式弾である。
その実効的な威力はといえば、開発者や運用者が期待していたほど大きなものでもない。戦艦4隻が放った数十発の砲弾うち、的確な位置で起爆し得たものは、実のところ1割にも満たなかった。更には最も多く焼夷弾子を浴びせられたB-24が、曲がりなりにも米本土の飛行場に帰還したりもした。
ただ突然の被害に驚愕したパイロットが複数おり、結果として編隊は崩れ、空中衝突のため喪われた機体すら出たのもまた事実。マグドネルの搭乗していたB-24は、まさに技量未熟なる僚機の巻き添えを食らって墜落した。
「ええい何やっている、1つの編隊ばかり追いかけるんじゃない!」
「もっと分散しろ、ダンゴになるな。ダンゴ三兄弟かおのれらは!」
激烈なる艦隊防空戦をこなしつつ、打井少佐は大変なる苛立ちを覚えていた。
彼の搭乗する航空母艦『迦楼羅』と僚艦の『瑞鳳』、『龍鳳』の搭載機は、対潜哨戒用の艦攻を除いた全てが戦闘機という編成で、米陸海軍の空襲に対して毎度多数の直掩機を放っていた。問題はそれらが効率的に戦えていないことである。対空電探が配備されたお陰もあって、気付いた時には敵機が真上といったことはなくなったが――1つか2つの敵編隊に十数機がかかり切りになったりするので、別の部隊がその隙をすり抜けていったりするのだ。
それでも艦隊は猛烈なる対空射撃でもって、空襲に対処できてはいるようだった。
次々と炸裂する三式弾は敵爆撃機の編隊を悉く掻き乱し、効率的な公算爆撃を難しくしている。防空艦へと改装された重巡洋艦『摩耶』の獅子奮迅ぶりも凄まじく、4隻も揃った秋月型駆逐艦も長10㎝高角砲で敵機を次々と叩き落とすなど、まったく見事な御手前だ。お陰で今のところの被害といったら、戦艦『武蔵』に3発、『伊勢』に2発の爆弾が命中したといった程度ではあった。
だが被弾や至近弾があれば、確実に何人か戦死する者も出る。戦場の常とはいえ、彼等にもっと戦わせてやる方法もあったのではとの想いが、どうしようもなく込み上げてくるのだ。
「お前等、ええと……」
索敵警戒を行いながら、打井は味方機の固まり具合に憤る。
「何処の隊だ、応答しろ!」
「qawsedrftgyhujiko……」
「喧しい、一度に喋るんじゃない!」
叱責が電波に乗って飛ぶ。
とはいえ誰に対してのものか、聞いただけでは分からぬから、混信もまた当然の帰結だった。列機との連携を維持しながら戦うというだけでも相当にしんどいのである。全体の戦局を俯瞰し、誰が何処を飛んでいるか把握しながら戦うなど、どれほど腕のよい航空科士官にとっても無理難題の類だろう。
「だが……」
新たな敵編隊を眼下に望みつつ、歯を思い切り食いしばる。
飛行機乗りとは頭に血の昇り易い生き物であるから、目先の敵機と六時を見るだけで精一杯。とすれば何十という直掩機をもって迎撃戦闘を遂行するに際しては、効率的な指揮統制機構が必要不可欠だ。
「まあ、考えるのは後!」
打井は思考を一旦吹き飛ばす。それから二番機、三番機の位置を確認し、愛機の翼を大きく翻させる。
敵機の前上方から逆落としで攻撃だ。最大まで開いたスロットルと重力の合成で零戦は大加速し、身体に締め付けるGがまったく心地よい。目指すは敵編隊長機のコクピットで、体当たりせんばかりの襲撃運動の途中、思わず空を仰いだ赤ら顔の搭乗員と目が合った気がした。
「いただきだ!」
引き金を強く絞り、全力射撃を見舞った。
刹那の後に軌跡は交叉し、衝突すれすれのところですり抜ける。振り返ってみると、標的としたB-24は随分と被弾したようで、主翼から火を吹きながら脱落し始めていた。
太平洋:バンクーバー島西南西沖
「米軍もまた、随分としつこく攻撃しておるのだな」
航空母艦『赤城』に座する小沢中将は、深夜に齎された報に幾らか驚く。
北方100海里にあるはずの、戦艦『武蔵』を基幹とする囮艦隊。未だ健在なるそれに対して米軍航空部隊は、何と夜間爆撃を敢行中だという。流石に精度は著しく低いようだが、攻撃の手を緩める心算はないという鋼鉄の意志が伝わってくる。
そしてその事実は、米本土空襲作戦の成功と同義となりそうだった。
小沢の指揮下にあるのは、航空母艦4隻で構成される強力な機動部隊だ。しかも囮艦隊に敵戦力が集中し、更には無線封止も奏功したこともあって、未だ米軍の哨戒網にかかっていない。
「それにしても爆弾15発、魚雷2発命中というのは凄まじいな」
「命中率に劣る水平爆撃中心での被害ですからね」
参謀長の山田少将も驚愕気味に言った。
一般に重爆撃機による水平爆撃は、1%前後しか当たらぬという。昨日の空襲にしても概ねそんな程度の数値であったようで、加えて敵の半数ほどは艦隊上空に至る前に脱落したという話だから、3000発ほどの航空爆弾が1日のうちに投じられたという信じ難い結論が導出された。
なお魚雷2発命中というのは、B-24を無理矢理改造したらしい雷撃機によるもの。米軍も必死である。
「特に敵護衛機が出現した辺りから、被害が増加したようです」
「さもありなんといったところか」
「ええ。ただ駆逐艦『朝霧』が撃沈された以外は、未だ戦力は維持できているようで」
「多聞丸にも迷惑をかけるな」
小沢は淡々とした口調で言いつつ、後輩の置かれている状況を慮る。
戦力は維持できているといえど、零戦隊も相当に消耗し、戦艦も手酷く叩かれたに違いない。
「であればこそ、彼等が犠牲に見合う戦果を挙げねばならん」
厳かなる言葉とともに、第一次攻撃隊の発進準備が命令された。
最新鋭の艦爆たる彗星54機を、倍する数の零戦でもって護衛し、450海里彼方の米本土を強襲する。飛行甲板に並べられつつある猛禽が飛び立つ払暁までが、何とも重苦しい時間となった。
次回は2月9日 18時頃に更新の予定です。
囮艦隊は順調に敵戦力を吸引していますが、この世界でも戦艦『武蔵』は被害担当艦なのでしょうか?
なお重爆撃機による水平爆撃の当たらなさですが……佐藤大輔の富嶽が出てくる短編に、やたらめたら高高度水平爆撃が命中するのがあったなあ、などと思い出しております。




