アメリカ大陸疾風怒濤①
真珠湾:太平洋艦隊司令部
「ううむ、思ったほど上手くいかないものだな……」
祖国を挟んだ反対側の戦局に、ニミッツ大将は諸々を噛み殺したような顔を浮かべる。
欧州反攻の第一歩として行われたカサブランカ上陸作戦は、一応は成功したと言えた。士気に劣るフランス軍はアルジェリアへと撤退し、10万を上回る兵力がモロッコ一帯を占領しつつある。ここに陸軍航空隊が進出すれば、ジブラルタル防空のために航空母艦を割くなどという馬鹿げた状況が解消されるため、太平洋艦隊としてはありがたい限りであった。
ただ最大の問題は、戦艦『マサチューセッツ』が喪われたことに違いない。
海兵隊の上陸支援任務に当たっていた彼女は、艦砲射撃の最中に触雷するという不運に見舞われた。そうして仕方なしに後退していたところ、懐に忍び寄っていたUボートに気付かず、魚雷4発を食らって横転沈没してしまったのだ。モロッコ沖に独伊の潜水艦戦力が大集結していることは事前に分かっており、何十という対潜艦艇を事前に投入して掃討に当たっていたにもかかわらず、この大惨事という訳である。
海軍の期待を一身に背負ったサウスダコタ級は、既に1隻しか残っていない。ニミッツは冷静沈着を装ってはいるものの、何故新鋭艦がこうも悉く沈むのかと、怒鳴り散らしたい気分で満ち溢れていた。
「とはいえ、これで西海岸の不安を取り除けるはずです」
参謀長として新たに赴任してきたマクモリス少将は、事もなげな調子で言った。
珊瑚海で沈んだ先代の名を受け継いだ、エセックス級航空母艦の次女たる『レキシントン』が、太平洋へと向かってきていることだけは間違いない。半月ほどの後には、サンディエゴに錨を降ろすことだろう。
「最後にフネが残っているのが我々の側であればよいのです。もうじき『エンタープライズ』の修理も終わるでしょうから、この戦力をもってダッチハーバーとミッドウェーを奪還、ハワイへの航路を安定化させていきましょう」
「そうだな」
ニミッツは肯きつつも眉を顰め、
「最後にフネが残っているのが我々の側であればよい、まことにその通りだ」
「ええと、長官……?」
「ああ、すまん。少しばかり気が立っていたようだ」
朗らかな口調と面持ちでニミッツは詫びた。
苛立ったり参謀長に当たったりしたところで何も得られぬと、自身に何度も言い聞かせる。
「ただ最後に残っているフネは多ければ多いほどよい。それを忘れずにいこう」
そんな言葉とともに、マクモリスの表情を凝視する。
現在、海軍に対する有権者の期待は高まる一方ではあるが、それは容易に怒りへと転化し得る代物という認識も必要だった。市民の中には自分を含めた将官を口さがなくスパイと批難し、家に石を投げたりする者もあるのだから。
そして彼等に対する反駁は、明快なる勝利をもってせねばならない。
ニミッツは強くそう念じ、西海岸防衛のあり方を考察し始めた。暗号解読や通信量の増減などから、日本海軍がまたろくでもないことを企んでいる可能性が浮かび上がっている。それを撃ち破ってこそ、責任を果たしたと言えるのだ。
アダック島:湾岸
活発な通商破壊戦にもかかわらず、アラスカ方面の敵は増強されつつあった。
100機近い数で押し寄せる長距離爆撃機群を前に、ダッチハーバーやニオルスキーの部隊は苦戦を強いられている。昨年のうちに運び込んでおいた物資や燃料があるお陰で、未だ水上戦闘機を用いての迎撃戦闘を行えてはいるものの、新たに輸送船を送り込むのは著しく困難。とすれば抵抗力を喪失するのも時間と言うべきかもしれない。
そうした最前線と比べると、アリューシャン列島中部のアダック島には十分な余裕があると言えるだろう。
歩兵第125連隊を基幹とする守備隊は、過酷なる気候においても意気軒高であったし、空についても時折偵察機が飛来するといった程度。第六艦隊所属の伊号潜水艦もこの島において真水や食糧を積み込み、更には魚雷を補充していきさえする。飛行艇が離発着するに適した汽水湖や潟湖が北部にある関係で、精密機器の空輸が可能となっているのだ。
「とはいえ今回は、魚雷は自衛用の6発のみか」
矢島少佐は少し自嘲的に呟いた。
彼が艦長を務める伊二十八潜水艦は、ハンマーヘッドなる名の入り江に浮かんでいて、内火艇でもって諸々の荷物を積み込んでいる。案外馴染みのないものばかりだ。
「おまけに危険だけは通常の倍はあるときた」
「それに見合う成果は挙げて御覧に入れます」
何時の間にか後ろにいた北郷少佐が、何とも気さくな態度で言う。
どうにも日本人離れした外見をした彼は、やはりと言うべきなのか、相当に西洋被れな雰囲気に満ちていた。敵性語排斥とかやっている新聞社の記者であれば、見ただけで怒り出したりしかねない。
「そうでなければ、これまでの訓練がまったく無意味となるだけでなく、友軍を大変な危険に晒すことともなりますから」
「何、ちょっと言ってみたかっただけだ」
矢島は苦笑し、
「無論のこと、万難を排して貴隊を送り届けるとも」
「ええ。よろしくお願いします。我々は陸の上であれば一騎当千、何でもやり遂せてみせる心算ですが、海の上では本当に何の役にも立ちませんので」
北郷は歯を見せてニッコリと笑う。
彼が率いるのは海軍特別陸戦隊。体格や風貌が欧米人に見える将兵で構成された、米本土浸透と情報収集、各種破壊工作を目的とした忍者部隊である。
もっとも彼等がまず上陸するのはカナダ太平洋岸で、一部がそこから陸伝いに米国を目指す形だ。
かような前代未聞の作戦が、どれほど上手くゆくのかは神のみぞ知るところ。それでも先の言葉通り、伊二十八でもって無事送り出してやらねばならない。矢島は脳裏に海図を思い浮かべ、米加両軍の哨戒線を追記していく。
横須賀:軍港
「へえ、これが『インドミタブル』の成れの果てという訳か」
埠頭に横付けされた航空母艦の容姿を眺めながら、打井少佐は懐かしげに言う。
マレー沖の戦いにおいて何故か座礁してしまったこの艦を鹵獲するにあたって、彼は当然の如く斬り込み隊に志願し、一番乗りを決めたものだった。拳銃でもって自決した艦長を丁重に葬ったり、艦内をあれこれ探索した末に猫を連れ帰ったりといった記憶が、昨日のことのように溢れてくる。
しかもかように因縁ある艦に、正規の乗組員として配属されることとなろうとは。
分捕られてから1年半近くが経った彼女は、英国海軍の気風を残しつつも、聯合艦隊に馴染み始めた雰囲気となっている。それがどうにも面白い。オウムのアッズ太郎も同じ気分なのか、楽しげに罵倒語を吐きまくっている。
「しかし……何なのだろうな、『迦楼羅』って艦名は?」
「仏神の迦楼羅王からですよ」
新たに戦闘機隊長を迎えるに当たり、案内役を買って出た室田大尉が教えてくれる。
「インド神話に出てくる神鳥が由来ですから、空母にいいんじゃないかとなったみたいで」
「一応、俺は英単語を勉強したんだがね」
打井はちょっと首を傾げ、
「何でインドが出てくるんだ? "Indomitable"と"India"には全然関係がないぞ」
「ですよね」
室田もまた思い切り苦笑する。
噂として流れている程度の話ではあるが、皆が皆、その部分に疑問を抱いたらしい。たが何かしら深謀遠慮があってのものと勝手な勘違いをしたり、他の者がよいと言っているのだから問題ないと判断したりが積み重なった結果、出所不明な上に規則からも逸脱したような艦名がそのまま通ってしまったのだという。
「しかもその挙句、鹵獲艦だからまあいいか……となったとか。ミッドウェーで『加賀』が沈んでしまったものですから、飛行甲板に片仮名でカと描いても重複しませんし」
「案外いい加減なものだな。まあ名前なんて飾りだ、飛行機を載せてきちんと離発着させられれば問題ない」
「その意味では、良い艦ですよ。飛行甲板に爆弾食らっても弾き返せます」
「だろうな。マレー沖では『天鷹』の艦攻隊が25番を2発当てたはずだが、さっぱり被害にならんかった。馬鹿みたいに頑丈な艦に乗って戦えるのだから、まことにありがたいことだ」
豪放なる声を轟かせながら、打井は『迦楼羅』へと乗り込んでいく。
彼女の抗堪性の高さを聯合艦隊司令部がどう用いようとしているかは、艦載機や搭乗員の構成を見れば分かりそうなものだった。
次回は2月3日 18時頃に更新の予定です。
序盤で鹵獲された『インドミタブル』が遂に聯合艦隊に加わりましたが……諸々の事情により、ぶっ飛び系仮想戦記にありそうな雰囲気の艦名になってしまいました。




