大研究! 無酸素非化石燃料機関
別府:温泉宿
日米開戦の所以から一発で分かる通り、石油は国の要である。
この極めて重要なる化石燃料資源に関しては、明るい話題が随分と多くなっていた。シリアやヨルダンを占領した独伊両軍は、現地の反英武装闘争を支援する形でイラク領内に雪崩れ込んでいたし、アバダーン大油田を擁するイランにおいても、無茶苦茶な理由で国土を侵犯していった英ソに対する攘夷運動が加速している。更にはパレンバンや満洲にまでドイツ人技術者がやってきて、原油や頁岩油の生産拡大に向けた取り組みが始まってすらいるのだ。
だが軍艦の原油消費そのものをなくすという発想は、誰にとっても予想外に違いない。
特にそれが身内の、一応は帝国大学で物理学の教授をやっている人間からのものだとなると、正直なところ反応に困るだろう。実のところ高谷大佐はそんな境遇にあった。聯合艦隊司令部にて平身低頭し、幾らかの小型艦を支那方面艦隊へと回してもらう約束をどうにか取り付けたので、熱い湯にゆっくり浸かるべく別府へとやってきた。そうしたら義兄の浦仁生が突然押しかけてきて、頭が爆発しそうなことを延々と話し始めたのである。
しかも内容は原子物理学の最先端。概要を理解するだけでも困難だった。
「とにかくね、この核分裂反応を用いた動力機関を作ればだ、我が国は原油を巡る戦いから解放されるのだ!」
瀬戸内海を望む一室にて、浦は強烈に目をぎらつかせて高言する。
酒を一滴も飲んでいない、というより本人は下戸であって飲めぬというのに、始終酔っ払ったような具合だ。
「特に軍艦には大きな利得があるに違いない。君が乗っておった航空母艦にこの新技術を適用すれば、どでかい燃料タンクの分を格納庫に回して搭載機を倍増させられるであろうし、潜水艦であれば電池も酸素も気にせず海中を航行させることができる。こんな素晴らしいことはないと思わんかね祐一君!」
「義兄さん、潜水艦は軍艦じゃありませんよ」
「おお、そうなのか」
浦はパンと手を叩き、
「ありがとう、私はこれでまた1つ賢くなれたようだ。だが核分裂動力炉の素晴らしさの前では、そんな些事などどうでもよくなるはずだ。そうではないかね?」
「いや、僕には水からガソリンを作るとかいう類のものに思えますがね」
高谷は心底困った顔をしながらそう応じた。
なお水からガソリンという詐欺は、実のところ本当にあった話だ。親友たる大西中将がまだ大佐だった頃、本多何某という怪しい人間がそれを持ちかけてきて、植物も水と空気からデンプンを作るのでもしやと思い、海軍の将官に働きかけるなどして実験をさせてみたのである。なお結果については言うまでもない。
「ううむ、まったくもって嘆かわしい」
浦は本当に大きな溜息をつき、
「ハイゼンベルクやフェルミのような、ノーベル賞すら取っておる綺羅星のような学者達が真剣に取り組んでおる研究が、インチキ詐欺師の出鱈目と同類に見えるか。大変に非科学的態度だとしか言えんぞ」
「いやいや義兄さん、そんな便利なものがあったらすぐに実用化されておるでしょう」
「さっき説明した通り、核分裂反応の発見からまだ5年も経っておらん。百年の歴史がある石油化学と違って、生まれたばかりの赤子のような学問領域なのだ。まあそれはいい、ともかくも見たまえ」
浦は横文字で書かれた論文を卓上にドバッと広げ、あれは何これは云々と、重機関銃のように喋りまくる。
それらは確かに本物であるようだし、新聞か何かで見た覚えのある名もあった。とすれば式やグラフはチンプンカンプンとはいえ、中性子を照射されたウラニウム原子核が分裂してセシウムとストロンチウムになるとか、その際に中性子が複数飛び出すから連鎖的な反応を起こせるとか、一連の理論自体は実験的事実に基づいているのかと思えてきた。
そうした中で目についたのは、先程から提唱されている動力機関と関連がありそうな図面。
「おッ、流石は海軍サンだ。目の付け所がいい」
浦が大変に嬉しそうに言い、
「それは世界で最初に考案された核分裂動力機関の概念設計図であって、スイスの特許庁に出願された書類の写しだ。発明者は有名なキュリー夫人の娘婿。手に入れるのに結構苦労したんだぞ」
「ええと……」
図面はフランス語で書かれているから面倒で、
「この重たい水というのは、摂氏4度くらいに冷やした水のことかな?」
「違う。水素原子に余計に中性子がくっ付いたものを重水素というのだ。12年くらい前に米国のユーリーなる学者が発見し、羨ましいことにノーベル賞を獲得した。でもって重水素2つと酸素でできた水を重水という。分子量は約20で、天然にも僅かながら存在する。こいつは中性子を普通の水の300分の1くらいしか吸収せず、かつ十分に減速させる。中性子を熱運動領域まで減速させると、ウラニウム235が核分裂反応を起こし易くなるという実験的事実が判明しておるから、重水を用いれば天然のウラニウムを使ってでも連鎖的な核分裂反応を起こし得るという寸法だ。それを動力として利用するのである」
「とすれば……爆弾にできんかな、これ? 反応の熱でドンドコ水を焚いてドカン!」
「大変良い発想だが実際には難しい。反応は爆弾のように急速に起こる訳でもないから、点火に1時間かかる代物になりかねんし、高価な重水をたった一発でぶちまけてしまうのは惜しい。やはり動力機関とするのが良いだろう。あるいはウラニウム235の濃度を高めれば、普通の水に落とすだけで爆発するかもしれんが、これは恐らく重水の抽出より難しい」
「な、なるほど……」
高谷は何とか頭を捻り、義兄の言っていることを噛み砕いていく。
とりあえずウラニウムは概ね原子量238であるが、全体の1%未満とはいえ原子量が235となる同位体が存在している。このチビっとしかない方しか、核分裂反応には利用できないらしい。
「とりあえず、ウラニウムと重水とかいうのがあれば動力炉を作れることは理解した。問題は何だろうか?」
「重水が高価過ぎて手に入らん。ノルウェーに専用の工場があるはずだが、米英の工作員が爆破していったようだ」
「駄目じゃないですか」
「だからここで本題だ」
浦はそこで自分のノートを開く。
先程の概念設計図と似たような代物が描かれており、その傍らにあれやこれやメモ書きやら数字やら書き加えられている。次男の浩二のそれに酷似していて、やはり血統なのだろうと思う。
「重水の代わりに黒鉛を使えばいいと思い付いてな……色々と考えて計算した末に、黒鉛でもって中性子を減速させ、普通の水で冷却する方式が一番良いと考えたのだ。図体は多少でかくなりそうだが、これならウラニウムを手に入れるだけで済む。これを是非とも、石油不足に悩んでおる海軍に売り込んでほしいと思っておるのだよ」
「ううむ……見たところ軍艦に載る大きさじゃなさそうですし、工業用の動力機関として売り込んだ方がいい気もしますが……分かりました。艦政本部や燃料廠にいる先輩にでも投げてみますよ。もしかしたら上手くいくかもしれません」
「おう、よろしく頼むぞ祐一君!」
浦は学童の如き純真な笑みを浮かべ、眠くなったと言って部屋へと戻る。
ゆっくりと休養する心算が、余計に疲れてしまった。そんなことを思いつつ、高谷は大浴場へと向かった。深夜の空気は少し肌寒かったが、それが過熱した頭を癒してくれるようで心地よい。
「まあでも、非化石燃料機関といったら十分に魅力的ではあるか」
そんな呟きとともに夜は更けていく。
なお浦が描いたスケッチとほぼ似たような代物が、米国はワシントン州においてちょうど建設され始めており、後に大変なる動乱を巻き起こすこととなる。また戦争が終結した後、高谷の言う通り民生用の黒鉛減速軽水冷却炉が各国で普及することにもなる。とはいうものの、この時点でそんな未来を知る由などあるはずもない。
次回は2月1日 18時頃に更新の予定です。
脳味噌の中で始終爆発が起こっている物理学者(義兄)の登場です。
仮想戦記ですと、マンハッタン計画をどうするかという話が出てくることがありますが……本作品だとどういった扱いになるか、ご期待いただければ幸いです。




