上海食道楽参謀勤務③
南京:支那派遣軍司令部
「先程から何度も申し上げておる通り、これでは防ぎ切れぬかもしれませんぞ」
「しかしこれ以上の戦力の抽出は困難だ。現有戦力で頑張ってもらう他ない」
「であればいっそ宣昌でも放棄されては如何か? 岳陽まで戦線を整理し……」
「易々と放棄などできん。宣昌は四川侵攻の重要拠点だからな」
支那派遣軍司令部の大会議室に集った錚々たる面子は、もう何時間も論を戦わせていた。
題は言うまでもなく、来るべき国府軍の大攻勢に対する防御戦略である。重慶に潜伏させている複数の諜報員や、暗号解読を専門としている連中が、その発動を警告してきていた。加えて航空偵察によって部隊の移動状況も分かっていたから、それ自体は予期していた通りと言える話ではあった。
ただ問題となったのは、やたらと敵の規模が増大しそうな点だった。
実のところ陸軍としては、最大で50万程度の敵地上部隊による局地的攻勢を誘発せしめ、その破砕をもって爾後の侵攻を円滑にならしめるという心算でいた。つまるところ北京から武漢へと至る鉄道路を確保し、更にそこから広州にかけての陸路を打通、釜山とシンガポールとを陸路で連結せしめるという、実に気宇壮大なる大作戦を計画していたのである。
だがここ最近の動きを見る限り、国府軍は想定の3倍近い兵力を投じる気のようで、てんやわんやの大騒ぎとなっているのだ。
「敵の狙いは九江および安慶、この点に関して疑問はありますまい」
机上の大地図に描かれた2点を、第十一軍の参謀長が強調する。
反論はなかった。実際、それらの占領をもって揚子江の南京より上流を孤立させ、武漢を包囲することが可能だからだ。
「しかしながら同地域に展開しておるのは2個師団と2個独立混成旅団で、予想される敵と比べると1割5分といった程度でしかありません。それで揚子江沿岸を数百キロも防衛しろというのは無理がある」
「ですがね、無い袖は振れんという奴でして」
「台湾に1桁番台の優良師団が4つも集結中とのこと、1個師団くらい回していただけませんか?」
「先程申し上げた通り、動かすなと厳命されておるのです。かの部隊はいわば大陸における決戦部隊であって、下手に投じて損耗してしまうと、爾後の一大作戦に支障が出るかと」
「ここでしくじっては元も子もないでしょう。あるいはいっそ北海道の第七師団を……」
かような具合に議論は延々と続いていく。
それが侃々諤々なのか喧々囂々なのか、正直なところよく分からなくなってきていた。
(であれば、さっさと片付けてくれんかな……)
置いてある肉饅頭を適当に摘みながら、高谷大佐はうんざりする。
地上戦の主役が陸軍であることは言うまでもないし、従の立場にある海軍軍人が口を挟むべき問題でもあるまい。兵を預かる身であるが故の緊張感もひしひしと伝わってくる。とはいえ話が堂々巡りになっていて、一向に埒が明かないのだ。
加えて自分がここにいる意味があるのだろうかと、正直なところ高谷は思っていた。
どうした訳か自分は陸軍からの評判が良好だ。それ故、是非ともと請われて会議に出席した形ではあるが、これでは茶でも飲みながら三国志演義でも読んでいた方がまだ得るものがありそうだ。
「ともかくも我が第十一軍は、このままでは本当に敵中に孤立しかねんのですぞ」
先の参謀長が困った顔をし、
「海軍にも伺いたい。今甘寧と名高き高谷作戦参謀、何か妙案はないだろうか?」
「そうですな……」
肉饅頭を喉に詰まらせそうになりながらも、恐慌状態の内心をどうにか覆い隠す。
いったい何故、急にこちらに話題を振るのか。高谷にはそれが分からないし、いったい何処でかような渾名が通用しているのかも不明だ。常時チリンチリンと鈴を鳴らしながら歩き回ればいいのだろうか? それに策を甘寧に尋ねてどうする、陸遜に当たる者にでも尋ねたらどうかと言いたくもなった。
それでも何も答えられぬも恥であるし、吉田大将の顔を潰す訳にもいかぬから、どうにか脳味噌を捻ってみた。
「いっそのこと、陸海軍合同の河川機動部隊でも作ってみては如何でしょうかな?」
「むッ、それはいったい何ですかな?」
「陸軍には大発動艇に山砲やら重機関銃やらを搭載させたものがあると伺っております。あるいは追加で装甲を施し、より強力な火器を搭載したものですとか」
航空母艦『天鷹』の艦尾扉から出撃していったそれらの勇姿を記憶に昇らせ、
「であればそれらをまとめて特種船にでも搭載し、そこに砲艦や駆逐艦、巡洋艦なんかを随伴させてはどうかと考えまして。揚子江岸を敵が確保してしまった場合、機雷を敷設されるなど河川交通に多大な問題が生じ得る訳ですから……敵が到達し次第、現場に急行してありったけの砲弾を見舞ってこれを粉砕し、必要に応じて地上部隊を揚げて追い払ってしまえばいいかと。至近距離での戦闘となりそうですが、精々が歩兵砲ならどうということはないでしょう」
「な、なるほど……これはたまげた」
「確かに『神州丸』ならやれるかもしれぬ」
陸軍の将官や参謀がざわめき始める。
口から出任せであった心算だが、案外といい線だったのだろうか。戦車師団や自動車化師団の如き使い方であるとか、揚陸戦に通じている人物ならではの発想であるとか、出席者が次々と口にする。
ただ少々気になったのは、流石は軍神の見込んだ男という行である。
ポートモレスビー作戦に際して前線視察という名目で現れ、上陸の最中に壮絶なる最期を遂げた大本営参謀。彼の遺品となった日記には、随分と勘違いした内容が書かれていたようで、それが陸軍内で一人歩きしてしまったのだ。実のところ悪い気はしないとはいえ、どうにも亡霊と出会ったような気分にもなってしまう。
「先の高谷大佐の案は十分に検討してみる価値がありそうですな」
支那派遣軍総司令官にして議長役の畑大将が直々に評し、
「とりあえず支那方面艦隊としてはどの程度やれそうか、簡単にまとめていただけると助かります。こちらとしても必要な協力は惜しみませんので、なるべく早く仕上げていただければ」
「敵の攻勢までそう時間はないでしょうから、可及的速やかに対処いたしましょう」
吉田が少しばかり誇らしげな口調で要請を受領する。
それをもって会議は急速に終結へと向かった。河川機動部隊に関する検討結果が出次第、兵棋演習でもって確かめるということに決まり、ようやくのことでお開きである。
「いや実際、なかなかの妙案かもしれんよあれは」
夕餉の席にて吉田は改めて激賞し、
「という訳で、言い出しっぺには踏ん張ってもらわんとな」
「はい。可及的速やかに作戦案をまとめさせていただきます」
高谷は相応に真剣な眼差しで応じ、大飯店自慢のアヒル料理を無心に貪っていく。
今更適当な発案だとは言えまいし、確かに揚子江防衛の鍵となるかもしれない。御国のためと思うとやる気も沸々と込み上げてもくる。上海の艦隊司令部に戻ったらすぐさま本格的な検討に入らねばならぬだろうから、今は栄養をつけて徹夜に備えるなどするべきなのだ。
それにしても――機動部隊指揮官となって海軍軍人らしく戦える日は、いったい何時になるのだろう?
次回は1月28日 18時頃に更新の予定です。
何故か陸軍からの評判が妙によいと思ったら……軍神様の日記が原因でした。
死せる大本営参謀によって走らされてしまっています。




