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上海食道楽参謀勤務②

上海:支那方面艦隊司令部



「軍艦を追加で寄越すとは聞いていたが……まさかこんなオンボロとはな」


 高谷大佐は一応は作戦参謀らしく、執務室で頭を捻っていたりはする。

 支那方面艦隊には菊の御紋を冠した艦が結構な数あるが、大部分は橋立型砲艦とかである。大型のものは永らく旗艦を勤めている『出雲』に軽巡洋艦『天龍』、上海事変の後で鹵獲・再整備した海防艦『御蔵』くらいのもの。先程1隻が増派されるとの連絡はあったが、これが日露戦争の頃の装甲巡洋艦『八雲』なのである。


「とはいえまあ、使い物にならん訳でもないか」


 包子をムシャムシャと頬張りながら、机上に広げた河川図を眺める。

 大陸に権益を持つようになって以来、揚子江の調査は十分以上の綿密さをもって行ってきた。300万の大兵力を擁する国府軍を100万かそこらの支那派遣軍が撃ち破り、その後も戦線を保ち続けられていられるのも、この天然の補給路があってこそである。水先案内人どもを接待するに際しては、海軍のカネでいい飯といい酒にありつけるという役得もあるし、水運というのはまったくありがたいものだ。


 そうして概ねの水深を確認しつつ、一応の作戦案らしきものを組み立てていく。

 吃水のある『出雲』や『八雲』は、無理に上流域まで溯上させると座礁の危険があるため、南京から安徽省西南にかけて展開して遊撃戦を実施。対して『天龍』などは、十数年前に邦人保護のため漢口まで向かったことがあるくらいだから、特に増水する6月から7月にかけてであれば、上手くやれば洞庭湖の辺りまで持っていけるかもしれない。

 なおやることといったら、とにもかくにも火砲で撃ちまくることである。魚雷や爆雷などはこの場合さっぱり役に立たぬから、江南造船所で取り外してもらうのがいいだろう。渡河のため漁船や筏を使う心算なら、体当たりで沈めてしまってもよい。


(とすれば……)


 陸軍の通信士官に各艦に便乗してもらうのがよさそうだ。

 海の上の戦いであれば、測距儀が捉えている敵艦を諸元の通りに撃ちまくればよいのだが、地上戦となると正直勝手が分からない。下手をすると同士討ちだってあり得るし、ポートモレスビーでは実際に味方の弾で戦死した兵も出たという。そうなっては寝覚めが悪いどころでないし、責任を取れと言われても困るから、座標なになにを撃てと陸軍から要請されたという形にする方が都合がよいに決まっているのだ。

 もっとも今の身分は参謀だから、責任など問われぬのでは? そんな物思いの最中、扉がトントンと叩かれる。


「ただ今戻りました」


「おう、ご苦労」


 従兵を使いにやっていたことを思い出しつつ応じる。

 医者によると脳味噌は最も養分を使う臓器の1つというから、知能労働には甘味が不可欠。故に胡麻団子か桃饅頭でも適当に見繕ってこいと命じていたのだ。


 しかしその直後、高谷はどうにも首を傾げざるを得なかった。

 胡麻団子を買ってきたはいいが、数が妙に少ない。十分な金額を渡したはずだが、まさか着服した訳ではあるまいな。そんなことをする奴は尻を百叩きだとばかりに凄むと、慌てて従兵が説明する。


「その、値が上がったからこれしか売れんと言うんです」


「海軍大佐の使いだというのにか?」


「はい。そう言ったのですが」


「業突く張りの腐れ商人め、ふざけやがって。何処の店だ、見つけ次第取っちめて……」


 激情に任せて咆哮していたところで、高谷は随分前の洋行話を唐突に思い出す。

 欧州大戦が終わった直後のドイツに赴任していた同期が、現地で色々といい思いをしたというのである。家賃も安ければ肉も食べ放題、ついでに女学生とウフンな関係にもなり易い。まあそれはようございましたというだけの話だが、何故かような現象が生じたのかというと、元々は1円が2マルクだったのが、戦争の後には10マルクくらいになったお陰だと言っていた。

 考えてみれば当たり前だが、国が負けたりすると信用も落ちるので、そこの通貨など持っていても仕方ないのである。金兌換と言ったところで、必要なだけの金塊が国庫になかったりもする。


 それを踏まえると、かの商人どもは、皇軍の敗北を見越しているという話になるのかもしれぬ。

 まったく不届き千番――そう思いかけたところで、少しばかり前の吉田大将とのやり取りが記憶に蘇ってきた。支那派遣軍が苦境に陥っているように装って、蒋介石に攻勢を発起させるよう誘導するというのが、作戦の主たるところに違いない。とすれば既にそれは水面下では始まっていて、孫子の兵法にもある通り、敵を欺くにはまず味方からということなのだろう。

 特に利に敏なる者どもが術中に落ちているようだから、諸々が上手く運ぶ公算もまた高まっているのだ。


「いや、これは少しばかり浅慮であったかもしれぬな」


 高谷はゴホンと咳払いし、


「戦が長いこと続き、地域間の交易もままならなくなってしまっている以上、例えば砂糖や胡麻が突然に高値をつけてしまうこともあり得なくはない。それに昨年は大旱魃だったとも聞いている。とすれば誰も彼も苦しいし、かの商人にしても本心においては勉強したいところではあったが、一族郎党を食わせるにはこの価格で売らねばならぬという切実なる事情があったのかもしれぬ。我等は大東亜十億の民を導き、共存共栄の王道楽土を築かんとしているのであるから、民草の呻吟をも察してやらんといかん」


「なるほど、感激いたしました」


「うむ。であるからして、この団子は十分に味わって食べねばならぬ。自分が苦しい時は相手だって苦しい。ここぞという時の梃子でも動かぬ踏ん張りこそが、今次大戦を勝利に導くのである。ということだ、1つ持っていくといい」


「ありがたくあります!」


 従兵は本当に喜色に満ちた声で謝し、それから辞していく。

 一方の高谷は案外とそれっぽい言葉が出てくるものだと苦笑しつつ、胡麻団子をパクリといただく。まあ値段に相応の味かと言われると疑問ではあったが、上手く敵を騙せている結果かと思うと、甘味や滋養分も増してくる気がする。


「よし、もう少し知恵を絞ってやろう」


 高谷は力を漲らせ、改めて河川図やら地図やらを凝視した。

 それからあれこれと考え始める。現在、陸軍が占領しているのは湖北省は宣昌の辺りまでで、これが揚子江のかなり上流だった。となればこの辺りで砲艦やら舟艇やらを慌ただしく航行させ、必要とあらば一部の部隊を実際に武漢方面に移動させるなどすれば、余計に騙されてくれるのではないか。そんな具合に発想がまとまってきた。


 なお余談ではあるが、上海や南京、武漢の大商人を唆して物価を釣り上げさせていたのは、他でもない陸軍特務機関である。

 その事実は支那方面艦隊はおろか、戦地に展開する師団の長にすら明かされていなかったので、物売りと部隊との悶着が増えたりもした。かような不都合すら利用するのだから、まったく蛇の道は何とやら。

次回は1月26日 18時頃に更新の予定です。


占領地では戦局がかなりダイレクトに物価に影響しますので、それを逆手に取った形でしょうか?

支払いに使っているのは何なのでしょうね(軍票は史実だと昭和18年に新規発行停止みたいで)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 日本軍が河川艦艇を使ってたのはあまり聞きませんでしたね ソ連軍が国内の河川で重機と火砲を大量に搭載した砲艦で川沿いで休んでたドイツ軍に通り魔みたいな事をしてたのは有名ですが [気になる点]…
[一言] 蒋介石「物価を吊り上げて民衆を苦しめるなんて、日本軍はなんてひどいことをするんだ!」←黄河の堤防を爆破した人 チャーチル「日本人には血も涙もないのか!」←ベンガル地方で焦土作戦をした人 スタ…
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