フランス戦艦回航作戦⑥
大連:周水子飛行場
航空母艦『天鷹』が修理中ということもあって、所属航空隊は陸上基地において錬成に励んでいた。
だが何故か満洲は大連の周水子飛行場に押し込まれている。確かに大村が手狭になってきたという面もあるにはあるが、根本的理由はもう少し別のところにあった。つまるところ、
「誰それが酔った末の喧嘩で3週間飛べなくなった」
「同じ釜の飯を食うと腹壊す」
といった心当たりのあり過ぎる内容を、他所の部隊が基地司令に直訴しまくったのである。
しかも英軍の接舷斬り込みに絡む自慢話が高じ、飲み屋で刀剣を振り回して傷害沙汰を起こす大馬鹿者が出るなどした結果、憲兵までもが怒鳴り込んできた。結果、あいつらは隔離しておく他にないという話でまとまり、馬賊みたいな連中だから満洲にでも放り込んでおけと相成ったのである。
もっともそれで凹む連中かというと、全然そんなことはなかった。
大連は元々商港であって、なかなかに国際色豊かで近代的な市街であったから、居心地は決して悪くない。スタルヒン投手並みに図体のでかい白系ロシヤ人が経営する乱闘居酒屋などという面白い店もあったし、貨物船が召し上げられて内地に運ぶ余裕がなくなったからと、食糧事情もまた随分と良好。3月に入っても尚、底冷えする日が続いたりもしたが、牛肉やらハムやらを肴に地元の白酒をグビリとやれば、寒さなどあっという間に吹き飛ぶのだ。
「そういえば買取が決まった仏戦艦、無事イタリヤに着いたらしいな」
夕食時。基地宿舎の士官室にて火山の噴火口が如き牛鍋を囲みつつ、戦闘機隊の打井少佐が上機嫌に言う。
「あちらで砲やら機関やらを搭載すれば、長門型に匹敵する、結構な艦が聯合艦隊へと加わるのだ。まったく頼もしい限りだ」
「戦艦でっか……この航空主兵の時代、アイロンが浮かんどるようなものやないですかね?」
「いやいや、戦艦があるから航空隊も安心して戦えるのだ。それを理解せねばならんぞ。欧州では空母『グローリアス』が戦艦によって沈められたという実例があるし、珊瑚海で『天鷹』が無事で済んだのは『扶桑』がおったからに違いない」
打井は存外にムキになった顔で部下を諭し、それから白酒を一杯。
戦艦『大和』と米戦艦2隻の激突があって以来、彼は妙に大艦巨砲主義なところが出てきている。
「それはそうと、あの戦艦の回航委員長、ムッツリ中佐だそうですね」
艦爆隊の博田大尉は妙にしょげていて、
「仏伊で現地妻でもこさえて、よろしくやってそうで羨ましい限り」
「バクチ、大連には白系ロシヤ人の娼館もある。ロシヤ人の貴族は昔はフランス語を喋っておったと聞くから、ロシヤもフランスも似たようなもんだろう。何なら行ってきたらどうだ?」
「いやまあそれが……」
誰もがそれで察した。つまるところまた賭け事で擦ったのである。
ただそうした喧騒の中、黙々と牛肉ばかり頬張っていた飛行長の諏訪少佐は、合点がいったとばかりの顔を浮かべた。
「とすると僕は地中海に行くことになるのかもなあ……」
「ええと、どういうことです?」
「何でも四航戦の別の空母に転属になるっぽくて、その時に結構な遠出の支度しとるとか聞いたんだよね。もしかすると地中海でしこたま暴れた後、艤装の終わった仏戦艦と一緒に戻るというのもありそうだなってね」
「なるほど……というより転属の話、初耳なのですが」
「どうにも切り出し難くってね」
「寂しくもなりますが、よい話ではありませんか。ならば飲みましょう!」
あまりアルコールに強くない諏訪ではあったが、こうなると致し方ない。
陸奥が飛行甲板でウナギの散歩をしていたお陰で、発光信号を用いた罵倒合戦になったりした。そんな下らぬ過去を思い出しながら、ともかくも『天鷹』魂で頑張っていこうと、皆で気炎を上げたりしていく。
そうして場が盛り上がってくると、怪しげなる"下半身が旺盛になる漢方薬"を鍋に放り込む馬鹿者まで出る。
しかも珍しいことに、それは実際に効果がある代物だった。腹が膨れて気力体力とも漲ったところで全員の下半身が大艦巨砲主義となるので、困り果てた一同は話題に上がった白系ロシヤ人の娼館へ揃って突撃する。並んでいた先客を片っ端から投げ飛ばし、さっぱり東洋的でない女菩薩観音に向け次々と急降下。
「毛唐女もたまにはよいではないか」
「ムッツリ中佐に負けてられんぜよ」
激戦を終えた航空隊の面々は、大口を開けて笑いながらバタリバタリと倒れていく。
どうにも怪しげなる漢方薬には、相当によろしくない副作用もあったようだ。お陰で基地司令から「海軍士官にあるまじき態度」と大目玉を食らい、迷惑を被った件の売春宿からも禁足を言い渡される始末。
大概なる彼等は、陸奥と似たようなことをやったまでと思っているだけだから、まったく気楽なものである。
タラント:市街地
到着を出迎えてくれた人々の顔には、純粋な喜色ばかりがあるようだった。
このところの戦局を考えれば当然ではあろう。枢軸同盟に加わって参戦した直後の失態はともかく、このところイタリヤは勝っているからだ。永らく目の上のタンコブだったマルタ島を陥落せしめ、ドイツとともに聖地エルサレムへと軍を進めるなど、ムッソリーニの提唱する地中海帝国は完成間近とも見える。
かつそうした軍事的優勢が、日本との連携が故と見てくれている部分も大きかった。
聯合艦隊が英東洋艦隊を叩き潰し、その後にセイロン島に侵攻してインド洋の覇権を握ったことが、エジプトでの決定的勝利に繋がったとの認識なのだ。ペルシヤ湾岸やアデン湾一帯の占領により、中東や東南アジア一帯との通商路も確保されたことから、経済的な潤いに関する期待もある。更にはジブチ経由で本国に凱旋したグイレット騎兵大尉やデロッシ中尉がぶった演説の通り、エチオピア奪還もあり得るといった状況だった。
とすれば戦艦『ジャン・バール』とともに現れた者達が、大歓迎されぬ訳もないだろう。
だが陸奥中佐はといえば、MMKとやらであろう状況にもかかわらず、普段通りの行動を取っていない。時間が空くと基地すぐ近くの喫茶店に屯して、コーヒーをちびちびとやっていたりするのである。
そのため彼を多少なりとも知る者達は、何か拙い病気にでも罹ったのではないかと心配していた。
「中佐、本当に色々と大丈夫でしょうか?」
イタリヤ人技師との打ち合わせを終えた日下大尉が、思い切り怪訝そうに尋ねてくる。
「まあ俺にも、こんな日があるってものだ」
「ここ数日ずっとそんな調子ではありませんか。フランスの寝取られ亭主みたいな顏してますよ」
「ははは、これまた酷い物言いもあったものだな」
どうにも骸骨みたいに苦笑した後、陸奥は再びコーヒーを一口。
そんな様子に日下は呆れ果て、如何ともし難いといった顔をしながら、適当に何かを注文しようとする。ただその前に彼はよく分からない、奇妙奇天烈な連絡事項があることを思い出した。
「あと中佐、1つ伝言がございます。キルケゴールがデカルトと化し、カントはショーペンハウエルに転じた……意味がさっぱり分かりませんが、何かの暗号でしょうか?」
「おお、本当か」
符牒だらけのそれに、大いなる安堵の息が漏れる。
つまるところツーロンの怪しげなる所長が、頼みを聞いてくれたという意味だった。恐らくスペイン辺りを経由して、世界大戦とは縁の遠いアルゼンチンにでも、マリィは逃れることとなるだろう。言うまでもなく魑魅魍魎の蠢く世界とは無縁の、何処にでもいそうな女性としてだ。彼女は抵抗組織の一員ではあったが、何処か捨て鉢なところがあったから、これでよかったに違いない。
「魔法の呪文のお陰で元気になった。大尉、折角だから一緒に女の子でも口説きに行くかね?」
「あの、私は妻帯者なのですが」
「俺もそうだけどな」
豹変に戸惑う日下を尻目に、陸奥は混じりっけない声で朗らかに笑った。
それから店内に流れている曲を適当に口ずさむ。男は狼みたいなものだから気を付けねばならぬとか、年頃になったら慎みを覚えねばならぬとか、そんな内容の歌詞であるとは思うまい。
次回は1月22日 18時頃に更新の予定です。次回からはまた別の場所が舞台となります。
『ジャン・バール』は何とかタラントに到達しましたが、その後の改装を含め、聯合艦隊の一員となるにはもう暫く時間がかかりそうです。




