フランス戦艦回航作戦②
ツーロン:港湾
「主役とするには少々物足りないが、魅力的なる脇役とする分にはまったく申し分がない」
第二次世界大戦期のフランス戦艦について、さる海軍史家はかように評したという。
実際この時代の太平洋とは、その穏やかなる名とは正反対の、リヴァイアサンが犇めき合う魔の海域だった。世界最大最強とされた大和型や二番艦以降を18インチ砲搭載艦として完成させたモンタナ級、33ノットの優速で鳴らしたアイオワ級。それら恐るべき艨艟と比較すると、確かに役者不足の感は否めないだろう。
だが歴史を見ても分かる通り、彼女達は容易に動かし得ぬ決戦兵器に違いなかった。
そうした環境においては、前線を駆け回る使い勝手のよい艦が別途求められる。開戦劈頭に信じ難いほどの戦果を挙げつつも、戦力の補充能力において劣っていた日本海軍にとっては、なかなかに切実な話だった。特にガダルカナル島沖海戦で戦艦『霧島』を喪失、『比叡』を1年以上戦列から離さざるを得なくなってからというもの、その問題は著しく深刻さを増すこととなった。
とすれば攻防走の三要素をバランスよく揃えたフランスの新戦艦に食指が伸びたのも、至極当然の成り行きと考えられるだろう。リシュリュー級は金剛代艦型、ダンケルク級は超甲型巡洋艦に、近しい要目を有する艦に違いない。
「しかもそれを、我が国において仕立て直すという訳か。全く頼もしい限りだ」
久方ぶりに帰投した戦艦『ジャン・バール』を仰ぎつつ、陸奥中佐は上機嫌に言う。
やはり排水量4万トン超の艦ともなると、風格からして違うものだ。幅広の洋剣が如き艦体に、現代科学の集大成たる四連装砲塔が据えられているのを眺めるだけで、無性に戦意が昂ぶってくる気がしてならない。加えてこの長門型に勝るとも劣らぬ規模の艦を連れ帰るのが自分かと思うと、猛烈にやる気も漲り出す。
それにしても旭日旗を掲げた後の彼女は、いったいどのような風貌となるのだろう。
どこぞの所長は航空戦艦などと言っていたから、煙突より後ろにある副砲だの高角砲だのを撤去し、そこに格納庫と射出機でも据えるのであろうか? あるいは艦橋構造物をごっそりと撤去し、長大なる飛行甲板を備えた艦となるのかもしれない。いずれにしても興味の尽きぬところだ。
「ただ、肝心の二番砲塔はどうなっておるのだ?」
そんな疑問が生じるのは、あるべき区画にハリボテが置かれているからだ。
独仏休戦間際、艤装が完了せぬままカサブランカへと向かった関係で、これまで主砲塔が1基しかない状態であった。しかも電力回路が多重化されていないというから、現状では何かあるとすぐ戦闘不能になるという。
「もしや一番砲塔だけ残し、残り全部を航空母艦にしてしまうのだろうか? 飛行甲板の長さや今後予想される航空機の大型化を考えれば、それも手として考えられなくもないだろうが……」
「ああ、第二砲塔の準備は整いつつあるそうです」
回航に際して機関長を務める日下大尉が明朗な声色で応じ、
「ただどうもタラントで載せるということのようでして」
「ええと……タラントといったらイタリヤの、長靴の踵の辺りにある軍港だろう?」
欧州地図を脳裏に描くと、思い切り首を捻らずにはいられない。
「彼女はフランス製の戦艦だというのに、何でまたそんな訳の分からない話が出てくるのだ? サン・ナゼールの造船所は英軍の破壊工作で使えなくなっているとしても、ここでやった方が確実だろう?」
「これまた妙ですが、第二砲塔はドイツから調達するそうで」
「ますます意味が分からなくなってくる」
「つまりですね……」
日下はメモ書きを参照しながら、なかなかに込み入った説明をし始める。
どうも『ジャン・バール』の調達に際し、艦の艤装がさっぱり進んでいないという理由から、日本側はかなり熱心な値切り工作を行ったようだった。対するヴィシー政府はコメの次は戦艦かと、当初は売却そのものに難色を示したそうだが――優しい言葉に贅沢な贈り物、それからピストルを添えた粘り強い交渉の結果、未完成品に相応の価格で話がまとまったというのである。
一方でそれと同時並行で進んでいたのが、ベルリンでの折衝だったという。
リシュリュー級戦艦には進水もせぬまま破棄された三番艦『クレマンソー』があり、彼女のために製造された四連装砲も存在した。それをブレストに進駐したドイツ軍が接収し、何処だかの沿岸要塞に設置せんとしていたので、何とか譲渡していただけないかと頼み込んだのだ。当時ペルシヤ湾岸油田と東南アジアの資源を対価として、各種技術や工作機械等を輸入する計画が進んでおり、こちらは割合すんなりと承諾が得られたとのことだった。
なおその背景には、北海における戦艦『ティルピッツ』の目覚ましい戦果や、インド洋での聯合艦隊の活躍を、ヒトラー総統が高く評価していたという事情があったらしい。
「ううん、要するに何だ」
陸奥は改めてハリボテの第二砲塔に目をやり、
「出来上がってもない戦艦と、それを完成させるために必要な部品を別々に買うことで、思い切り安く買い叩いたという訳か」
「どうもそういうことのようです。なお二番砲塔をイタリヤで据え付けるのは、フランス人の技術者や工員が政治的に信頼できない面があり、サボタージュや破壊工作、意図的な手抜き工事などが懸念されているのも事実ですが、やはりツーロンで実施するにはあまりに体面が悪いからだそうで」
「ふゥむ、随分とまあ際どい手を考えたな」
「なおこれはあくまで噂ですが……」
日下は幾分声を潜め、
「この辺の折衝を取りまとめる際、色々と暗躍していたのが、件の所長なんだとか」
「へェ、あの昼行燈みたいな大佐がね」
全くもって意外。そう感じつつも、陸奥は少しばかり考え込む。
戦争の進展とともに内地に帰還できなくなったという面もあるのかもしれないが、欧州在留経験が相当に長いようであるから、あちこちに伝手やら知己やらを持っていてもおかしくはない。人は見かけによらぬところがあるのだろう。そう思い至った瞬間、頭の中で何かが引っ掛かるのを感じた。
つまるところ、外見が問題だったのだ。
かの人物の顔と名前を脳裏に浮かべようと何度試みても、見事なまでに失敗してしまう。肩書と階級は記憶にあり、発言内容はかなり強烈な印象を有していたにもかかわらず、個人としてはのっぺらぼうが如く掴みどころがなかった。
(どういうことだ……?)
あり得ない違和感に、陸奥は言い知れぬ悪寒を覚える。
知らずのうちに、何やら魑魅魍魎の蠢く世界に足を踏み入れてしまっていたのではないか。潮気に似ながらも異質な臭気が、どうにも漂ってきているようだった。
(ああ、いや、それはそうか。考えてもみれば、事が事であるものな)
次回は1月14日 18時更新の予定です。
『クレマンソー』の4連装砲塔はノルウェー沿岸に据えられており、戦争終結まで置いてあった(同地域に連合国が侵攻する前にドイツが降伏した)ようです。セコい商売ですが背に腹は代えられません。




