フランス戦艦回航作戦①
大西洋:ダカール沖
「ファシズムに対する自由と民主主義の反撃は、今ここから始まるのだ!」
概ねそんな具合に締め括られた演説とともに、連合国軍による上陸作戦は発動した。
合衆国海軍が誇る新鋭航空母艦『エセックス』および軽巡洋艦改装の『インディペンデンス』、英国海軍の『フューリアス』から、次々と攻撃隊が発進していく。まず100機に近い航空戦力でもって完璧なる制空権を確保せんとの目論見で、怒涛の如く殴り込んできたそれらを前に、フランス植民地軍の抵抗はまさしく蟷螂の斧。数少ない迎撃機はあっという間に蹴散らされ、飛行場や高射砲陣地も片端から破壊されていった。
無論それによる損耗もなくはないが、後方には護衛空母4隻が控えている。補充体制も万全だ。
そうして空の安全を確保した後に行われるのが、熾烈なる艦砲射撃に違いない。
米英2隻ずつの戦艦を中核とする打撃部隊がヴェルデ岬半島を襲い、残存していた沿岸要塞が激しく反撃する。こちらは戦艦『アイダホ』が28㎝砲弾を複数浴びて後退し、重巡洋艦『カンバーランド』が大破するなど、先の航空戦ほど順調にはいかなかった。それでも砲台は次第に沈黙していき、目標も海岸線付近の陣地へと移っていく。
「しかし何故、こうも撃ちまくらねばならぬのだろう?」
重巡洋艦『オーガスタ』艦橋にて、部隊指揮官ケント・ヒューイット少将は首を大いに傾げる。
事前の戦略分析によれば、フランス植民地軍は士気が低いと見積もられていた。ナチやその傀儡たるヴィシー政府に対する恩義もあったものではないから、比較的早期に降伏するのではないか。そんな観測が主流だった。
「ビラでも撒いたら降伏するんじゃなかったのかね、彼等は?」
「正直なところ、予想外です」
参謀長もまた困った顔をし、
「ただ少しばかり遅過ぎたのかもしれません。幾らナチに対する反感があったとしても、時間が経過すればそれだけ彼等の支配権は盤石になります。それに先の演説の通りということも」
「挙句、反撃がこんな片田舎からでは、か」
ヒューイットは顔を顰めて唸る。
実のところ彼は、ジブラルタルを拠点としてカサブランカあるいはアルジェを強襲すべきと考えていた。更に言うならば、昨年7月に行われた米英首脳会談においては、前者を11月にも実施するという確約がなされていた。しかしその後、サンフランシスコと真珠湾を結ぶ船団が大損害を被り、太平洋で新鋭戦艦や航空母艦が多数沈むなどした結果、信じ難いくらいに戦略から積極性が失われてしまったのである。
そうした観点からすると、ダカール上陸は如何なるものとなろうか。
海岸線に取り付かんとする海兵部隊の勇姿を見れば、軍事的に失敗する要素などないことは一目瞭然。とはいえ反攻の第一歩という以上の意義は持たないのかもしれない。特にフランス植民地軍の切り崩しが目的だったとすれば、物事が上手いこと進んでいるといった雰囲気はさっぱりしてこなかった。
あるいは――ヒューイットは最悪の可能性に思い至り、それを打ち消した。流石に国土の北半分を占領している連中に、積極的に協力しようとはしないだろう。
「とはいえ、先は結構長そうだ」
そんな呟きがポロリと漏れる。
なお上陸作戦そのものは無事終わり、その後に降伏した地上部隊も多かったので、「新たに自由フランス軍に加わることを決めた戦士達」といった題の記事が写真付きで紙面を飾ったりはした。何故もう少し早く降る決断をしなかったのか、そう思うのは人の常である。
アルジェ:港湾
「おいお前等、ツーロンへの帰還が決まったらしいぞ」
「おッ、ようやくか!」
戦艦『ジャン・バール』の艦内で、乗組員達が噂話に興じている。
未完成のまま第二次世界大戦を迎えた彼女は、独仏休戦が成立した後、海外植民地のあちこちを転々としてきた。外国に接収されるのを防ぎ、戦争が決着した後まで海軍力を維持しようと、ヴィシー政権の首脳達が考えたためである。
ただそうした目論見は、徐々に破綻し始めていると言えるだろう。
つい先日、米英の大艦隊がダカールへの上陸作戦を実施し、同地を瞬く間に占領してしまったからだ。更にはカサブランカにあった駆逐艦部隊にジブラルタル海峡を突破せしめ、地中海沿岸に戻そうとしたところ、戦艦2隻を含む英艦隊に捕捉されて4隻を失うという大被害も生じていた。
リシュリュー級の姉妹が同じ憂き目に遭わずに済んだのは、諸々の事情から昨年のうちにアルジェへの回航がなされていたからでしかない。本国帰還の意図も、そうした文脈から読み取れよう。
「しかしナチ野郎が威張り腐っている祖国か」
「嫌になるな。それにこの艦ともお別れだそうだ」
どうにも事情通な水兵が溜息混じりに漏らした。
悲喜こもごもな具合にあれこれ談じていた者達が、いったいどういうことかと動揺する。
「どうも『ジャン・バール』は日本への売却か、あるいは貸与か何かが決まったらしい」
「おいおい、本当なのか?」
「ああ、艦長が何処かと電話してたのを偶然聞いちまってな。艤装もまともにできてない艦だから構わんだろうとか、強引に押し切られたんだと。ほんと、辛い限りの話だよ」
ツーロン:市街地
「なあ中佐、たまには羽目を外すのも必要とは思うよ?」
大日本帝国海軍在馬連絡所出張所。そんな名の付いたボロ屋で、所長なる海軍大佐が呆れ果てる。
「だけど貴官はたまにというのが、全体の8割くらいを占めていて、ちゃんとしている方が珍しいようだ。まあ海軍士官たる者、MMKというくらいでないと困るのは事実だが、首筋に口紅を残したまま出勤してくるんじゃない」
「あ……落としたはずなんですが」
「というか一応、妻帯者なんだろう?」
「英雄色を好むという奴でして」
陸奥中佐は悪びれる素振りもなく言ってのける。
それから昨晩はお楽しみだったなとか記憶を蘇らせてニヤつき、眼前の上司なる人物を閉口せしめる始末。
「加えて未だ命令が届かぬ以上、語学の鍛錬に勤しむべきと考えた次第です。とすれば一石二鳥ではないかと」
「貴官の覚えておる仏語は完全に女言葉だ。まともな場で使おうものなら……ああまたポッと出の田舎者ぶぜいが、適当に手籠めにした女から習った言葉でもって偉そうなことを喋ろうとしておると、心の中で大笑いすることだろうな」
「え、ええ」
「まあ貴官がどこまで把握できておるかは知らんが、仏人の上流階級というのは、揃いも揃って慇懃無礼の極限みたいなものだ。率直に言って京都に巣食う公家気取りの100倍は酷い。付け加えるならばその下の庶民層は、猿真似鹿鳴館と題したふざけた絵を見て笑い転げる程度の低いロクデナシ揃いで……」
音響装置のスイッチが入ったかの如く、所長は延々と喋り始めた。
昔、何か嫌な経験でもしたのだろうか? 今度は陸奥が冷や汗をかき気味になる中、フランスは抽象画が有名というが一番得意なのは中傷画であるとか、よく分からないことを適当な表現で誤魔化す能力にかけては天下一だとか、罵詈雑言としか評しようのないことをホチキス機関銃のように連発しまくる。
海外経験の長い人間というのは、赴任先のシンパというか代弁者に成り下がるか、あるいは徹底的に嫌って帰ってくるかの二者択一というが、この所長は後者なのだろう。
「実際ナポレオン以後のフランス軍といったら、揃いも揃って見掛け倒しの役立たずであって……」
「ところでその、よろしいでしょうか?」
香りの強い煙草が終わってしまった辺りで、陸奥はようやく独演会に割り込んだ。
「自分は何故ここに呼ばれたのでしょう?」
「ああ、それを説明するのを忘れていた」
実に不愉快そうに眉を顰めていた所長は、一転して気恥ずかしげに咳払い。
「陸奥中佐、貴官にちょっと大きな女性の世話を任せることとしたのだ」
「ええと、一応自分は背丈が六尺近くありますが、それ以上に大きな女性というとちょっと守備範囲外でして……」
「冗談で言ってるのだろうな、こいつのことだぞ?」
テーブルの上に置かれていた資料集が捲られ、左右の両ページに亘る写真が開かれた。
建造途中なままの戦艦が写っていた。前甲板に据えられた四連装主砲塔や艦橋構造物の形状からして、リシュリュー級かとすぐさま識別される。一番艦の方は既に完成しているから、『ジャン・バール』なのだろう。
「未成艦ということもあり、手ごろな価格で購入する契約が最近締結されたのだ。これをスエズ運河経由で内地まで運び、航空戦艦か何かとして完成させる予定だ」
「なるほど、実に頼もしい話です。米軍の反攻をいなす上で、貴重な戦力となりましょう」
「うむ。それでもって貴官は彼女の回航委員長に任じられたという訳だ。どうだ、たまには大きな女性の世話をするのも悪くないと思えてきただろう?」
次回は1月12日、仕事の関係で19時頃に更新の予定です。
暫くフランス周辺が舞台となります。
本作品の世界では、枢軸国が随分と勢い付いており、モロッコ・アルジェリア方面への侵攻も行われていないことから、フランスの態度が史実とかなり異なってきています。




