紅海啓開体当たり④
アデン湾:ジブチ東方沖
「このまま一気に突っ込む、全機続け!」
4発のランカスター爆撃機を駆りながら、リヴィングストン少佐は高らかに叫ぶ。
電波に乗った彼の声に、各機の長が次々と呼応。脱落は今のところなく、麾下の12機が綺麗な単縦陣をなしていることが分かった。60余機からなる爆撃隊の中で、最も技量優秀な一団だ。となれば精鋭と呼ぶべき彼等を、正しい位置へと先導してやるのが一番機たる自分の役目。操輪を握る手に思わず力が籠りそうになるが、何事も平常心だと言い聞かせてそれを緩和させる。
「うおッ、眩しッ!」
「皆、覚悟はいいか? 俺はできているぞ」
実に楽しげな声をひり出し、リヴィングストンはクルーを叱咤激励。
日本艦隊より照射される光芒と、逆さにした流星の如く飛来する火炎弾の中を、ランカスターの群れは飛翔していく。その周りでは高角砲弾が連続的に炸裂し、機体が爆風に揺さぶられ、時として超音速の金属片が胴体を貫通したりもした。それでも滅多に当たるものではないと嘯くのだ。
「少佐、どいつをやりますか」
爆撃手が対地表レーダーの画面を覗き込みながら尋ね、
「やっぱ、でかいのからですかね?」
「当然、戦艦か空母を狙うのだ。極東艦隊や東洋艦隊の仇をここで取ってやろう。さあリアム、お前の出番だ」
「アイサー!」
親指を立てて返事をする気さくな若者に、リヴィングストンは満足する。
爆弾庫の扉が開かれた。左、ちょい右、針路そのままといった合図の通りに操縦し、大型目標の上空へと機体を持っていく。高角砲弾の激震は相変わらずで、主翼の一部が剥げ落ちたりもしたようだが、未だ飛行には支障はない。陸と海との違いはあるが、日本海軍はドイツ空軍ほど夜間対空戦闘に慣れていないのではなかろうか。
とはいえ眼下をふと覗くと、海面から光のシャワーが如きものが放たれ始めていた。
高度1万2000フィートからの水平爆撃となると、終端局面では機関砲の射程に踏み込むことにもなる。投弾の時は近い。積んでいるのは照明弾の類ばかりだが、これが友軍の何よりの助けとなり、戦果を挙げさしめるのだ。ここが踏ん張りどころと自身に言い聞かせ、何が何でも目標上空を占めんとする。
「針路そのまま……投下ッ!」
渾身の叫びとともに照明弾が投下され、重量を失った機体がフワリと浮かび上がった。
同時に第4エンジンに何かが衝突し、その構造を吹き飛ばして炎上させる。すぐさま燃料の供給を遮断し、それ以上の被害となるのを迅速に防止。機体は1280馬力を失ったが、まだ3840馬力残っているから、墜落の恐れだけはあるまい。
「よし、後は頼んだぞ!」
リヴィングストンは後続する列機に呼びかける。
何万カンデラという光量をもって輝く人工の星々は、海原を進む妙高型重巡洋艦をくっきりと照らし出していた。1000ポンド爆弾を12発も抱いた爆撃機が、彼女の直上へと殺到する。
「いやはや、どうなることやらな……」
鳴門少佐は相応に緊張していたが、何とも暢気と取られそうな台詞を吐く。
もっともそれは間違いではあるまい。結局のところ大破した仮装巡洋艦では、ジタバタと足掻くことすら難しいからだ。それに夜間水平爆撃など滅多に当たらぬとの評を更新する理由はなかったし、この辺りの海は割合と風が強いので、上手く狙った心算でも明後日の方向へと反れると判断してもいた。
加えて爆撃機隊が狙いそうなのは、より大型の艦に違いない。
当然その無事を祈ってはいるし、戦略上の価値を鑑みたならば、被弾するなら掃海金物などと呼ばれる廃船の方が良いとの考えも成立する。ただ何を狙うかは敵の胸先三寸であるから、やはりあれこれ心配しても無意味だろう。
「艇長はなかなかに肝が据わっておられますな」
「そうなのかもしれん」
あまり馴染んだ訳でもない副長も、良い方向に解釈してくれるようだった。
そうしている間にも爆弾は次々と降り注ぎ、照明弾にのみ照らされた海原に、大きな水柱が次々と聳え立っていく。予想通り弾着点のばらつきは十分以上に大きかった。それでも少し離れた辺りを航行していた重巡洋艦『妙高』の後部甲板に火の手が上がるなど、やはり無傷とはいかぬらしい。
(とはいえ、対空砲火の当たらなさといったらないな)
鳴門は夜空を見上げつつ、そんなことを考察する。
高角砲弾や機関砲弾が盛んに撃ち上げられているものの、炎を纏って墜落せんとしているのは、目につく限り1機か2機といった程度でしかない。まず敵機を投弾位置に着かせぬことを目的としていると説明されても、流石に下手な鉄砲過ぎるのではないかという疑念が湧いてきてしまう。
随分前のことのような気がするが、高谷大佐が探照灯の光に群がって炸裂する高角砲弾なんて話をしていた記憶があった。そんな代物が実際にあったならば、確かに便利なのかもしれない。
(あれは確か……おっと)
手帳を取り出そうとした鳴門もまた、預かったままの海軍士官の絵を落としてしまう。
仕方なしに身を屈め、左手でそれを拾い上げた瞬間――六号掃海金物のブリッジに、大変なものが超音速で突っ込んできた。十数キロもありそうな重金属塊が土嚢や木材で補強された天井を貫通、やたらと座り心地の良好だった艇長席の背凭れを食い千切り、床に穴を穿っていったのだ。
あまりに予想だにし得なかった事態に、鳴門はカチンコチンに凍り付く。背中がヒリヒリする感覚はあるが、何が何だかさっぱり理解できない。
「艇長、お怪我はありませんか!?」
「あ、ああ……大丈夫だ」
とにもかくにも呼吸を整え、
「だが……いったい何が、起きたんだ?」
「不明です。流れ弾かもしれません」
「分かった。とりあえず被害状況の把握を急いでくれ」
「了解いたしました」
副長は幾人かを連れ、急ぎ駆け出していく。
鳴門は彼等の背を見送った後、懐からブランデーの小瓶を取り出し、気付け薬だとばかりに少し舐める。かつてこの船を航空母艦『天鷹』に衝突せしめ、高谷大佐と果し合いを演じた英海軍士官の私物を、こっそりいただいておいたものだ。効き目が出るまでに要した時間は数秒ほどだった。
「いやはや、何が何やら」
内容希薄な台詞をどうにか吐き出しつつ、坂井戸造船少佐の妹が描いたという絵をじっと眺める。
これを取ろうと身を屈めなかったら、自分は流れ弾らしき何かに上半身をもぎ取られ、戦死となっていたに違いない。とすればこれも何らかの、恐ろしく重要な縁ということなりそうだと思えた。
「とりあえず、内地に戻ったら小樽を訪れてみなければならんかなあ、こりゃあ」
茫然たる呟きが漏れる中、英軍による夜間爆撃は終局へと向かっていく。
最終的な日本側の被害は重巡洋艦『妙高』が中破し、駆逐艦『村雨』が至近弾を食らったという程度で、バブ・エル・マンデブ海峡の掃海を諦めさせるには至らなかった。英軍の被撃墜機も7機とそこまでの損失ではなかったが、翌日以降の航空戦でエチオピア各地の飛行場が焼き討たれ、何十という爆撃機が地上撃破されてしまったから、総合的に見るとやはり割に合わぬ結果に終わったと言えるだろう。
そして掃海作業は海峡両岸の占領と並行して実施され、昭和18年の2月末頃には概ね通航可能という状況となった。
かの報に米英ソの首脳陣は頭を抱えて呻き、世界大戦はまた新たな局面を迎えることとなる。それと比べれば限りなく小さな話でもあるが、航行不能となるまで六号掃海金物を機雷原啓開に活用した鳴門もまた、人生の新たな局面を迎えんとしていた。例によって小樽市街で盛大に迷子になった後、何とか坂井戸家の敷居を跨いだのである。
次回は1月10日 18時頃に更新の予定です。次回以降は欧州の話となりそうです。
バブ・エル・マンデブ海峡の封鎖が解かれ、日欧航路まで啓かれてしまいました。
連合国としては本当に踏んだり蹴ったりでしょうか?




