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紅海啓開体当たり②

ハッサブ:六号掃海金物



 第百四号掃海艇長を任じられた鳴門少佐は、かつての仮装巡洋艦の内を歩き回っていた。

 艇と呼ぶには随分と大きい、そう思われることだろう。だが実のところそう呼ばれているのは脱出用の短艇であって、かつて『バジリスク』と呼ばれていた貨客船は、六号掃海金物などという人間性の欠片もない名称で呼ばれている。機雷原に直接ぶつけて爆破処理するための、何とも大がかりな器具という訳で、物理的にはまったく正反対ではあったが、書類上は第百四号掃海艇の装備という扱いになっているのだ。


 ただかような処理がなされているとしても、仕事に用いる道具の事前点検は欠かせない。

 危険につき立ち入り禁止と札がかかっていたり、破孔がありありと目に付いたりする区画を、坂井戸造船少佐の案内を受けながら進んでいく。集中砲火の中、航空母艦『天鷹』に体当たりしてきた艦なのだから、まったく妥当な損傷具合だ。それどころか敵ながら天晴れ、英国の造船能力侮り難しと、畏敬の念さえ覚えてしまいそうにもなる。


「推進軸がおかしくなってさえいなければ、シンガポールに回航……という話すらあったかもしれませんね」


 船体各部の状況についてあれこれ説明していた坂井戸が、そんなことをボソリと漏らす。

 例の一件があった直後、仮装巡洋艦『バジリスク』の調査へと赴いた彼は、結構な量の報告書を提出した褒美として改装担当を押し付けられた。到着早々に遅刻して大目玉を食らった鳴門と違い、仕事ぶりは大変に真面目である。


「大変な使われ方をしたのは事実とはいえ、素性の良い船だったのは間違いありませんから」


 坂井戸は壁面をコツコツと軽く叩き、


「燃費を高めつつ高速航行させ、いざという時に沈まぬようにする工夫があちこちに見られましたので、その辺りの知見も取りまとめておいたのですが……この時世にどれほど役に立つやら。とにかく工数を削減し、鋼材も低水準規格、機関も長期間の使用を前提としない。今量産されている戦時標準船舶はそんなのばかりですよ」


「今は数年で船体が駄目になってもよいから、とにかく数が欲しいという状況ですから」


「飛行機も1機でも多く、というところは同じでしょうが、色々と食い違うところもあるのでしょうね」


 製品としての規模や生産にかかる時間がどうだといった雑談を繰り広げつつ、ブリッジへと向かっていく。

 椰子の丸太を束ねた代物や土嚢の山、何処からか剥がした鉄板やらで、構造物は覆われていた。子供心が疼きそうな外観になっているなと、ぼんやりと思えてきたりもする。


「随分とまあ、ゴテゴテしておるものですね」


「バブ・エル・マンデブ海峡は航行可能な幅が20キロほどしかありません。そのため沿岸域の機雷掃討を行っている際は特に、両岸からの砲撃に晒される可能性が高いと言えますので、これでも全く不十分。正直、申し訳ないところです」


「そこは聯合艦隊を信じておりますよ。掃海作業中、孤立無援という訳でもないでしょうから」


 鳴門はスラッと笑って応じる。

 まあドイツ海軍が用いているという機雷原啓開船と比べれば、随分と見劣りもするかもしれない。それでも現地改修で出来得る上限とは言えそうだった。船倉には浮力材を充填してあるからまず沈まぬし、浸水も防いでくれるとのこと。音響感応機雷を爆発させるための音響増幅装置もあり合わせで作ったというし、なかなか大したものではなかろうか。


 そうして船内を更に歩き回り、説明を聞き質疑応答していると、坂井戸の直向きさ加減が伝わってもくる。

 改装に相応の自信を持っていることは間違いない。それでも彼ならざる人間が乗り組み、命がけの作業を行うのだ。本当に最善を尽くしたか、何か見逃した点はないかと自問自答を続けた痕跡が、言葉の端々に滲んでいるのだ。用兵側としてこれほど嬉しいこともないし、自分も日に我が身を三省せねばなとも思わざるを得ない。


「基本的には、紅海に敷設されたものは触発型の係維機雷が大半と予想されますが……」


 坂井戸はあれこれ記された手帳を参照しながら続け、


「連合国が配備し始めた新型機雷には、例えば航走音を複数回検出した場合にのみ起爆する等、面倒な型式のものが存在するとの報告が上がっております」


「一度通っただけでは安全と言えないと。実におっかない」


「はい。私としてもまことに心苦しい限りですが、同一海域を複数回往復する、音響増幅装置を定期的に使用する等、臨機応変に対応いただく他ありません。また触発型の場合、触雷は艦首部に集中すると予想されますが、磁気感応型、音響感応型の場合には舷側あるいは艦底で爆発することが考えられ、その際の被害想定がこちらになります」


「なるほど……おや?」


 捲られたページからポロリと紙切れが落ちた。

 坂井戸が大慌てで拾い上げたが、どうやら漫画であるようだ。船外塗装でペンキを誤って戦友に塗ってしまったり、缶を落としてしまったりする水兵の描かれた絵葉書を、部下が郷里に送っていたのを思い出す。


「おや、漫画ですかな?」


「これはお恥ずかしい。妹が軍事郵便に同封して寄越したものでして……結婚早々に旦那に先立たれたもので、今は実家に戻っておるのですが、未曾有の非常時だというのにこんなものばかり描いておるようで」


「見せていただいても?」


「見られてしまった以上、致し方ありませんね」


 気恥ずかしげなる坂井戸から紙切れを受け取り、破かぬよう開いてみる。

 小樽と思しき街並みを背に、若い海軍士官が笑っている様を描いた鉛筆画であった。随分と人物を抽象化してはいるが、身体の構図が崩れているとかは一切なく、上手いこと特徴を捉えている。陰影のつけ方も相当なものであるし、大した才能と一瞥しただけで分かった。


「いやはや、これはまた驚きました」


「そうですかね?」


「海軍の仕事を任せられるのではないでしょうか」


 鳴門は割合真剣に漫画を眺めつつ言う。

 確か米英では兵隊や工員を教育するために、漫画を多用した教科書を作成・配布しているという話があった。加えて戦意高揚のため、ウォルト・ディズニーに不敬極まりない映画を撮らせているとも聞いている。方向性が大幅に異なりそうだが、文盲の多かったソ連邦においても、芸術家が党のポスターを描いていたかもしれない。


「ありとあらゆる資源を迅速に動員して遂行するのが国家総力戦。それは我が国も変わりありませんから、絵画の才能であっても、何かしら用途があって然るべきと思いますよ」


「おっと……そう言っていただけるとあいつも喜びそうですね」


 坂井戸は少しばかり悩んだような、躊躇したような顔を浮かべ、


「鳴門少佐はそういえば、チョンガーなのでしたっけ?」


「ええ、まあ。色々あったもので」


「でしたら……内地に戻ったら、あいつに会ってやってもらえませんかね? あいつもそろそろ歳なもので、残飯処理を押し付けておるようで申し訳ありませんが」


「そういうことでしたら、分かりました」


 返事は案外あっさり出てしまう。

 おいおい、後家さんを作っても申し訳ないんじゃなかったのか。そんな心の声が後から響いてくるが、口にしてしまった以上は致し方あるまい。なるようになれだ。


「同郷の誼もありますし、無事戻れたら伺いましょう。ええと、ご実家はどちらで?」


「その絵の通り、小樽ですね。鳴門少佐、本当にありがとうございます。となれば内地に戻る前に戦死される訳には絶対にいきませんから、触雷時の被害想定および対処についての説明に戻らせていただきますね」


「ははは、よろしく頼みます」


 少しばかり照れ臭そうに応じつつ、鳴門は未だ掌の上にある絵を一瞥する。

 ふと絵柄に妙な違和感がある気がしたが、まあ女性の描いたものだからだろうと思って気に留めない。

次回は1月6日更新の予定です。業務の関係で、次回以降より19時頃に更新となります。


軍隊漫画絵葉書と、亡くなった祖母がちょっと話してくれたことを、書いていて思い出したりしていました。まあ当時、その手のものを職業で描いてた女流作家とかほぼいなかったはずですが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] >六号掃海金物 何というか即物的過ぎる名称ですね リンチ中佐が聞いたら抗議してきそう >バブ・エル・マンデブ海峡は航行可能な幅が20キロほどしかありません 38kmのドーバーよりも狭いと…
[一言] お腐れさまが嫁に来る感じ……?
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