紅海啓開体当たり①
オマーン湾:ハッサブ付近
バーレーンやカタールを占領するに至ったペルシヤ湾岸作戦は、かなりいい加減に企画されたものに違いない。
つまるところ日欧連絡線として使える飛行場を一時的にであれ確保し、中東戦域の連合国軍を引っ掻き回せればよく、可能ならば原油も獲ってくるといった程度の代物だった。何しろ日本本土から海路で1万キロ超の彼方である、恒久的に地上部隊を展開させる心算はさらさらない。現地の英軍がひどく弱体で航空戦力もほぼないとのことだから、適当に占領しておけばいいことがあるかもしれんと思った……と立案に関わった参謀が漏らしたほどである。
だが後の視点から見ると、これほどに世界戦略的影響を及ぼした作戦もないと言えそうだった。
スエズが陥落したことから日和見を始めていた中東諸国が、明確な参戦とまではいかぬまでも、枢軸側に加担し始めたのである。例えばトルコなどは、ドイツ軍の国内通過を限定的にであれ認めてしまった。バブ・エル・マンデブ海峡機雷封鎖で怒り心頭のサウジアラビアもまた、ネフド砂漠上空を航空回廊として開放したりする始末であった。
なお正確に記すとなると、後者は少しばかり事情が複雑だ。強かなるサウード家の面々は、厳正なる中立を形だけは維持した。つまるところ領空侵犯があった場合があったとしても、
「空軍に旧式の複葉機しか配備されていないため、日独伊の領空侵犯機にさっぱり追い付けない」
「国力の不足から対空監視網の構築が不十分であり、領空侵犯機の発見が困難」
という技術的理由を挙げ、中立侵犯に対する棒読みの抗議以外は何もしないのである。
一方でこの出鱈目な態度に米英が文句を付けようとすると、我々としても歯痒い限りだから新型機を部品込みで送って寄越せ、パイロットを教育するための顧問団を派遣してくれと懇願する。本来なら航空回廊の遮断のため、イラクやヨルダンから英軍の戦闘機が飛んできそうではあるが、その辺りは日独に叩かれて補充もない。まったく上手いこと考えたものだ。
かような国々に比べると、オマーン王国などはもっと直接的だった。
マスカットの空軍基地が砲爆撃され、ペルシヤ湾の玄関口たるハッサブが陥落して暫くした頃、サイード国王は英保護国という現状を打破せんと動き出す。そうして駐留していた僅かな英陸軍を上手い事追い払った後、主権国家としての独立と第二次世界大戦からの離脱を宣言してしまったのである。
「ただこの辺りだけは、その例外ってことなのか」
新鋭の二式飛行艇に揺られながら、鳴門少佐はぼんやりと窓の外の風景を眺める。
彼が航海長をやっていた航空母艦『天鷹』が仮装巡洋艦に襲撃され、英国の海兵達に接舷斬り込みまでやられた因縁の海峡。その南岸にあるオマーンの飛び地には、未だ日の丸が翩翻とはためいていた。
「行って戻ってでは都合が悪い、折角ならここで降ろしてくれてもよかったのだがな」
喧しいエンジン音の中、やたらと暢気な声が聞こえてくる。
同じく『天鷹』の乗組で副長をやっていた陸奥中佐のものだ。佐世保にて艦を降りたと思いきや、鳴門と陸奥は揃って飛行艇に押し込まれ、すぐさまとんぼ返りと相成ったのである。
「稀によくあるという奴では」
「だろうかな。まあそうしたら現地の美人さんとよろしくやっておったのに、色々ともったいない限りだ。艦長が不在の中、艦橋を守り抜いたとか言えばモテモテだったろう」
「モノは言いようですね、副長……もとい、陸奥中佐」
女に現を抜かしてばかりだから喧嘩に弱い。いったい誰についての短評だっただろうか。
もっとも腕っぷしに関しては鳴門も似たようなものだから、あまり大それたことは言えなくはあるのだが。
「まあ俺に関しては、次はフランス行きと聞いておるからな。バーレーンにドイツの連絡機が来るから、それに便乗してツーロンに向かえとのお達しだ。フランスというのは愛と情熱に満ちたる開放主義的な国であるから、まったくなかなかに楽しみである」
「如何なる理由で赴任されるのですか?」
「軍機だから現地到着後に説明すると言われたよ。いったい何なのだかさっぱり分からん。であるからあれこれ考えるのを止め、如何にフランス娘と行きずりの愛を育むかを考えることとした訳よ」
「話せるんですか、フランス語?」
「できなくとも何とかするのが海軍士官というものだろう」
陸奥はあっけらかんと笑い、あれこれとスケベな妄想ばかりを開陳し始める。
渾名こそムッツリであったが、実態はフルオープンそのもの。色恋沙汰は語学を助けるというから、そのうち言語の差を乗り越えてしまうのかもしれないが……正直なところよくこれで身を固められたものだと思えてくる。
とはいえ一方の自分はどうしたものかと、鳴門は唐突に考えてみたりもした。
順調に進んでいた縁談が結核によって流れ去って以来、その手の話がパッタリと途絶えてしまっている。自分から避けてきた結果だろうか? いい加減吹っ切れた方がいいのだろうが、どうにもそういう気分にならぬから困ってしまう。実家の方は兄が継ぐし、自分は気楽な四男坊というのもあるのかもしれない。
(実際、後家さんを作ってしまっても申し訳ないしな……見合いをするとしても、戦争が片付いてからの方がよさそうだ)
そんなことを思いつつ陸奥の猥談に相槌を打っていたら、急に身体がよろめいた。
飛行艇が旋回へと入ったようだ。もう間もなく着水のようで、ようやくのこと地面に立てるのかと心が浮き立つ。ただスヤスヤと眠っていたチビ猿のパプ助がそれで飛び起きてしまい、落ち着かせるのが少しばかり大変だ。
「ところで聞くのをすっかり忘れていたのだが、鳴門少佐はいったい何の用でペルシヤ湾に戻ってきたのだ?」
「本当に今更ですよね。あれです」
ハッサブ港湾の端に浮かぶ随分とボロボロになった船を、鳴門は噛み付かれたままの指で差す。
それこそは人をして沈んでいないのが奇跡と言わしめた、仮装巡洋艦『バジリスク』の成れの果てであった。
「我々にとってはあの因縁しかない船を、何とか役立てるよう命じられまして」
「うん……いったいどうしようというのだ、あんな廃船? 流石にスクラップにしかならんと違うか?」
「機雷原啓開用の資材として活用せよとのことです。英軍が紅海の入り口に大量の機雷を撒いていったので、浮力材とかを充填させて沈み難くしたあれを突っ込ませ、片端から掃除してしまえと」
「なるほど、そうすれば船便で日欧も連絡可能となる訳か。とすると戦局への影響が大となりそうであるし、俺の欧州出張と何かしらの関係があるのやもしれんな」
陸奥は一応の妥当性がありそうな関連付けを行った。
それからまた妙な結論に至ったのか、妙に好色な面持ちを浮かべたりする。今度はいったい何を思いついたのやら分からぬが……確かに紅海が自由に通航できるようになったならば、南方の資源を欧州へ持って行ったり、あるいはドイツ製の工作機械を内地に運んだりできるに違いない。
「とはいえ、あのオンボロ船に乗り組むのか?」
「恐らくはまあ」
「ならそんな下らん任務で死んでくれるなよ」
声色は少しだけ生真面目さを帯びており、
「いや、下らぬというと語弊があるか。重要な任務には違いないが、男子の本懐を遂げるには値せんという訳だ。それからそのエテ公、流石に啓開船には乗せるなよ、腰を抜かして死んでしまうかもしれんぞ」
「お心遣い、痛み入ります」
「うむ、モテるには大胆にして細やかな心遣いが大事だ。チョンガーなら覚えておくといい」
まずKA殿を気遣われては。そう思わなくもないが、一応は素直に受け取ることとした。
そうこうしているうちに飛行艇の高度はどんどん下がり、ボロボロになった船体もつぶさに見えるようになってくる。ともかくも御国のために奮闘せねばと、パプ助に乾パンなどやりながら鳴門は思う。
次回は1月4日更新の予定です。中東情勢が割と流動化しています。
英軍が機雷を撒き散らしまくっていったバブ・エル・マンデブ海峡の掃海に、とんでもない廃品利用をすることになりました。ここを突破できれば日欧連絡線の確立?




