ペルシヤ湾の海賊⑧
オマーン湾:マスカット沖
「いやはや、まったく酷いことになったもんだな……」
航空母艦『天鷹』の惨状を脳裏に描きつつ、高谷大佐は難しい顔をする。
大破と言うべき状況だった。至近距離から6インチ砲弾多数を食らった挙句、艦ごとぶつけられたのだから当然ではあろうが……航空機運用が著しく困難となり、航行にも大幅な支障が出てしまっている。とりあえずセイロン島はトリンコマリー港で応急修理をする予定だが、その後半年ほどは復帰が叶わぬのではなかろうか。
それにこの一件が誰のせいなのかという重大問題も、頭の中でぶり返してくる。
誰も彼もさっぱり"スウェーデン船"を怪しまずにいたのだし、一応臨検もしている訳ではあるから、実のところ戦隊司令だとか駆逐艦長だとかに押し付けたい。だが艦長というのは艦の全責任を負う存在である。全くどうなるか分かったものではない。最低でも事情聴取で相当絞られることは覚悟せねばならぬ。
「更に頭がフラつく、足は痛いし痒い。ついでに決闘に応じた意味がないときた」
「それは所謂その、結果論という奴では」
艦長公室にやってきた抜山主計少佐の、また始まったとばかりの台詞が飛んでくる。
決闘に競り勝った高谷は流血の手当てより先に、爆薬を艦の何処に仕掛けたのかと、捕われの身となったリンチ中佐を血相を変えて問い詰めていた。そうしたらポカンとされた後、シェークスピアでもキメてそうな口ぶりで、
「That's the solution」
などと呆れたことを抜かされる始末。
打井少佐麾下の決死隊は勇躍敵艦へと飛び込み、制圧と捜索に当たりはしたものの、それもまた徒労であったのだ。なお『バジリスク』はホルムズ海峡の暗礁にでもなってそうなものだが、どういう訳かまだ浮かんではいるらしい。元々は割合高級な船だったのかもしれぬ。
「とりあえず今回の件に関しては、艦長の指示は全く的確かつ迅速だったかと。サン=ナゼールで英軍が行った破壊工作の内容を鑑みれば、英仮装巡洋艦が自爆する可能性を考慮するのは妥当という他ありませんし、衝突後のかなり早い段階で、僚艦にあれを引き剥がすよう要請しておる訳です」
「ヌケサク、お世辞の類じゃないだろうな」
「今までお世辞なんて言ったことありましたっけ?」
「まあ、それもそうか……って、おい」
そこまで不快でないといった風に、高谷は苦笑してみせる。
確かに抜山の言う通り結果論ではあるし、我ながらまあ上手く対処できた部類だろうとは思う。それでも全く戦果に結び付くものでない、一方的に奇襲されて大被害を受けただけの戦闘だったことが、とにもかくにも気に入らない。攻撃隊が敵艦を襲撃した際に撃墜されたとか、機動部隊同士の戦いで艦が傷付いたとか、そういった類の被害とは決定的に違うだろう。
「ただ何だ、どうでもいい戦闘で部下を死なせてしまった。そう思えてならん」
しかも突発的かつ無茶苦茶な戦闘であったから、死者数は100に近い。
負傷者は自分を含めてそれ以上で、それで何か戦果があったかといえば、海賊まがいの仮装巡洋艦を1隻撃破しただけである。二度と見られぬ顔が幾つも浮かぶ。戦死者が生じるのは避けようがないとしても、彼等はこの結果に満足できるだろうか。
「こんな馬鹿げたことがなけりゃ、あいつらにも主力艦撃沈の場に立ち会えたのかもしれん」
「艦長、お願いですから、さっさと傷を治しちまってください」
抜山は少しばかり心配そうな口調で、
「井尻軍医が言っておったのですが、深手を負ったりすると、頭の方まで悲観しがちになることがあるそうです。身体が思ったように動かせなくなる、全身の治癒能力を集中させるので色々と疎かになる等が原因とのことですが、最近の艦長はまさにそれかと」
「なるほど、そんなものなんかな」
「ええ。悲観は禁物、楽観は意志と言います。あれこれ悩むより、今後どうやって戦果を挙げるか考えておった方が遥かに健全ですし、多分その方が傷の治りも早くなりますよ。戦死した仲間のことは、私としても残念でならないところではありますが……戦争もまだまだこれからという時に、艦長がそんな調子では困ります。さっさと治していただきたくあります」
「ヌケサク、戦争はもうじき終わるとかじゃなかったのか? 適当なことを言うな奴だな」
「あはは、その辺りは臨機応変ということで」
高谷はそう言って微笑み、深く呼吸して心機一転。
怪我が原因で頭がおかしくなっていたと言われると、確かに日課の走り込みも不可能となっていることもあり、頭が滅入っていたのではという気もしてくる。それに戦死した者達の分までこれから頑張り、靖国まで朗報を轟かせてやればいいだけだろう。まったく我ながらどうかしていた、だが絡繰りが分かってしまえばどうということない。そんな具合に精神が晴れていく。
そうした気配の変化を察してか、インド丸がにゃごにゃごと餌をねだりに来た。流石に残り少なくなった干し鮭を与えつつ、この猫の能天気さに倣うのも、今は必要なことかもしれぬと考える。
「とはいっても、今後はどうなるんだろうな?」
「およそ1年後には米機動部隊が再建され、聯合艦隊とほぼ互角の戦力になると見込まれておるようです。英国海軍もまだまだ油断なりませんし、欧州戦線もまた不透明。ですのでそれまでの間に両洋を荒らし回りつつソロモン諸島や太平洋島嶼部を要塞化、反攻があり次第それら要塞群をもって衝力を減衰せしめ、地上部隊を揚陸させるなどした瞬間を見計らって聯合艦隊主力が逆襲、一気に追い落とす計略であるとか」
「ヌケサクな、何時も思うが、いったい何処からそういう話を仕入れてくるんだ?」
「ええと……広報や外電、刊行物といった類のものを適当に捲りながら考えたことを、雰囲気で話しておるだけです」
「ううむ……戦略情報とか分析とか、何かそういう部署に移った方が天下国家ののためになるんじゃないか? 忍者ものの時代小説で、米価や色町の様子に戦の予兆を見出したのあったしな。主計上がりなんぞいらんと門前払いされるかもしれんが、必要なら推薦状くらい書いてやるぞ?」
「艦長、それでは逆効果なので」
「この野郎」
爽やかなる罵り言葉。同時に笑い声が木霊する。
「まあ何だ、今後ってのはだな、南洋において連合国の反攻をどう防ぐかとか、そういう大戦略的な話じゃない。俺も開戦からずっとこの『天鷹』に乗っておるもんで、そろそろ艦長交代の時期かもしれんと思ったまでだ。交代した直後に予備役……ということにならんか正直心配ではあるがな」
「そういえば、確かにそうですね。でも交代要員っているんですかね? 普通の大佐が着任なんてした日には、多分3日やそこらでノイローゼになりますよ」
「だよな、どうするんだろうな?」
代わりがいないからと、そのまま留任とならないか。高谷は相変わらずいい加減なことを考える。
最悪アラブ人の仲間になればいいのかもしれないが、酒も豚肉も駄目というのは正直きつい。それにやはり今後未曾有の大戦争であるから、主力艦撃沈の戦果を挙げたいという気持ちはさっぱり変わらない。
ともかくも諸々の意気込みやら感慨やらを乗せ、アラビア海の美しき夕日を背に、『天鷹』は帰路へと着いていく。
なお応急修理のため寄港したトリンコマリーでは、やはり艦体の損傷は随分と深刻と診断された。当面は作戦参加は叶わぬとの報に項垂れはしたものの、まあなるようになるだろうと高谷は思うこととした。
適当さもまた時として、未来を拓く力となるに違いない。
激闘の末に艦が大破してしまった今回をもって、序盤終了という形になります。
中盤となる54話以降は、明後日以降、隔日~3日おき更新くらいで進めていく予定ですので、何卒よろしくお願いいたします。
なお艦の修理を行っている間は、『天鷹』の困った乗組員をそれぞれ追っていく形となる予定です。
乗組員が分散するため、幾分バンカラ度が低下するかもしれませんが……そちらもお楽しみいただければ幸いです。




