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ペルシヤ湾の海賊⑦

ホルムズ海峡:ハッサブ沖



「大英帝国海軍仮装巡洋艦『バジリスク』艦長、ロナルド・リンチ中佐。ここで会ったが百年目。決闘で敗れたる歴史上最後の艦長として、貴官の名を海軍史に刻んでくれようぞ」


 謳うかのような朗々たる口調で告げるも、まさか本当に名乗りを上げてくるとはとリンチは思う。

 既に自分は孤立無援、如何様にも処理し得る個人に違いない。武士道というのもなかなか見上げたものであるし、流石は時代錯誤の幕藩体制から数十年で海洋列強となったところの軍人だ。食中毒と馬鹿にし、また『インドミタブル』の仇とばかり見做してきたが、認識を改める必要があったかもしれない。


(もっとも……本当に討ち取れはせぬだろう)


 僅かに目を泳がせ、そうした確信を得る。

 言うまでもなく、艦長が決闘でもって戦死とあっては一大事。それ故いざ止めを刺す段になったら、自分を取り囲んでいる大勢が介入し、そこまでと止めてくるということもあり得る。


 だが……それで構わない。もはや名誉の問題でしかないからだ。

 周りに助けられたという不名誉は、死ぬまで消えぬ烙印となるのである。敗れた後も暫くは艦長を続けられるかもしれないが、途中で恥じ入り、あの妙チクリンな刀で腹を掻っ捌くかもしれぬ。記録に残さぬようにすることは可能であっても、神は全てを見届けているに違いなく、死後の裁きにて全ての虚偽は晴らされるのだ。


「奇策を用い、寝首を掻くだけが取り柄の艦かと思いきや、その長たるがかくも堂々たる騎士道精神の持主であるとは。かつて我等が師と仰ぎし大英帝国海軍、まことに興味深い限り」


 真剣勝負の舞台となった艦の主は、これまた剛毅なことを言ってのける。

 それに一応のところ、整った英語ではあった。発音のなってなさだけは失笑ものだが、そればかりは致し方なかろう。


(いや……なるほどな)


 リンチは相対する者を直視しつつ、鼻から息を大きく吸い込んだ。

 重力によって引き合うかのように、間合いは徐々に詰まっていく。赤道直下の乾いた空気が、ビリビリと心地よい電気を帯びていくかのよう。

 とすれば――今が頃合いだ。


「御命チョーダイ!」


 珍しく覚えている日本語を出鱈目に絶叫しつつ、先手必勝とリンチは斬りかかる。





「ぬうッ、抜かった」


 鋭利な切っ先が空を切る。次々繰り出されるそれらを叩きつつ、高谷はギリリと歯軋りする。

 奇天烈なる猿叫をもって相手を威圧するのが戦術なら、素っ頓狂な日本語を発して虚を突くのも同じく戦術。それに自分は見事乗せられてしまった。まったくもって命取りという他ない。


 更に付け加えると、三日月刀の使い慣れなさといったらない。

 まさか一対一の決闘になるなど考えてもいなかったから、折角いただいた逸品であるし、艦上で振り翳すにはよいだろうと携えてきたのだ。しかも相対する前に刀を代えもしなかったのだから、骨の芯まで自業自得。懸命の真剣勝負だというのになんて様だ、そんな叱責が聞こえてきそうであった。


(だが……)


 一撃、また一撃。迫る太刀筋に己が刃を沿わせてガチリと弾き、


(所詮人生、万事が出たとこ勝負よ!)


 捨て鉢にほくそ笑み、連撃の最後と思しきを払うなりパッと身を引く。

 リンチとやらは好機と見てか、間を置くことなく仕掛けてきた。渾身の力を込めたる打撃をもって三日月刀を一気に反らし、刹那のうちに距離を詰めてくる。高谷は空いた片手をもって、舶刀を握りし仇敵が腕を掴み取らんとし、相手もまた類似の動作をこちらの無力化を図らんとしていたのだと気付く。

 彼我の腕がぶつかり合う中、右の踝に思い切り体重をかける。骨に響く衝撃。しかし足払いをし損じたリンチは、そのまま一気に突き抜けていった。振り返りざまの一閃は、舞踊が如く揺らめく舶刀によって受け留められた。


「やりおる」


「まだまだ」


 乱れがちなる呼吸の中、敵意に満ちたる讃辞が交錯。

 それを合図とするかのように再び剣戟がぶつかり合う。劈頭に生じた劣位は解消できたかもしれないが、今度は利き足がズキズキと痛む。さっぱりよろしくない状況だ。


(ううむ……)


 一文字に伸ばした腕と、突き出された刀身。激しく擦れ合う切っ先を睨みつける。

 刀剣の打ち合いから組み手へと縺れ込み、そのまま捻じ伏せんとしたものの、意外なことにお互い様であった。見たことのある西欧剣術は試合の演武のみで、実戦において用いられるそれとは異なるのだろう。


(まったく、どうしたものだろうな)


 呼吸を整え、不敵な笑みを浮かべつつ、高谷は挽回の一手を考察する。

 戦は流れ、戦は生き物。昔からそう言うものだが、今は順流でなく、牙をむかれているかのよう。己が手札をもってどう流れを変え、手懐けていくか。それが死活的に重要だ。





(さてそろそろ、決着させてしまわねば)


 突きを遮二無二繰り出しながら、リンチはそう心に決める。

 主導権は未だ手放してはいない。しかし移乗攻撃でもって敵艦上に乗り込んだのは自分の側で、それ故の消耗が間違いなくあった。未だ悟られてはいるまいが、時間が経てばそれだけ切れ味や踏ん張りが悪くなる。己が弱点が顕在化せぬうちに、勝鬨を上げられなければならなかった。


 削れた鎬が火花となって、鮮烈なる音響とともに散っていく。

 そうして幾度かの打ち合いの末、互いに引いて態勢を整えんとする瞬間が生じた。


「面白き戦。だが次の一撃をもって決めさせてもらう!」


 朗々と、しかし努めて冷静に、リンチは宣言する。

 どう解釈されようと問題ない。油断を誘うためのブラフと取られたならば、そこを突いて一気に討ち取る。本気と見て正面から向かってくるならば、身体能力の全てをもって押し切ってしまうまで。


 そうして舶刀を握る手に力を籠め、対峙する者を凝視した。

 自分は上手くやれるだろう。根拠と言われれば困り果てるしかないが、かような確信が湧き出でてくる。元より剣戟の戦場に、考察の時間などまともにあるはずもない。ただ内に秘めたる肉体的感性に付き従い、眼前の敵を打倒せんとの意気込みを燃焼させ、何事も為せば成るのだと自我を頑張らせる。


「覚悟!」


 永遠の如き一瞬の後、リンチは絶叫を轟かせながら突き進む。





「点ではなく線で追え、線ではなく面で追え。己が次元を高めるのだ」


 仕掛けられたと思った直後、唐突に師範の言葉が脳裏を過る。

 剣の稽古をしていると、数学の難問が解けるようになると宣う、正直なところ無茶苦茶な人物だった。だがこの瞬間、彼の言葉は大変に重要なる意味を持った。


(そうか……!)


 血に飢えているかのような刀身から、対戦者の全体像へと、高谷は急ぎ視線を移す。

 何時の間にやら視野狭窄に陥っていた。確かに自分の肉体に傷を負わせしめるは、直接的には舶刀かもしれないが、その殺意は人間のものに違いない。確かに切っ先から目を離すのは恐ろしいが、未来は目先の恐怖を拭った先にしかないと知れ。何もかもがゆっくりと動くような錯覚の中、怖気をその言葉をもってぶちのめす。


 すると脳味噌が一気に冴え、まさに流れが見て取れた。

 剣が振るわれた直後、蹴りが来る。何故かそれが分かり、分かってしまえばこちらのものと自信が満ちた。全身の筋肉もまた軽くなったかのようで、吸い込む息すら高山の済み切った空気のよう。

 これなら、戦闘という怪物を乗りこなすことすらできるに違いない。


「せいッ!」


 怒声とともに三日月刀が打ち払われ、乾いた音が木霊する。

 だがそれは些か予想外の音響となっているはずだった。高谷はその直前、湾曲したる刀身を僅かに捻り、仇なす舶刀の軌跡を幾らか滑らせていたからだ。


(今だッ!)


 驚愕の表情とともに繰り出される足技を、左の腕の全力をもって掴み取り、思い切り軸たる脚を蹴りつける。

 勇猛果敢という他ないリンチなる佐官は、ここで一気に身を崩した。恐るべき舶刀が零れ落ち、そのまま甲板へと倒れていく。高谷は弾かれた刀をもって三日月を描かしめ、鋭利なる先端を相手の喉元へと突き付ける。


「勝負あったな」


 高谷は余裕に満ちた表情で言い、ワッと歓声が沸き起こる。

 勝者には栄光、敗者には敬意。その2つはまさに紙一重といったところで、寸でのところで仕損じたリンチもまた、大変に満足そうな面持ちで結果を受け入れた。


(とはいえ……痛くて痛くてたまらん)


 勝利の余韻も台無しなことを、高谷は実のところ思っていた。

 リンチの腕から転げた舶刀が、思い切り彼の太腿を撫で斬ってしまい、鮮血がドクドクと流れ出ていたのである。

明日も18時頃に更新します。


艦長同士が揃って喧嘩殺法の使い手でした。欧州の古流剣術も普通に足技ありのバンカラスタイルなんだとか……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 噛み合ってるからVSフェアバーンシステムかと思ったら喧嘩殺法なんかーい
[良い点] これを「手柄」と呼んでいいのかどうかはともかく、間違いなく歴史に名を残す人物になれましたね、高谷艦長は。 [気になる点] > 仇なす舶刀の奇跡を →仇なす舶刀の軌跡を
[気になる点] 太ももの傷って早く止血しないと 某魔術師も太ももの動脈を撃ち抜かれて失血死したんだから 空母艦長、還らずとかやめてくださいよ(震え声 [一言] 決闘には負けた、だが、戦闘には勝った そ…
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