ペルシヤ湾の海賊⑤
ホルムズ海峡:ハッサブ沖
「いいぞいいぞ、撃ちまくれ!」
リンチ中佐の号令一下、仮装巡洋艦『バジリスク』は轟然と撃ちまくる。
爆薬の暴力的な音響とともに、重量100ポンドの砲弾が大気を切り裂いて次々と飛翔。そのうちの幾つかは水柱を立てるだけに終わりはしたものの、清々しいまでの至近距離である、確実に目標を捕捉していたものも多くあった。何よりも憎き航空母艦の舷側が爆ぜ、飛行甲板に火の手が上がり、乗組員が拳を振り上げ喝采する。
無論のこと、反撃がない訳ではない。
とはいえ目標艦の左舷後方からの巧みな接近であったから、武装のほとんどが死角となる。すぐに撃ち返してきたのは艦尾の三連装機関砲くらいで、何とかそれに連装高角砲が1基追随したが、鉄量としては依然こちらが優位。挙句、高価値目標を守るべき敵の巡洋艦や駆逐艦は、誤射を恐れてかまともに照準を付けられずにいる。
「魚雷命中、万々歳!」
今生の歓喜に満ちた副長の声が届いてくる。
その通り、敵駆逐艦の1隻が艦首を吹き飛ばされ、つんのめるように水没しようとしていた。可能なら魚雷は航空母艦を沈めるために温存しておきたかったが、決死の体当たりで針路を塞ごうとしてくる艦があった以上、使ってしまう他はない。その決断が見事、奏功したのである。
(だが……)
そろそろ敵も立ち直ることだろう。リンチは唾を呑み込んだ。
忌まわしき『天鷹』に打撃を与え続け、火災を生じさせてはいるものの、相手は排水量3万トンの巨艦である。とすればまだまだ沈没には至らぬと思われた。一方で『バジリスク』の周辺には敵弾が集中し始め、耳を劈くような音響を伴った激震に見舞われる。商船に砲を積んだだけの艦など、このままでは袋叩きにされて沈むに決まっていよう。
そしてその予測の妥当性を示すかのように、第一砲塔損傷の報が飛び込む。すぐさま駆け付けんとした者達も、十字砲火の前にバタバタと倒れる。艦載砲の全てが沈黙し、艦が航行能力を喪失するまでに要する時間は、決して長くはないだろう。
「だからこそだ!」
リンチは覚悟を決め、大きく息を吸い込む。
それから副長と視線を交錯させ、クリスマスの玩具を前にした子供のような表情に満足する。自分がこんな配置になったのも、罠にはまった結果かもしれないが――随分と甘美な運命を用意してくれたものだとリンチは思う。
「敵艦に体当たりだ。機関全速、総員斬り込み用意!」
艦内放送に伝達された命令は、それを耳にした者の血を一瞬にして滾らせた。
大海原を威風堂々進む帆船同士が熾烈なる砲撃戦を繰り広げ、刀剣を振るって斬り込み合った先祖達の栄光。偉大なる提督達が外洋の覇権を賭して戦い、板子一枚下の地獄を恐れぬ船乗り達が陽気に笑い合っていた古きよき時代。勇猛果敢で豪放磊落な海の男達が織りなした幾多の物語に、幼心を奪われなかった人間など、大将から二等兵に至るまでの全員を探したとしても、英国海軍には1人としていないに違いない。
「ははは、やっぱり斬り込みは最高だ。腕が鳴るぜ!」
「本当にこの時代に乗船攻撃ができるとは……よし、雪辱戦といこう!」
「敵の提督をこの手でひっ捕らえてやろうじゃないか!」
色濃く受け継いだ海軍の慣習を体現し、その一部とならんと欲する兵どもが、拳銃やサーベルを片手に笑い合う。
元より無謀の極みに他ならず、仮に敵中に活路を見い出すことができたとしても、奪った艦で逃げることなど叶いそうにない。それでもそんな内容を説いたところで、それが何かとしか返さぬ者しかいなかった。何故なら既に戦果は十分挙げており、後は賞与のようなものだからだ。
「さあ、一世一代の晴れ舞台が目前だぞ」
殴り込むべき敵艦の影は見る見るうちに拡大する。
「ここで臆しては男が廃る。諸君らが命を惜しまず名を惜しみ、まあ刀折れ矢尽きるまでは獅子奮迅の働きをしてくれるものと、私は一片の疑念もなく確信している!」
「畜生、何たることだ!」
航空母艦『天鷹』は予想外の砲撃によって中破し、高谷大佐は一気に青褪める。
だがそれはすぐさま憤怒へと転じた。置籍を偽っての奇襲という、小癪で姑息な手でもって忍び込んできた敵をコテンパンに叩きのめし、海の藻屑としてやらねばならない。狼狽えている暇などないぞ、さあ今すぐ反撃だ。内心に潜む何かが声高にそう叫ぶので、思い切って身を任せることとする。海軍軍人たる者、スイッチがよくなくてはならない。
「敵艦、突っ込んでくる!」
「回避急げ、面舵」
「駄目です……避け切れません!」
「うぬう、海賊戦法という訳か」
報ずる声は悲鳴の如し。まんまとしてやられたとの悔恨に、自ずと歯がギリギリと軋む。
数多の6インチ砲弾を食らった挙句に艦ごとぶつけられるとなると、被害がどれほど拡大するか分かったものではない。だが考えるのは後だと自身に叱咤し、とにもかくにも敵意を燃やす。
最悪このまま予備役編入となっても、バーレーンの皇太子がいい約束をしてくれたじゃないか。そう思うと幾分気が楽になった。折角だからといただきものの三日月刀を得物としよう。
「舐めやがって。返り討ちにしてくれる!」
頭に血を昇らせるべく絶叫し、
「敵さんの斬り込みだ! 総員、何でもいいから武器を取れ!」
命令は大変なる驚愕と幾許かの狼狽をもって受け止められた。
だが元より喧嘩っ早さでは右に出る者はなく、無鉄砲さでは聯合艦隊随一の『天鷹』乗組員である。白兵戦ならどんとこいと、誰もが俄然闘志を燃やす。
「討ち入りだ、英海軍の討ち入りだ!」
「いい度胸だ、『天鷹』の天は天下無双の天よ!」
べらんめえな甲板士官が怒鳴り、大勢が呼応して気勢を上げる。
すぐさま各所の武器庫が開かれ、手隙の者へと小銃やら手榴弾やらが投げ渡していった。つい先日まで陸軍のちょっと特殊な連中が乗っていたことから、使い勝手のいい擲弾筒や短機関銃も転がっており、中には九七式自動砲なんて代物まであった。
もっとも武器の数としては絶対的に不足。そのため何故か数十拵も仕舞ってあった青龍刀や、あるいは丸太だとかバールのようなものだとかを装備する者も出る。酷い例だと鍋を被ってフライパンを構えて推参だ。
かくの如く大慌てで合戦準備を整えている間にも、仮装巡洋艦は徐々に迫ってくる。
さして強固でもない船体のあちこちに機関砲弾の雨が降り注ぎ、次々と命中した高角砲弾が破孔を穿つ。僚艦からの射撃も集中し、紳士の国の海賊達が無残にも散華。上甲板は炎をまとって修羅場もかくやといった様相を呈し、構造物は既に廃墟も同然だ。
それでも機関と喫水線下に致命的な被害はないようで、速力のついた艦体が止まる気配などまるでない。
「ぶつかるぞ、退避!」
「総員、衝撃に備え!」
左舷後方から将兵が退いていき、取っ手を掴むなどして耐衝撃の姿勢を取る。
刹那、関東大震災もかくやと思われるほどの大激震が『天鷹』を見舞った。遂に体当たりを食らったのだ。ギィギィという金属の悲鳴のような大音響が、聞く者の背筋を凍らせんばかりに鳴り響き、兵の幾人かが投げ出されて苦悶の声を漏らす。
それでも皇帝溥儀に万一のことがあってはと、当初より軍艦らしく造った艦であったから、1万トン未満の仮装巡洋艦如きに負けるはずもない。
「お前等、準備はいいか? 俺はできているぞ!」
「かかってこいやァ!」
立ち直った将兵が武器を手に、我武者羅となって艦内を駆けていく。
燃え盛る仮装巡洋艦は『天鷹』の左舷後部へと見事食い込み、捕鯨用の銛めいた器具を次々と撃ち込んで艦体を固着。18世紀を舞台とした海洋冒険譚よろしく、英海軍将兵がロープ伝いに次々と殴り込んでくる。それを迎え撃つ側もまた、幕藩体制の頃の剣客でも気取っているかのよう。
ユーラシア大陸の東西岸に浮かぶ2つの大海軍国の、時代錯誤も甚だし過ぎる伝統的精神が、実に不可思議なる成り行きで火花を散らした。
明日も18時頃に更新します。
20世紀に接舷切り込みとは、よもやよもや……でしょうか?
米海軍は戦艦を突っ込ませてくるし、英海軍は海賊攻撃。この世界の米英は少々頭のネジがぶっ飛んでいるようです。




