ペルシヤ湾の海賊④
ホルムズ海峡:ハッサブ沖
何十隻もの雑多なる船舶が列をなし、狭隘なる海峡を何とか抜けようとしていた。
聯合艦隊がペルシヤ湾で貨物船やら油槽船やらを多く鹵獲したので、とりあえずは役立ちそうなものを積めるだけ積んだ上で、要港シンガポールにまで回航させようとしているのだ。国家のありとあらゆる資源を投じて遂行する総力戦ともなると、船腹があって困ることはないから、まったく枯野に降る慈雨の如しである。
ただ連れていくまでが一苦労となりそうな様相でもあった。
船舶多数を捕まえたといっても、事前に操船要員が確保できているはずもない。それ故に南方航路の傭船から人員を無理くり抽出したり、商船学校を卒業したばかりの若輩を引っ張ってきたりと、すったもんだの大騒ぎとなった訳だが――これまで一緒に仕事をしたこともない同士を、勝手の知らぬ船に乗せる訳であるから、何も起きないはずがなく。既に衝突事故が1件起きており、そうなりかけた事例が更に数十件。まさにハインリッヒの法則で、おまけに地元民がシャマルと呼ぶ砂嵐が先程まで吹き荒れていたから、後世の人間ならマーフィーの法則を思い浮かべていただろう。
全く先が思いやられる限り。護衛部隊の少将は溜息を漏らし、それでも帝国のため頑張ろうと意気込む。
「目立った戦果こそなかったが、なかなか楽しかったよな」
指揮官の気苦労など知ったことかとばかりに、高谷大佐は暢気に笑う。
大発動艇を放ってバーレーン占領せしめ、アバダーン油田やイラン縦貫鉄道を爆撃してきた航空母艦『天鷹』であったが、そろそろ次の作戦の準備となる。船団の護衛を終えた後は懐かしき内地への帰還であろうが――流石にイスラームに帰依して皇太子の妹を第二夫人として娶る心算はないとしても、随分と名残惜しくもあった。
「艦長が仰られていた通り、今後に繋がる作戦になったんではないですかね」
大戦略的に論じるは抜山主計少佐で、
「技術者をどう手配するかって話にもなっておりますが、バーレーンの油田や製油所は一応無傷で手に入りましたし。ついでにペルシヤ湾周辺の国々なんかも軒並み政情不安になっております」
それに続いた噂話によると、陸軍の特務機関が暗躍し始めているらしい。
ドイツ軍がバルバロッサ作戦をおっ始めた際、英国とソ連邦はインド洋から物資を運ぶ上で邪魔になるからという理由でもって、中立のイランを踏み潰していった。かようなやり口を、地元の住民が恨んでいないはずがない。そのため両国によって放逐された元皇帝レザー・シャーを立て、現政権の転覆を図る工作が進んでいるとかいないとか。
「あとそれと、色々といい土産物も手に入りましたし」
「それもそうだな……ところでスッパ、いったいそいつは何なのだ?」
思い切り首を傾げながら高谷は尋ねた。
バンダルアッバース爆撃に赴いた攻撃隊の帰還を待つばかりの諏訪少佐は、例によって口数が少なかったのだが、腕に奇妙な爬虫類を乗せている。体長は1尺ほどであろうか。
「カメレオンですね」
諏訪はゴソゴソと虫籠をまさぐりながら答える。
摘み出されたコオロギを見るや、カメレオンはピンと舌を伸ばして丸め取り、あっという間に咀嚼した。それに続いてもう一匹。えらく器用なものである。
「艦長はご存じではありませでしたか? バーレーンでもらってきまして」
「いや、名前くらいは知っているがな」
高谷は改めて、妙に滑稽な爬虫類の顔を眺める。
猫に始まってオウム、チビ猿、犬。更にワラビーときて、挙句にカメレオンだ。もはや本当に動物園と思えてくる。
「まあ、今更か」
「ちなみに艦長、とりあえずこいつは結構便利なところがあります。烹炊所に置いておけばゴキブリを片っ端から食べてくれるので、主計科としては感謝感激雨あられでして」
「おいヌケサク、何てものを食わせておるんだ」
抜山の言うことは、助け船なのか泥船なのか分からない。
「とはいえ面白いですよ。壁に貼り付けておくと、皮膚が壁の色に変わったりしますし。こいつはメスらしいんでクノイチと名付けました」
「スッパに、クノイチね。なるほどな」
何だかおかしくなってきたので、高谷はケラケラと笑う。
普段は影が薄いだの頭の中がまるで読めないだの言われている諏訪が、クノイチとやらと戯れているのを見ると、少しばかり気分が和んでくる。それに本当に背景に溶け込むかのように皮膚の色を変えられるというのは、確かに見ていて飽きない。この特殊な機構を応用した迷彩塗料が開発できたならば、軍艦に用いるのは当然として、それ以外にも様々な目的に使えるのではないだろうか。
だがそうであるならば、カメレオン的塗料を敵が用いてきた場合についても考えねばならぬ。
つまるところ隠れ身の術を如何にして見破るかである。目視であれば、違和感を見つけ出す訓練をすれば何とかなるとも思えるが、遠目ではやはり分かり難くなるに違いない。近寄られなければ存在が露見せぬというのは大変な脅威であり、航空機が真上に飛んでくるまで気付かないといったことも考えられる。いやそうならぬよう対空レーダーを装備したばかりだろうともなるが、もしかすると電磁波的迷彩とかいった空想科学的代物も、あるいはそのうち発明されるのかもしれぬ。
とすればそれらにどう対処できるのであろうか? 乏しい物理学知識でもって思考をぶつけ合わせていたところ、操艦中の鳴門少佐が呼びかけてきた。
「どうかしたか?」
「その、例のスウェーデン船がまた左舷後方より近寄ってきてまして」
「ええい、またか」
高谷は少しばかり苛立ち、その方向を睨みつける。
ペルシヤ湾に独り取り残されたのが余程堪えたのか、スウェーデン籍の貨客船が勝手に付いてきているのである。しかも苦労して並べた回航船団の中に分け入って列を乱す、割り込もうとするなど、とかく態度が悪くて仕方がない。それでいて素人が慣れぬ場で四苦八苦という訳でもないから、操船はそれなりに上手いようで、針路を阻もうとする駆逐艦の脇を擦り抜けてしまうなど、全く扱い難いといったらない。
あるいはバイキング精神ということなのかもしれないが……バイキングだというのなら他国の船団に金魚のフンが如く追従せず、独行で好きなように帰ればいいというものだ。
「警笛鳴らして、それから発光信号で何とか言ってやるのだ。危険な真似ばかりするようなら撃沈も辞さずとかな。中立だろうが何だろうが知ったことか、言うこと聞かんのなら懲らしめてやれ」
「了解」
かくして『天鷹』は喧しいばかりに警笛を鳴らし、怒りの滲んだ発光信号を馬鹿正直に送った。
だが相手が本物の敵意と害意に満ち溢れた存在だということに、この時点で気付いていた者などいなかった。スウェーデン船が針路を変えず向かってくるので、警告射撃が必要ではないかと話し合っていたところ、唐突に青地に金十字の旗が降ろされた。変わってはためいたのはユニオンジャックである。
「は!?」
「覚悟セヨ」
簡潔な応答信号とともに、仮装巡洋艦『バジリスク』は正体を現す。実にカメレオン的なる戦術だった。
擬装が解かれた甲板の上を水兵が走り、6インチ砲が鎌首をもたげる。発砲炎を認めるや否や、すぐさま『天鷹』の艦体に鈍い衝撃が走った。まともな戦果を挙げられぬと陰口を叩かれながらも、ほぼ無傷で任務に当たってきた彼女は、ここにきて初めて被弾することとなったのだ。
明日も18時頃に更新します。
まさに「何を見てヨシ! って言ったんですか?」という状況に。
考えてみればこれまで被害をほぼ受けていなかった『天鷹』ですが、ここに来て被弾してしまいました。




