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ペルシヤ湾の海賊②

ペルシヤ湾:バーレーン沖



「いやはや、何とかここまでやって来れましたね……」


 そんな具合に息をつくのは、航海長の鳴門少佐である。

 ペルシヤ湾が慣れぬ海であるからだった。アラビア半島に生えた角のようなムサンダム半島の北端、ハッサブなる街を陸軍部隊を揚げて占領した後、狭くて敵わぬホルムズ海峡を何とか通り抜けた。対岸のバンダルアッバースは重巡洋艦『足柄』、『羽黒』が艦砲射撃でもって制圧していたものの、航路上に機雷が浮かんでいないかとか、唐突に魚雷艇が襲ってきたりはしないかとか、かなりヒヤヒヤした航海であった。


 それでも厄介なる海峡を抜けてしまえば、後は湾岸部隊の独壇場ともなろう。

 何しろ航空母艦が『天鷹』に『隼鷹』、新参の『龍鳳』と揃っており、それを重巡洋艦4隻とフル編成の1個水雷戦隊が守っている。これに対処し得る戦力など、この時期のペルシヤ湾にあるはずもない。年代物の堡塁は次々と沈黙し、僅かな攻撃機が勇躍出撃しては零戦の餌食となる。更には逃げるに逃げられなかったのか、乗組員のいなくなった貨物船やら油槽船やらが浮かんでいるので、駆逐艦が片っ端から拿捕していっている。

 そしてアラビア半島の先にポツリと浮かぶ島国バーレーンには、『天鷹』および陸軍特種船3隻から発進した大発動艇の群れが殺到している。日章旗が翩翻とはためくのも時間の問題だろう。


「とりあえず、ここを無事片付けねばならん」


 高谷大佐は幾分真剣な口調で言い、


「陸軍から艦砲射撃の要請があるかもしれぬ、準備を怠りなきようにな」


「おや艦長、ペルシヤ湾には敵主力艦はいないのではありませんか?」


「だがなメイロ、このバーレーンという島国では年に100万klの原油が採れる。それを精製する設備もある。となれば聯合艦隊のインド洋における活動はたちまち円滑となり、かつパレンバン油田をこちらに割く必要もなくなる訳であるから、太平洋方面での艦隊行動も活発化させることができるはずだ」


 本でちょっと読んだ程度の付け焼刃知識を、高谷は滔々と披露していく。

 なお湾岸部隊の本来の目標は、年1000万klのイランはアバダーン油田だったのだが――つい先日、英軍の1個機械化旅団がそちらに移動したとの報が齎された。兵力としては心許ないし、原油もどうせ運び切れぬだろうとの判断で、攻めた後には守り易いバーレーン占領が優先されることとなったのである。


「つまりこの作戦を成功させた先には必ず戦果がある、急がば回れという奴だ」


「なるほど、それは確かに」


 ちょっと影のある感じに鳴門は苦笑し、それからチビ猿のパプ助にマーマイト乾パンを食べさせる。

 この豪州産の奇怪発酵食品は未だに在庫が減る気配がない。もったいないから海に捨ててはいないが、やはり味が駄目とか臭いが受け付けないとかで、大変に評判がよろしくないのである。


「ところでメイロ、さっきから何なのだこの変な臭いは?」


 高谷は思い切り顔を顰め、


「マーマイトとも違う。ゲロ以下の臭いがぷんぷんする」


「ああ、何処かに家畜運搬船が紛れているのでしょう」


 鳴門は事もなげに言い、こいつは酪農家の倅だったかと高谷は思い出す。

 数千もの家畜を生きたまま積み込む運搬船というのは、だいたい屎尿垂れ流しなこともあって、数十キロ先まで悪臭が届いたりするとのこと。そういえば弘安の役においても、江南軍が到着する4日も前から平戸に悪臭が漂ってきていて、武士達が戦に備えていたとかいう話もあったかもしれない。


「なるほど、流石はメイロ。詳しいな」


「多分、この臭いでしたら羊ですね。豪州西岸から運んできたんでしょう」


「そういえばアラブといったら、持っとる羊の数で男の価値が決まるんじゃなかったか?」


 高谷はまたも自分のニワカ仕込み知識を漁り、


「あと髭だな。付け髭がなかったか確認しておかねばならんな」


「どうされるので?」


「決まっておるだろう、その羊運搬船とやらを可及的速やかにひっ捕らえてやるのだ。そうしてこの如何ともし難い悪臭の大本を絶ち、捕えた羊をバーレーンの首長に気前よく献上することによって現地住民に対する宣撫を実施、軍艦『天鷹』ここにありとアラブの人々に知らしめる。現地の協力があれば原油生産も円滑となり、聯合艦隊の作戦を兵站面から支援することにも繋がる。誰もが得するいいやり方だろう、ほれ善は急げだ」


 高谷はまた随分と乗り気で、本当に家畜運搬船の大捜索を始めてしまう。

 普通なら快速の駆逐艦が真っ先に拿捕してそうなものだが、どういう訳か目標は『天鷹』の近くをほぼ無人状態で漂流していたので、まんまと生け捕りにすることができた。


 なおその船の目的地は中立国サウジアラビアであって、羊が届かぬことに地元の豪族が怒り狂ったりするのだが、そんなことを知る由もないのだから仕方がない。





バーレーン:宮殿



 バーレーンは長らく大英帝国の保護国という扱いであり、英軍の駐留部隊もいるにはいた。

 だがその規模といったら1個大隊もいるかどうかという程度で、しかも装備は劣悪である。艦砲射撃の支援を受けながら殺到する大発動艇と、そこから果敢に飛び出してくる湾岸支隊の将兵を相手に、まともな防御戦闘など成り立つはずもない。決着がつくまでに要した時間は1日ちょっとで、掲げられていたユニオンジャックは日の丸へと変わった。幸いなことに原油関連の設備もほぼ無事とのことである。


 そうした後、高谷大佐は臭くて敵わん家畜運搬船を手土産に、バーレーンの宮殿へと詫びに訪れた。

 我等が大日本帝国と大英帝国は今や干戈を交える関係であるが、貴国を戦乱に巻き込まざるを得なかったことを心苦しく思っている。友誼の印として羊を用意したので、是非とも受け取って欲しい。艦長とは外交官にもなるというが、高谷は曲がりなりにもその務めを果たし、ハリーファ家の首長は甚く感激したようである。


「日本はサムライの国と聞いていたが、かくも礼儀正しく気前が良いとは。誠に恐れ入った」


 盛大に催されたる饗宴の席。高谷の隣に座した皇太子が、まことに流暢なる英語で仰せになる。


「しかも一兵卒に至る全員が読み書きをし、四則演算を難なくこなすとは。貴国から学ぶことも大変に多くありそうであるな」


「まことにありがたきお言葉」


 付け髭が落ちぬかと心配しつつ、高谷は何とかそれっぽく応じた。

 それから皿に山と盛られた料理を上手いこと頬張る。大蒜と玉葱、レモンの効力によって臭みの消えた羊肉に、濃厚なるチーズが合わさって大変に美味。とはいえ酒はないものかと思ってしまう。言うまでもなく回教圏でアルコールは禁忌である。


「いやはや。貴殿のような高潔なる軍人にこそ、両国の架け橋となっていただきたいものだ。そのためにも貴殿には是非とも、我が妹を娶っていただきたい」


「ええと……私は既婚でございます」


「むむ、これは異なことを。2人目の妻ということで問題ありませんぞ?」


 そういえば回教では妻は4人まで持てるのだったかと高谷は思い出す。

 続けて踊り子に鼻の下を伸ばしながら、やたらと興味深げに耳を欹てる副長の陸奥中佐を軽く一撃。こいつの場合は本当に洒落にならぬことをやりかねない。


 そうしてあれやこれやと会話が弾むうちに、ちょっとしたお国自慢にもなってくる。

 2600年もの昔から日本国民は万世一系の天皇陛下を奉じているのだと説明すると、なるほどイスラームに帰依いただけたならば最高のスルターンに相応しいとかいう驚くべき反応が返ってくる。隈なき善意からなのは理解できるとしても、ふとした弾みで全てがとんでもない大威力爆弾となってしまいそうだ。

 まったく……英語が聞き取れる人間が多くなくてよかったものである。


「ともかくも我等は祖国に生命を捧げ、陛下の藩屏とならんとする軍人。今後も苛烈を極めるであろう米英との戦争に身を投じて獅子奮迅し、あるいは男子の本懐を遂げることとなるやもしれません。それ故、まことに残念ではございますが、全てはこの戦を終えてからでなければなりませぬ」


「なるほど。それは致し方ありませぬな」


 皇太子は心底残念といった風で、


「しかし貴殿のような高潔なる戦士であれば、何時であれ、我等は迎え入れるを躊躇いはしませんぞ」


「ええ。運命が許すならば」


 高谷はどうにか難局を乗り切ったものの、その後も饗宴は随分と長く続く。

 胃の調子が正直おかしかったが、未だ鉱油エビ天が後を引いているという訳ではあるまい。下士官兵と地元の若人といったように、言葉の通じぬ者同士という間柄だったなら、どれほど気楽かと思わざるを得なかった。


(とはいえ……何だろうな)


 一瞬だけではあったが、案外悪くないかもと高谷は思った。

 特に少将になれぬまま退役する羽目になるのだとしたら、妻に何を言われるか分かったものではないが、この地に骨を埋めるのもいいかもしれない。

明日も18時頃に更新します。


バーレーン油田(100万kl)を確保しました。

なお皇太子がとんでもない爆弾発言をしていますが……向こうの人はナチュラルにこういうこと言うと聞いたことが。異文化コミュニケーションの難しさ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] だーいじょうぶですよ高谷艦長! なろう主人公なら一夫多妻なんて常識です! ……それを考えると、陸奥副長のほうが主人公にふさわしいんじゃないだろうか。 [一言] アラビアのロレンスならぬ、ア…
[良い点] バーレーン油田を確保しましたか。 輸送を妨害したくても、砂漠のキツネが大暴れしてる現状でそんな兵力はあるんでしょうか? (イラクの機械化旅団もハリボテか?) [気になる点] イギリスの仮装…
[気になる点] 急がば回れという言葉を覚えた艦長 冷静になったと見えるが恐らく振り切れてしまったと推測 [一言] おおう、まさかペルシアの奥深くバーレーンを占拠してしまうとか 確かに島なので劣勢であ…
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