表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
366/372

一杯の珈琲を⑤

太平洋:八丈島沖



 政府専用機の窓より差し込む夕暮れの紅は、幾千万の血を呑み込んだような色に思えた。

 実際、未曽有の被害が生じていた。帝国領内において8発の水素爆弾が炸裂し、共栄圏全域にまで範囲を広げれば、弾着数の10倍以上にもなるのだ。すべてが軍事目標に対するものであったため、直接の死傷者数は1200万人前後と推定されているとのことだが、聞いているだけで気が遠くなるような数字としか言いようがない。


 だがあろうことか、それを被害僅少と解釈せねばならぬ状況であるようだった。

 何しろ南北アメリカ大陸には合計250発超が落下し、アジア以上の被害が生じている。欧州に至ってはもはや想像するだに悍ましい。ドイツ軍はソ連邦およびその同盟国に対してだけは、最初から人口密集地帯を狙う形態の攻撃を仕掛けていた。それ故、防空網が破綻した後の報復も情け容赦ないものとなっており、近代文明の発祥の地たるピレネーからウラルに至る大平原は、何億という骸の横たわる地獄となろうとしていた。


「なおソ連邦の残存地上部隊は前進を始めたようで……」


 空軍参謀本部長の帆足大将が、画面に大写しにされた地図を背に言う。


「それらが接収を予定している工場設備や食糧備蓄などを焼いてしまわぬよう、米英空軍は中性子弾頭をもってこれを支援する構えとのこと。彼等はドイツ本土の戦略目標は、ほぼ叩き潰し終えた判断している模様です」


「なるほど、わかった」


 金子首相は憔悴し切った面持ちで、嘆息するように肯いた。

 すべてが悪い夢で、目を醒ましたら何事なかったりしないだろうか。彼は酷く逃避的な思考をし、それから数秒ほどの後に、どうにもならぬ現実と改めて対峙する。


「なお我が空軍の爆撃隊も、北極海上空に集結しつつあります」


「同害と算定されるだけの攻撃をやってくれ」


 金子は機械的に命じ、


「目標は任せる。もっとも、もうほとんど残っていないかもしれんがな。それから腸が煮えくり返りそうだが……過度の報復とならぬよう注意はしてくれ。水爆弾道弾を多数搭載した潜水艦が、まだ何処かに潜んでいるはずだからな」


「お任せを。残りは待機でよろしいでしょうか?」


「ああ。一応は米国と妥結できたとはいえ……何かの拍子にトチ狂い、あの爆撃機で襲ってこないとも限らんからな」


「了解いたしました」


 帆足がおもむろに受領し、傍らの副官が司令室より退出する。

 そうした後、金子は少しばかり瞑目した。原水爆戦争は交渉の戦争になると誰かが予言していたが、まさにその通りである。すぐにシュワルツコフ米大統領に直通回線で連絡し、今後の協力関係構築について確認する必要があった。その次は英ソ首脳との電話会談で、共栄圏諸国の代表に対しても諸々の説明をせねばならぬなど、とにかく予定が目白押しとしか言いようがない。


 それから今次大戦を引き起こした張本人にも、これ以上事態を悪化させるなと警告せねばならない。

 まったくの自業自得かつ因果応報であるとはいえ、ドイツ人は昨日の半分くらいになっているはずだった。それが更に喪われると考えた場合、世界そのものを道連れにするという判断が成立してしまうかもしれぬ。とすればここでの対応を誤らぬことが肝心で……関係者と少し協議せねばならぬかと思ったところ、司令室に新たな入室者があった。内閣戦略局の大橋長官だった。


「ん、大橋君か? いったい何事だね?」


「総理、厄介な事態です」


 大橋の声には相当の危惧が滲んでいた。

 彼はこれまでの苛烈な戦争にあって、ひたすら怜悧な振る舞いをし続けていた。そこに変化が生じたとなったら一大事で、実際とんでもない爆弾が投げ込まれた。


「ギースラー総統との直通回線が途絶えました。原因については判明しておりません」





バルト海:ダンツィヒ沖



 弾道弾の水中発射機。そうとでも呼ぶべき多数の小型潜水艦が、バルト海の底に張り付いていた。

 またそれらは超長波の特別信号を除き、外部からの通信を一切遮断するようになっていた。彼等が受け取る指令は、たったの2種類しかない。すなわち待機あるいは帰投で、指令が更新されぬまま一定時間が経過した場合、本国が壊滅的打撃を受けたと見做し、攻撃を開始するという訳である。


「それで……あと15分で時限という訳か」


 微かな機械音のみ響く指令室にて、親衛隊のイェーガー大尉は原子時計を一瞥した。

 時刻は11時半。本来あるべき待機命令の更新は、依然としてなされる気配がない。であれば正午を回ったら、最終報復用の兵器を全世界に向けて解き放つこととなる。


「もしや我等が大ドイツは、米英ソなどの奇襲を受けたのだろうか」


「大尉殿、ご安心ください」


 同室中のブラウン中尉が朗らかな面持ちで言う。


「仮にそうであれば、最終的に勝利するのは人類の調停者たる我々です。我々が発射キーを回すこととなったならば、この惑星は死の星へと変わるやもしれませんが……そのための播種船がございます」


「うん、何だそいつは?」


「最新技術を用いて人工冬眠状態とした200人と、我等優良人種の編集済み遺伝子情報を乗せた、現代のノアの箱舟ですよ。世界が灰になって暫くの後、木星公転軌道に避退した彼等が再び地表へと降り立ち、新しい千年王国を築くことになるのです。既に打ち上げ準備は完了しているとのことで」


「ほう、そいつは知らなかったな」


 実を言うなら、噂として小耳に挟んだことはあった。

 ただブラウンの口から出てきた以上、本当かもしれないと思えた。この若き部下は遺伝的に優秀であることが証明されていて、更には今を時めく空軍大将の係累であったから、与太話にも一定の信頼が置けた。


 とすれば悲観する必要など、さほどないのかもしれない。

 確かにここで世界最終戦に突入したならば、自分の兄弟達を含む大勢が犠牲となるやもしれぬ。しかし重要なのは個々人の運命ではなく、アーリア人種そのものの存続なのだ。地質年代においては過去に数度、生物種が割単位で絶滅するような事件があったそうだが、その都度生物は進化してきたではないか。


「中尉、感謝する。気が幾分楽になった」


「ええ。ともかくもドンと構え……」


 突如襲い掛かった衝撃が、そこですべてを遮った。

 バルト海上空に達した米英の爆撃機群が、バルト海に次々と水爆を投げ込み、そのうちの1発が至近距離で爆発したのだ。結果、イェーガーは頭を機材に打ち付けて即死。ブラウンもまた半身不随となり、運命は彼の方が少しばかり過酷だった。


ただ最終報復兵器の電子的脳髄は、物理的に動作不能となるまで機能し続けていた。

回復不能の損害を負ったと判定したそれは、ただちに特別の水中信号を送信。残存していた小型潜水艦は受信と復号を終えるや否や、搭載している格納筒を次々と分離し始める。





地球周回軌道:南大西洋上空



 5億人以上を死に至らしめたと推定される戦争は、今のところ小康状態といった具合であった。

 ただそうであったとしても、油断は禁物という他ない。ドイツの国土はおおよそ壊滅し、継戦能力など欠片も残っていないようではあるが、保有する原水爆すべてを撃ち尽くしたという訳ではなさそうだった。何かの拍子にそれらが一斉発射されでもしたら、今度こそ人類滅亡などという結果になりかねなかった。


 またそれ故、軌道空母『天鷹』は、本来の軌道へと回帰せんとしていた。

 弾道弾および部分軌道爆撃弾の迎撃のため放った艦載機を収容し、未だ健在なる僚艦への補給を行うためである。いずれも兵装をほぼ射耗し、頻繁に回避運動などしたため推進剤も枯渇というあり様だった。となれば早急にそれらの戦闘能力を回復させ、爾後の作戦行動に備える必要があったのだ。


「それで、まだかかるのかね?」


 軌道艦隊を率いる南雲中将が、焦燥感に溢れた面持ちで尋ねてくる。


「こんな戦争はもう終わりにせねばならんとはいえだ……死の淵にいるドイツ人どもが、いったい何をしでかすか分からん。艦長、原爆減速はやはりできんか?」


「長官、先程申し上げました通り……カタパルトに致命的損傷が発生する可能性が大です」


 艦長の諏訪大佐はすかさず返答する。

 実のところ『天鷹』は減速しあぐねていた。原爆推進艦というのは加速は得手だが、逆は苦手なのである。後者の場合、核分裂によって生じた火球へ突っ込む形となるから、理由は明白としか言えないが……原子熱ロケットエンジンの水素噴射では、なかなか時間がかかって仕方がない。


 なお本来であれば、とっくに所定の軌道に戻っているはずだった。

 それが未だに速度を殺し切れていないのは、避退時に不手際があったからに他ならぬ。独軌道戦艦『ビスマルク』の追撃を躱すべく、『天鷹』は早々に長楕円軌道へと遷移したのだが、加速用原爆の出力設定を誤った結果、なかなかの大暴投になってしまったのだ。就役から間もないこともあって、乗組員の慣熟度があまり高くないというのはあるにしろ、どうしてこの超重大局面にと思わざるを得なかった。


「ううむ、やはり『赤城』にすべきだったのだ」


 南雲は唐突にぼやき、


「我が祖父の旗艦の名を冠せば、こんなことにはならなかったかもしれん」


「長官、いったい何事ですか?」


「このフネの名だ。『天鷹』なんてやくざな名にするから……」


「天眼5号より入電!」


 悲鳴にも似た報告が突如響き、


「ドイツ本土近傍海域に赤外線輻射多数!」


「ば、馬鹿なッ」


 最悪としか言いようがない展開に、誰もが言葉を喪失する。

 大画面に表示されたる世界地図の、バルト海や北海といった辺りに、無機質で無慈悲なる点滅が矢継ぎ早に追加されていく。潜水艦発射式弾道弾の一斉射撃に違いなかった。死なば諸共の最終兵器が、早くも何百と群れをなして飛翔し始めていて……それらの目標たるは、地球上のありとあらゆる都市と思われた。


 そして軌道が次々と確定し、うち数割がアジア方面に向かうと判明し始めた中、諏訪の脳裏を何かが過った。

 まだ起死回生の一手がある。かつて初代に乗り組んだ祖父の魂と、艦にまつわる超自然的なものが、どうしてか囁きかけてきた気がしたのだ。南雲長官の酷評とは裏腹に、『天鷹』というのはしょうもない過失や無軌道行為を成功に繋げてしまう摩訶不思議な艦であったはずで……思考がそこに至った瞬間、彼は途中の計算すべてを端折り、大音声をもって命じた。


「ただちに減速止め、軌道戦闘機隊は発艦準備急げ。本艦に残存せる全戦力をもって、敵弾道弾を撃滅する」

次回は10月29日18時頃に更新の予定です。

何とか収束しそうだった第三次世界大戦が、最悪の方向へと転がっていきます。現実でもこのように、手が付けられない事態に発展することを防ぐため、首脳部・指揮系統中枢の排除を狙った攻撃は禁忌とされているそうですが……総統が偶然、地下鉄ごと蒸発してしまったのではどうしようもありません。次々と発射されていく長距離弾道弾を、『天鷹』は迎撃できるのでしょうか?


なおドイツ海軍の最終報復用の小型潜水艦ですが、これは浅海に浮かべた移動可能なICBMサイロ……といったものとなっていそうです。イタリヤの離反によって聖域としての地中海が喪われた結果、大型の戦略原潜にのみ頼るという方針が揺らぎ、結果としてこのような兵器を緊急増産する破目になったといった具合でしょうか? 史実のアメリカも冷戦中、五大湖の湖底にトライデントⅡだかの発射筒を配置するという案を持っていたようで、これに近い形かもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
もう見てられないほどの惨劇が繰り広げられていますね。 2代目「天鷹」に色々とかかってる…
犠牲者5億の内訳は独ソあわせて2億で残りが3億ぐらいかな?
こういってはなんですが、原水爆程度では成層圏に塵芥を巻き上げるのは不可能(対流圏どまり)なので、数年は涼しいかもしれませんが、核の冬が続くことはなさそう。 10万人ほど生き残ってれば、人類は遺伝的には…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ