一杯の珈琲を④
北海:ユトランド半島沖
直近の数時間のうちにいったい何発の原水爆が使用されたのか、もはや数えることすら難しい。
ただ破滅的戦争は今のところ、ドイツの辛勝と呼べる状況にあるかもしれなかった。すべての列強諸国に対する奇襲的先制攻撃に踏み切ったのだから、反撃もまた苛烈を極め、かの国においても1000万前後の死者が生じているはずではある。それでも新Z艦隊の半数が未だ健在で、移動式弾道弾発射台も相当数が生き残っている。こうした彼我の得失を踏まえれば、まったく恐るべき話であるが、許容範囲内の損害と認識されても不思議はない。
そしてそうであるが故、ここで巻き返しを図らねばならなかった。
連合国軍の反撃の嚆矢となるべく、夜明けを迎えた高度4万フィートの空を亜音速飛行するは、米空軍が誇る戦略爆撃機B-2である。何十という水爆によって国土を焼き払われながらも、依然として多数の最新鋭迎撃機と地対空ミサイルによって防衛され続けているドイツ本土。かくの如き金城湯池に、単機で侵入せんとしているのだから、傍目には自殺的任務に従事していると見えるかもしれぬ。しかし異形の全翼機たるそれは、未だにレーダーの眼を欺瞞し続けることに成功していた。
「いやはや、この機体はまさにニンジャだな」
機長のハンセル中佐は、何処か変調した口調で呟く。
大西洋での空中待機の最中、ラジオを受信していたら、とんでもない悲報を聞かされる破目になったからかもしれない。彼はダラスの東南東80マイルほどのタイラーなる街の生まれだった。軌道を外れた水爆弾頭に直撃された故郷は、今や跡形もなく消滅していまっている。
「キャベツ野郎どもを蒸発させるには、まあもってこいの乗り物だ。奴等の街という街を穴ぼこに変えてやる」
「第一の爆撃目標は防空司令部です。間もなくドイツ上空に到達」
何時もながら冷静な副操縦士の、陰鬱さを覆い隠したような声が響く。
実際、彼の言う通りだ。フレンスブルク近郊の地下40メートルには、ユトランド半島一帯を統括する大防空管制施設が存在する。幾多の複合装甲で守られたそこを、地表貫通型水爆で吹き飛ばすのが任務だ。同じく第509爆撃航空団に所属する僚機もまた、似たような目標を割り当てられていた。
そうした戦力の神経中枢に対する攻撃が成功したならば、戦局はたちまち逆転する。
大西洋上空で待機している米英連合の爆撃機部隊が、英本土の秘密空軍基地より出撃する護衛機を引き連れ、ドイツ本土を一気呵成に襲うのだ。グレートブリテン島などは既に酷いあり様とはいえ、ソ連邦以外に対しては、ナチどもは軍事目標への先制攻撃に留めたとされている。そのため反撃の対象も同様に限定されるらしいが、基地の付近には民間人も居住しているであろうから、可能な限りそれらを巻き込みたいものだとハンセルは思った。
「爆撃目標まで25マイル」
「爆弾庫扉開け」
発令。扉が展開されたことで空気抵抗が幾分大きくなり、それ以上に機体のレーダー反射断面積が増大した。
ただちに対地走査用のAN/APQ-181を起動し、爆撃目標周辺の電波画像を取得。格納されたるB83爆弾に情報が入力され、落とせば確実に命中するようになった。当然その間、ドイツ製の火器管制レーダーが、強烈な電磁波を照射してくる。しかしB-2は自己防衛用の電波妨害装置を稼働させ、照準を外しながら、最適な投弾点へと飛行していく。
「あッ、地対空ミサイルの発射を確認」
副操縦士はまず報告し、
「恐らくライントホターR11、本機はロックオンされておりません」
「つまらんコケ脅し、あるいは間抜けが早まったかだ」
「ですかね」
「ああ。どちらにせよ俺等の番だ、食らえッ!」
ハンセルは喝采し、数秒ほどの後、視界が突然真っ白になったのを知覚した。
それから訳も分からぬうちに、意識はパッと消失した。元凶は先程のライントホターR11だった。明後日の空に向けて驀進していたはずのミサイルには、どうしてか試製品の原子励起ガンマ線レーザー弾頭が組み込まれていて……あまりに致死的な光線を浴びて彼は即死、機体も加熱されて爆発四散してしまったのだった。
ただ既に投下されていた2発のB83爆弾に、影響らしきものは見られない。
それらは受け取った座標に向け、僅かな狂いもなく自由落下していき、遂に地表へと突き刺さる。その直後に発生した出力1.2メガトンの核爆発は、地下化された軍事施設を完膚なきまでに蒸発させ、更にはハンセルが望んでいた通り、何千というフレンスブルク市民を巻き込んだ。
ラステンブルク:総統大本営
「総統閣下、こちらが発射命令取消し用の端末になります」
秘密地下鉄を進む総統専用列車。最先端の設備を有するそれの執務室にて、ギースラー総統は説明を受けていた。
一般に鉄道は、デッドマン装置などと呼ばれる安全機構が備わっている。すなわち運転手が死亡あるいは意識不明に陥るなどした場合に、自動的に運行が停止して事故を防止するもので、当然ながら今乗っている車両にも、それは組み込まれているはずだった。
一方で手渡された通信端末と、それに連なる重厚長大なシステムは、まったく逆の設計思想に基づいていた。
すなわち失敗致死性。如何なる理由であれ、解除信号が定時に受信されなくなった場合、本国が壊滅的被害を受けたものと見做し、最終報復用の兵器すべてが自動的に発射されるという代物だ。どうしようもなく剣呑なやり方であることは言うまでもなく、本来はこれに頼る必要もないはずだった。しかし現状においては、大ドイツとアーリア人種の存続のために敢えて危険を冒す他ないと、親衛隊の担当将校は淡々と告げた。
「総統閣下、これらはすべて事前の作戦計画に基づいた措置となります」
「ああ、分かっている」
猛烈な胃の痛みを堪えつつ、ギースラーは力なく肯く。
つい数十分ほど前までは、まだ楽観が存在していた。仮想敵国すべてに対する全面的な先制攻撃は、おおよそ成功裏に終わったと見積もられたためである。確かに最重要目標とされた軌道空母『天鷹』の捕捉撃滅に失敗するなど、不徹底に終わった部分もありはしたものの、新Z艦隊は制宙権をおおよそ掌握し、日米英ソの大陸間弾道弾基地の大半を壊滅に追い込めていた。それでいてドイツ本土の被害は想定の6割ほどで、戦略防空網も機能を喪ってはいなかったから、ソ連邦を民族の未来のため徹底的に殲滅しながら、それ以外との停戦協議を始めていたのだ。
だかそうした前提は、奇襲的に侵入してきた米空軍の新型爆撃機により、ガラス細工のように破砕されてしまった。
恐らくは今後、復讐鬼と化した戦略爆撃機が大挙して押し寄せ、目に付くものすべてを吹き飛ばしていくだろう。最新鋭戦闘機多数を有する空軍はもちろん全力での迎撃に当たるだろうし、軌道上の新Z艦隊の一部を大気圏ぎりぎりまで降下させる命令も下したばかりだったが、迎撃管制が破綻した状況にあっては、数多くの撃ち漏らしが生じるとしか予測し得なかった。更には敵が従来のルールを一方的に変更し、都市部を破壊し始めるかもしれない。とすれば人口地帯への原水爆攻撃に対しては同害報復で応じると改めて宣告し、同時に指導部への攻撃が致命的な事態を招く旨を伝達することによって、被害極限を図る他に道はなさそうだった。
「総統閣下」
電話連絡中だった外務大臣が受話器を置き、
「たった今、米大統領より停戦条件が示されました」
「ユダヤ的悪辣さに満ちていそうだが、念のため聞いておく」
「はい。長距離弾道弾を搭載可能な潜水艦すべてをただちに緊急浮上させ、一切の作戦行動を無条件かつ検証可能な形で停止させた場合にのみ、一時的停戦に合意すると……」
「あり得んな」
ギースラーは即断する。
これから犠牲となるであろう何百万人の懇願が、脳裏を掠めたような気もした。それでも切り札を喪った先にあるのは、アーリア人種そのものの消滅あるいは永久奴隷化だけだろうと、まったく機械的に結論付けた。
「とすればやはり、この装置を起動するしかないか。すまないペーター、続けてくれ」
「はい、総統閣下」
人間味のないナチ式敬礼。その後、何もかもが麻痺したような説明がなされた。
かくして失敗致死性のシステムは起動し、帝国領内の幾つかの拠点から超長波信号が発振され始めた。最悪の事態が招かれる可能性はあるとしても、その場合には自分は生きてはいまい。そう考えると、ほんの僅かばかり肩の荷が降りた気がした。
東プロイセン:森林地帯
「間もなく第一目標、ケーニヒスベルク」
韋駄天のオリガことシシコワ中尉は、新鋭機のSu-32Kを駆りながら、まったく平淡な口調で報告した。
応答はなかった。ともに出撃した僚機は、敵機にやられたのか地表に激突してしまったのかは分からぬが、すべて墜落してしまったのだろう。とはいえ第4世代強化人間の数少ない成功例たる彼女は、操縦技能と引き換えにほぼすべての感情を喪失していたから、あまり悲しまずに済んでいた。
ただ何よりも重要なのは、帳尻を合わせることに違いない。
現在、祖国たるソ連邦は未曽有の窮地にあった。ドイツ軍の先制攻撃によってほぼすべての戦略兵器を喪失し、更にはモスクワを含む主要都市のほぼすべてが水爆攻撃を受けて壊滅。カルーガ近郊の秘密基地より飛び立った時点で、死傷者は人口のおよそ3割に相当する7000万人と推定されていて、今後更に増大する見通しとのことだった。とすれば敵を同じ割合だけ間引かねば、釣り合いが取れなくなってしまう訳である。
そして目標たる市街が、地平線に見えてきた。文化的な背景には興味はないが、80万人が居住する都市とのことだから、破壊すれば天秤も幾らか戻るだろう。
「爆撃用意」
「爆弾1番、2番、起動」
シシコワは機械的に宣い、素早くスイッチを入れた。
刹那の後、操縦桿をグイと引き寄せる。それまで超音速低空飛行をしていたSu-32Kは、機首と高度を上げ始めた。それまで回避できていたレーダー波が盛んに機体を叩き、喧しき警報音が鳴り響くが、彼女は気に留めることなく三舵を操っていく。
「投弾」
発声と同時に親指を動作させ、両翼に懸架されたる兵装を切り離した。
かくしてトス爆撃を完了させた後、操縦桿を更に引き、210度の縦旋回。素早く機体の天地を入れ替え、合計1.6メガトンの爆発に巻き込まれぬよう、アフターバーナーを吹かして脱兎の如く離脱する。
爆弾はまだ4発も残っているのだから、ここでやられる訳にはいかない。
シシコワは確固たる意志をもって念じた。だが次の目標を目指し始めてから間もなく、致死的な衝撃が機体を駆け抜けた。強化人間たる彼女は、通常のロシヤ人以上に恐怖を感じぬ性格をしていたから、精神的な動揺はあまりなかった。とはいえ大口径対空機関砲の射撃に晒され、あちこちを吹き飛ばされた愛機は、精々あと十数秒ほどの寿命だろうと思われた。
(ああ……赤き清浄なる世界のため、もっと大勢を間引かねばならぬのに)
シシコワは初めて悔しげなる顔をした。
それから1人でも多くの敵を殺戮できるよう、残りすべての爆弾を信管を着発とした。出力は合計3.2メガトン。墜落する先は選べそうになかったが、ドイツ人はこの辺りに大規模な地下坑道を巡らせているとの噂があったから、もしかしたらその一部を破壊し、避難者を生き埋めにできるかもしれないと期待したのだ。
そして何処までも唯物論的な女戦士の願いは、どうしてか神の御許に届いてしまった。
ケーニヒスベルクの古式ゆかしい街並みが瓦礫と化すのとほぼ同時に、Su-32Kは東プロイセンの一角に墜落し、巨大なクレーターを作り上げた。いったい如何なる運命の悪戯か、その直下には秘密地下鉄が走っていた。しかも総統専用列車が偶然そこを通行しようとしていたなど、誰も夢にも思うまい。
次回は10月24日18時頃に更新の予定です。
ドイツが第三次世界大戦を優位に進めていたかと思いきや、防空網の奇襲的破壊によって戦局がひっくり返ります。やっぱし怖いスねステルス爆撃機は。しかも総統閣下が失敗致死的な策を講じた直後、水爆を搭載したソ連空軍機がその真上に墜落して爆発してしまいました。この世界の行方はどっちだ?
ちなみに現実にも、こうした失敗致死的なやり方が講じられる、と論じられることがあります。
その中でも有名なのは、ロシヤで運用されているとされる「死の手」システムでしょうか? ただ一般に噂されるのと随分と違って、あれも核爆発が確認された場合には参謀本部に連絡し、それでも駄目だったら何処に連絡して、と手順を踏む運用になっているそうです。本作品のドイツのように、発射取消命令が途絶えたら即発射、というような運用にはなかなかならないはずなので、その意味ではご安心いただけます。




