史上最低最悪の海軍記念日③
プリンスルパート:建設現場
ウナラスカ島の陥落により、ハワイへの航路が脅威に晒されたのは周知の事実である。
それと同時に窮地に陥ったのが、アラスカやカナダ太平洋岸地域の経済基盤だった。こう記すと大変に物々しく感じられるかもしれないが、地図を見れば事態の深刻さが呑み込めるだろう。アラスカ準州の州都たるジュノーが、21世紀に入っても鉄道どころか道路ですら繋がれていない本物の陸の孤島のままであることからも分かるように、バンクーバー以北の北米大陸太平洋岸とは基本的に、陸上輸送が著しいまでに困難な土地柄なのだ。
そうした環境において重要度を俄然高めたのが、ブリティッシュコロンビア州プリンスルパートだ。
ロッキー山脈西麓のフィヨルドに位置する、人口は1万程度の小さな港町ではあるが、アンカレッジとシアトルを結ぶ航路のほぼ中間に位置している。しかもこの辺りでは唯一、鉄道によってカナダ内陸部と接続されてもいる。それ故、SP3船団が大損害を受けた頃から、プリンスルパートには米陸軍工兵隊が集結し、飛行場の整備や港湾施設の拡張に勤しみ始めた。それなくしてアラスカ方面への海路や空路の安定化も、ウナラスカ島の奪還もあり得なかったからだ。
だが逆の立場から見れば、叩き潰さねばならぬ目標となることは言うまでもない。
「ん、ありゃあ何だ?」
早朝。土木作業に当たっていた技師が、雲の合間に妙な染みを目撃した。
夜勤明けなだけあって、彼はまず両目を擦る。改めてその方向を見てみると、既に何も見えなくなっていた。
「どうかしたのか?」
喧しい限りの音が響く中、同僚が何とか尋ねてくる。
「いや、さっき飛行機か何かが見えたような気がしてな」
「多分だが、上空警戒中の戦闘機か……あるいは哨戒機か何かだろう」
「そうか。とすりゃ頼もしい限りだな」
技師はあまり興味なさげな口調で言う。興味がないというより、そろそろ休みたいところである。
腕時計を一瞥すると、交代の時間まであと30分と分かる。何時も通り頑張り、豪勢な食事を平らげ、さっさと床に就くのである。勤務を終えれば、明後日の午前0時までは休み。賃金は随分と出ているから、家族に電話をした後は街に出て、ビールを飲んだり娼婦を買ったりもいいかもしれない。そんなありふれたことをぼんやり思う。
「ん……だが何かおかしいな」
先の同僚が怪訝な顔をし、
「耳に覚えのない音な気がしてきた」
「おいおい、やばいんじゃないのかそれ?」
あまり緊張感のない口調でそんなことを言っていた矢先、雷鳴が如き爆発音が耳を劈く。
咄嗟にその方を振り向くと、この間仕上げたばかりの滑走路から黒煙が上がっていた。続けてもう一発が炸裂し、駐機していた双発の輸送機を燃え盛るアルミ細工へと変える。明白なまでの空襲だった。
「畜生、何なんだよ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う大勢と同じように、技師も大慌てで駆け出した。
恐慌の中で空を見上げると、血のように赤い丸を描いた機体が乱舞している。1機の機影が急速に拡大し、その両翼が瞬く。これは拙いなとぼんやりと思った直後、彼は永遠に休むこととなった。
オアフ島:太平洋艦隊司令部
「糞ッ、厄介なことになった」
太平洋艦隊を率いるニミッツ大将は、報告を受けるや否や頭痛を覚える。
まず艦載機の大群がカナダ太平洋岸のプリンスルパートを襲い、30余の航空機と駆逐艦を含む5隻を撃沈。更にその数時間後、バンクーバー島北端のポートハーディに建設中の飛行場が吹き飛ばされたという。明らかに南雲機動部隊の仕業だった。
だが一番大きな問題は、この攻撃によって航空母艦を出さざるを得なくなるかもしれないところだ。
プリンスルパート、ポートハーディと続いた場合、大半の人間は次はバンクーバーかシアトルと思うだろう。特に後者だとすると、恥辱の日に真珠湾にあった戦艦の如く、身動きできぬまま港で沈められてしまう。それが何より恐ろしいから、急ぎシアトルに停泊中の艦隊を出航させて迎撃せよという話になるのである。
しかも日本軍機は次はシアトルだという内容の伝単をばら撒いていったという。思い切り手袋を投げてきたのだ。
「無論、こちらの空母を誘引するための罠だ」
その点に関して、ニミッツの脳裏に疑念など一切ありはしない。
第51任務部隊の主力たる『レンジャー』と『ワスプ』は、合衆国が現在使用可能な艦隊型航空母艦の最後の2隻である。これらが喪われた場合、日本海軍の空母機動部隊を押し留めることは、新造のエセックス級が揃うまで不可能だ。つまるところ向こう半年ほど好き放題暴れられるという意味で、そうなると太平洋の軍事戦略は根底から破綻してしまうだろう。
だからこそ西海岸の陸軍航空隊との連携を強化したのである。
北太平洋を管轄するセオボールド少将には、敵の来寇が予想される場合には、まず第51任務部隊を南下させるよう指示しておいた。それに南雲を食い付かせ、あちこちに展開しているB-17やB-24に波状的な索敵攻撃を行わしめた上でとどめを刺す。それが勝利の絵であったのだが、余計なところから介入があって、作戦計画が崩れてしまいそうな予感がしてならない。
「長官、その、キング作戦部長から連絡が」
「ああ、分かったよ」
暗澹たる面持ちをどうにか覆い、ニミッツは電文を受け取る。
一瞥した瞬間、表情が引き攣った。血の気も凍るとはこのことだろうかと思う。声にならぬ唸りを上げ、部下の前であるにもかかわらず項垂れ、思い切り頭を抱えてしまう。
「第51任務部隊がシアトルを出撃し、北上だと……」
目の前が真っ暗になり、身体がよろめき倒れる。
「長官、大丈夫でしょうか?」
「ああ、私は問題ない。だが太平洋艦隊は大丈夫ではなくなってしまった」
慌てて身を助け起こさんとする参謀に、ニミッツはしわがれた声で応じる。
カナダ太平洋岸空襲に驚愕したルーズベルト大統領が、ただちに任務部隊をバンクーバー島沖に展開させ、南雲機動部隊を迎撃するよう指示したのだ。更には一刻の猶予もないからとキングがシアトルに直接電話をかけ、セオボールドに与えておいた命令を上書き。その事後報告が今になって届いたという訳だった。
これまで何度となくワシントンD.C.へと赴き、米本土が大規模な空襲を受ける可能性を含めて状況を説明したはずだが――努力はさっぱり奏功しなかったようだ。
大丈夫でなくなったのが太平洋艦隊だけなら、正直まだマシなくらいかもしれない。
明日も18時頃に更新します。
プリンスルパートはVIA鉄道の終着点であることから、史実でも戦時中は太平洋戦線向けの物資を積み込む拠点となっていたようです。




