史上最低最悪の海軍記念日①
ガダルカナル島:ホニアラ港
地理学の教授であってすら、ガダルカナル島と言われてすぐに正確な位置を答えられはしないだろう。
それほどまでにマニアックな南洋の僻地に、航空母艦『天鷹』は錨を降ろしていた。もっともニューカレドニアだのフィジーだのという、更なる海の果てを襲撃してきた帰りである。思えば随分と遠くまでやってきたものだ。万里の波濤を乗り越え御国の光を輝かせるのは、何とも大変な事業と誰もが痛感するところである。
もっとも例によって、『天鷹』は栄光に浴していない。少なくとも高谷大佐はそう思っていた。
大洋州方面に進出と聞いた時は胸が躍ったものだが――まったくどうしたことだろう、敵主力はさっぱり出現しないのだ。米豪連絡線の破綻は連合国の一大危機。故に航路を荒らし回っていれば、空母や戦艦が必ずやってくる。確かにそれは正しい分析だっただろう、米英の水上艦隊戦力がもう少しましな状況であったならば。
そして敵艦を返り討ちにすることを夢見ては、まだかまだかとブツブツ文句ばかり垂れる高谷の許に、とんでもない戦略情報が舞い込んできた。
「え、何……敵空母は2隻とも、シアトルにおるというのか!?」
信じ難い。高谷はアングリと大口を開けた。
シアトルといえば北太平洋の玄関口で、北太平洋といえば前回の作戦を行っていた辺りである。手柄となるべき米航空母艦は、何と『天鷹』と入れ替わるように、そちらに展開してしまったのである。
「し、しかも南雲機動部隊が……単冠湾を経ったと!?」
「はい。聯合艦隊司令部はこの機に米空母を全滅させる腹のようで」
「畜生、どうして毎度こうなるんだ!」
高谷は大いに頭を抱え、それから切歯扼腕。地団太の音が木霊する。
何故そうなったのかと問われれば、答えは素晴らしく単純だ。第四航空戦隊が7月の下旬にSP3船団を完膚なきまでの被害を与えた結果、北太平洋を航空母艦でもって守らぬことには、真珠湾の安全化は図れないとルーズベルト大統領が判断したためだ。米豪連絡線も基本的には、ハワイからポリネシアにかけての海域を通る。故にまずはその根本をしっかりと支えないといけない。まことに妥当な判断だと言えよう。
故に『天鷹』がダッチハーバーに留まっていたり、あるいは大湊で待機するなどしていたならば、撃滅作戦参加の機会はあったのかもしれない。
だが現在位置は赤道より南のガダルカナル島である。今更北太平洋に戻りたいと言ってももう遅い。敵航空母艦は二航戦の『蒼龍』、『飛龍』と五航戦の『瑞鶴』、『瑞鳳』が片付けます、という訳だった。味方の敗北や沈没を望むなど言語道断ではあるが、できれば片方くらいは残しておいてくれないものか。割合、それは本音である。
「おいヌケサク、話が違うじゃあないか」
艦内放送で抜山主計少佐を艦長公室に呼び寄せ、高谷は怒鳴り付ける。
とはいえ妙に要領のいい抜山のことである。あくまで可能性としてあり得ると分析しただけだと前置きし、
「戦は生き物です。状況が変わることもままあるものでしょう」
といった具合にのらりくらりと言い逃れた。
「特に一昨日の外電にあった通り、ドイツ軍は遂にアレクサンドリアを陥落させました。同時にカイロでクーデターが勃発して、エジプトは混沌としとります。陸軍のセイロン島攻略もほぼ勘定の段階に入っておるようですし、豪州方面に回す戦力がなくなっても仕方ないでしょう」
「ヌケサクな、それじゃ戦争が終わってしまうだろうが」
「喜ばしい話じゃないですか。戦争なんて大勝ちしとるうちに終わらせるのが一番ですよ」
「それは確かに良いが、全く良くない。手柄が立てられなきゃ俺なんてすぐ予備役編入だ。せめて少将で営門を出んことには、退役した後の人生計画が滅茶苦茶に狂ってしまう」
そう言ってから高谷を察し、抜山をキッと睨め付ける。
放っておいたならば、「個人の手柄のために戦争をやっとる訳ではないでしょう」とか「艦長に人生計画という概念があったとは世紀の大発見」とか、嫌味なことを抜かしそうな顔をしていたからである。
「しかし全く、どうしたらいいのだろうな」
「なるようにしかなりませんよ、特に敵の考えることですと」
「それでは困るから言っておるのだ。ううむ、何処かに連合国の秘密戦艦でも隠れておらんだろうか」
米領サモア:マヌア諸島
果せるかな、高谷大佐が期待した通りのものは存在していた。
まず最新鋭の戦艦『サウスダコタ』と『インディアナ』の姉妹、それからミッドウェー沖で爆沈した『ノースカロライナ』の妹分たる『ワシントン』が、南太平洋に姿を現していたのである。この3隻はいずれも16インチ砲を9門も搭載し、しかも海原を28ノットという高速で航行することが可能な、実に恐るべき艨艟であった。
「しかしかくも気高き彼女達が、かくの如くコソコソと隠れておらねばならぬとは……」
高速戦艦部隊を率いるウィリス・リー少将は大変に不満であった。
水平線上の向こうには、米領サモアの中心たるトゥトゥイラ島が浮かんでいるはずだった。海軍の根拠地があるのはそちらで、兵を休ませるための施設があるのも当然そちらである。
にもかかわらず主島東方60海里の火山群島にあるのは、作戦の都合という他ない。
今朝、米領サモアからオーストラリアのブリズベンに向け、陸軍1個旅団を乗せた船団が近く出港した――ことになっている。実のところ輸送船は全てがもぬけの殻で、船腹には浮力材となりそうなものばかりが充填されている。囮作戦という訳だった。そうとも知らずにノコノコやってきた日本の機動部隊が、このインチキ船団に喰らい付いているうちに、高速戦艦を突撃させて砲戦を仕掛けるという大胆な戦術である。
「またもや珊瑚海の重巡部隊と同じ結末を辿るのでは」
かような懸念の声が聞こえてきそうではある。
確かに厄介なこと極まりない日本の新型戦艦が、トラック諸島に停泊中であるのは事実だろう。だが、心配のし過ぎではないか。16インチ砲搭載の3隻を相手に戦える水上艦など、この世界の何処にも存在するはずがない。ついでに『長門』と『陸奥』の姉妹は、今も呉に錨を降ろしているのが確認されている。
とすれば――そのような主張は的外れと言う他ない。
「哨戒潜水艦から入電!」
それは待ちに待った瞬間で、
「敵機動部隊がガダルカナルを発ったようです」
「ふむ、ではそろそろ我々も錨を上げるとしようか」
命令が下されるや、各艦は急速に熱を帯び始める。
第64任務部隊は戦艦3隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻からなる、快速で小回りの利く水上打撃部隊だ。できれば重巡洋艦を2隻ほど付け足しておきたいところではあったが、海戦以来1ダース近くも沈んでしまっているので困難だった。ならばせめてブルックリン級をと嘆願したが、これまた各地の哨戒線を埋めるので忙しい。
とはいえないもの強請りをしても仕方がないし、巡洋艦が不足していようと問題が発生することもあるまい。
情報によると敵機動部隊には戦艦が随伴してはいるようだが、精々1隻か2隻。しかも必然的に14インチ砲艦となるから、鎧袖一触ともなろう。就役から間もないが故の練度の低さはあるが、性能が補ってくれるに違いない。
「それに相手はあの食中毒空母のようだ」
リーはほくそ笑む。かの航空母艦の最高速度が25ノットなのは純然たる事実だ。
緒戦のマレー沖で『インドミタブル』を拿捕したのを皮切りに、常に一番嫌なところにいて一番嫌なことをし続ける、連合国軍にとっての仇敵。忌々しきその艦体に16インチ砲弾を叩き込み、見事撃沈せしめたならば、オリンピックで金メダルを獲得するより嬉しいに違いない。
なお余談だが、リーは本当にオリンピック金メダリストだ。
22年前のアントワープオリンピックで射撃競技14種目に出場、7つのメダルを獲得し、うちの5つが金。それで海軍少将というのだから、まさに天が二物を与えた好例であるが、彼も多少数奇な運命をこれから辿ったりするのである。
明日も18時頃に更新します。果たして海軍記念日にいったい何が起こるのでしょうか?
なお史実ではガダルカナル島に米軍が上陸している頃ですが、作中では戦力不足から望楼作戦は発生せず、見事なまでに日本海軍の根拠地となっております。




