マーシャル闇討ち作戦②
真珠湾:太平洋艦隊司令部
「率直に言って、嫌な予感しかしてこない」
慣れ親しんだ真珠湾を離れるに当たって、ニミッツ元帥はそう愚痴を零したという。
就任早々、新大統領があまりに適当な人事をしたためだ。性格に問題があるどころでなかったのは事実であれ、海軍作戦部長として辣腕を振るってきたキング元帥をいきなり解任。その後任として指名されたのが、他でもない彼だったのである。
しかも更なる頭痛の種となりそうなのが、後任の太平洋艦隊司令長官に他ならない。
そう、政治的駆け引きとメディア露出が三度の飯より好きな自惚れ屋、我儘人士筆頭のジョン・H・タワーズだ。面倒事を起こさぬよう副司令官という座敷牢に放り込み、つまらぬ仕事だけ山ほど押し付けておいたはずが……いったい如何なる手練手管か、何時の間にか彼は新大統領と海軍長官の支持を取り付けており、気付いた時には手遅れというあり様だった。
そしてそれは今後の海軍作戦がより政治的となり得るという意味であり、まさにその通りになろうとしていた。パリ攻略について迂闊な内容を口走ったが故、キングは更迭されたのだが、どうにも皮肉な結果と言えそうだ。
「我々は是が非でも、マリアナ攻略を9月末までに終わらせねばならないのですよ」
錚々たる面子を前に、タワーズはそう声高に主張した。
会議室に垂れ込めたる空気は険悪さを増し、歴戦の提督達が揃って眉を顰める。それでも彼は頑として譲らない。
「少なくとも同諸島の何処かの飛行場を確保し、B-29装備の爆撃集団が安全に展開できるようにする必要があります。今ここでのんびりとしていては、クリスマスを過ぎてもまだ上陸戦闘中ということになりかねません。それでは拙いのですよ」
「少しばかり、解せぬところがありますな」
第5艦隊司令長官を務めるスプルーアンス大将が、落ち着き払った声で尋ねる。
大統領相手に大見栄を切ったのだろう。決して口には出さないが、舞台裏はそんな具合かと彼は想像していた。
「いずれグアムを奪還し、サイパンへと兵を進めねばならぬのは事実。とはいえ……元々の予定では、バンダ海作戦がある程度進捗した後、マリアナ侵攻を始める予定だったと理解しております」
「それを待つ余裕がないと、先程から繰り返しています」
タワーズはそう切って捨て、
「特にあのMr.ナルシストはパフォーマンスだけは上手ですがね、戦争はあまり上手ではない。はっきり言うならど下手糞です、流石はフィリピンからすたこらと逃げ出してきただけはあります」
「それはそうですがね」
陸軍軍人に対する悪口でだけは、場は見事に一致する。
実際、マッカーサー元帥麾下の米豪軍が7月より実施しているバンダ海作戦は、初っ端から悲惨なことになっていた。真っ先に制圧するはずだったニューギニア南方のアルー諸島は、上陸から1か月が経過したにもかかわらず、守備隊がやたらと頑強に抵抗し続けている。チモール島での戦闘は更に滅茶苦茶で、早々に橋頭堡を失って撤退を余儀なくされた挙句、駆逐艦隊に殴り込まれて1個師団が水没したというから情けない。
またそうした苦戦のお陰で、太平洋艦隊も大変な迷惑を被っているのだ。
バンダ海諸島の飛行場の幾つかが確保され、そこを拠点として陸軍航空隊が活動する。先程のスプルーアンスの言葉にあった通り、マリアナ侵攻作戦発動の前提条件の1つが、実のところそれだった。南シナ海からフィリピン海にかけてを監視可能とすると同時に、日本軍の長距離航空戦力を吸収するはずだったのだが……現状では環礁だらけで地積の限られたマーシャル諸島から、無理矢理にB-29偵察型を飛ばすしかないのである。
なお一連の事情から、機動部隊で再度の支援を実施し、マッカーサーに恩を売ってはと提案した参謀もいたという。
ただこれは完璧に過去形となったらしかった。相手がニミッツであったならば、呆れ顔で諭す程度で済んだかもしれないが、タワーズはこれに激昂。今すぐ陸軍野郎の靴でも舐めに行けと癇癪を炸裂させ、剥ぎ取った金モールで当人の首を絞める寸前までいったというから恐ろしい。
「だいたいあの連中は戦が始まってこの方、失態と死体しか積み上げていません。全員海兵隊に転職でもすればいい……まあそれはともかく、口先だけの道化者なマッカーサーなど当てにせず、我々だけでやるしかないのですよ。問題などないでしょう、航空母艦を2ダース近くも投入するのですから」
「マリアナ諸島には合計600機近い作戦機が展開しているとのこと」
今度は第58任務部隊を率いるミッチャー中将が、怪訝な顔をして続ける。
「それも半地下化した掩蔽壕が多数存在し、サイパンには断崖絶壁に横穴を掘り進めた飛行場まで存在するなど、抗堪性は非常に高いと考えられます」
「でしょうね」
「加えてドイツ流の高射砲塔が建設され、最近は少数とはいえジェット戦闘機まで活動しているという。これだけでも相当な難物で、更には依然として強力な日本海軍の機動部隊も控えている。タワーズ大将、貴殿は我が海軍の航空主義を牽引された英雄の1人に違いありません。ならば……」
「ミッチャー君、無理だの困難だのとでも言いたいのですか? 無理を無理と言うくらい誰にでもできます。それでもやり遂げるのが優秀な提督。それくらい常識でしょう」
「な、何ですと……」
「それにミッチャー君、心配には及びませんよ」
タワーズは尚も小馬鹿にしたような口振りで、
「日本海軍の機動部隊ならば、戦場に到着する前に半分が海の藻屑となるからです」
「いったい何を根拠にそのようなことを?」
「おっと、すっかり忘れていました。申し訳ありませんね」
何ともわざとらしい謝罪。その後、極秘と記された追加資料が配布された。
原子動力潜水艦『ノーチラス』に関する内容で、にわかには信じ難い性能に幾人かが呻きを上げる。本当にこのような常識外の兵器が存在し得るのか、半信半疑といった雰囲気だ。とはいえ真に潜水艦たる彼女は間違いなくパナマ運河を通過し、病的な水中速力で太平洋を横断中であるはずだった。
「この『ノーチラス』により、来寇する日本海軍を半壊に追い込むのですよ」
タワーズは自信満々に言い、
「原子動力により速力16.7ノットで半永久的に潜航が可能なこの潜水艦は、既存の対潜兵器の一切を受け付けません。事実、カリブ海での慣熟航海を終えた航空母艦『ボクサー』に歴戦の駆逐艦6隻を付け、それから哨戒機まで飛ばして『ノーチラス』を待ち伏せるという内容の演習が実施されましたが……『ノーチラス』はまったく探知されることなく『ボクサー』左舷800ヤードに浮上しました。まあ資料の14ページ以降に書いてある通りですが、3度やって3度とも似た結果となったそうです」
「む、むむッ……」
「それから言うまでもありませんが、日本海軍の対潜戦闘能力は我々の足許にも及びません。更に『ノーチラス』は最新鋭の聴音機材を装備していますから、数十キロ先の敵艦すら探知可能。であれば確実に敵機動部隊を捕捉、見事に仕留めてくれるでしょう。そうやって一方的に叩き潰してしまえば、彼等は尻尾を撒いて逃げ出すか、戦力が激減したまま戦うしかなくなります。となれば負ける心配などないというもの、この島の火山が爆発する心配をした方がましですよ」
「なるほど。新兵器についてよく理解できました。確かにこれならば、マリアナ侵攻も成功させられるでしょう」
スプルーアンスは冷静沈着な面持ちで肯いた。
資料の内容が正しいならば、いや疑いようもなく正しいのだろうが、帆船に対する蒸気船も同じくらいの革新性だと思えた。ほとんど無敵の性能と言っても過言ではなさそうだった。プルトニウムの核分裂反応で動くらしい潜水艦が次々と配備されたならば、あっという間に太平洋から旭日旗を掲げた軍艦が一掃され、水上艦は上陸支援のみやればよくなるのかもしれない。
とはいえ――人生を通じて培ってきた経験は、こうした瞬間が一番危ういと告げていた。
見知った戦争が何処か遠くへと過ぎ去っていくような感覚を抱きつつ、自分は何を懸念しているのかとスプルーアンスは考察した。極秘資料をパラパラと捲り、程なくして直観を得た。
「ただ、ひとつ懸念があります」
スプルーアンスは思考を急ぎまとめ、
「こちらを拝見させていただきましたが、『ノーチラス』は促成で建造した実験艦という気配が濃厚です。また新動力機関を搭載している割に、公試にかけた期間も非常に短いとも言えます。となれば実戦において予期せぬトラブルが発生する可能性も考慮せねばならないのではありませんか?」
「もちろん。大変もっともな懸念ですよ」
タワーズもまた僅かに不安を滲ませ、しかしすぐさま不遜な顔を浮かべる。
「そのため関連機材一式を積載した工作艦を仕立て……不具合にもすぐ対処できるよう、開発チームに太平洋まで来てもらうことにしたのですよ。間もなく彼等はマーシャル諸島に到着します」
次回は12月20日 18時頃に更新の予定です。
新たな太平洋艦隊司令長官が誕生しました。割と珍しい人選……でしょうか?
とはいえ第58任務部隊は圧倒的に強力、しかも原子炉搭載の『ノーチラス』もその片鱗を垣間見せ始めます。実際、原潜って非常に革新的な兵器なんですよね。
なおニューギニア南方のアルー諸島、史実でもここには複数の飛行場が設営され、豪州方面からの侵攻に備えていたそうです。




