脅威! 青天の霹靂作戦⑤
東京湾:第二海堡上空
「糞ッ、チンピラゴロツキども!」
死闘の只中。目の前の惨憺たる戦況に、打井少佐はギリリと歯を軋ませる。
激烈なる爆撃や機銃掃射の間隙を突き、零戦隊を率いてどうにか離陸した彼は、大混戦の中で既に米軍機を2機撃墜していた。獅子奮迅の部下達の分も含めれば、恐らく両手の指を超えるだろう。
だがそうした奮闘ぶりも、所詮は局所的なものと嫌でも分かった。
竜攘虎摶の空中戦は血沸き肉躍るが、迎撃戦の本領は爆雷撃の阻止にある。敵戦闘機の相手で手一杯という状況は、どれだけ華々しく連戦連勝としても、結局は負け戦の一種だった。あるいは友軍が目的を達成しているのかもしれないが――サッと周囲を見渡した限り、その可能性はまるで高そうでない。
何しろ東京湾一帯のあちこちから黒々とした煙が上がっている。北米空襲作戦において乗り組んだ航空母艦『迦楼羅』もまた、既に数発被弾しているのだ。
「こいつはその仕返しだとでも……むッ!?」
打井はその瞬間、背後より迫る殺気に勘付き、
「こん畜生ッ!」
と咆哮しながら咄嗟の急横転。
そうして6筋もの猛烈なる火線を躱し、優速の敵機を前へと押し出した。増速。太り肉の大きな機影を至近距離で捉え、機関砲弾の乱打をもってその翼を吹き飛ばさんと引き金を絞る。
とはいえ――判断が早い。敵パイロットはなかなかの腕前だった。
不利を悟るや急降下に移っていて、有効打はあまり与えられなかったようだ。反射的に追い縋りたくなるが、零戦では深追いは禁物。割合に理性的な負けじ魂で感情を封じ込める。
「まあいい、次の敵は……」
「こちら三笠山。打通1番、聞こえますか?」
唐突に航空無線より声が届く。
雑音混じりだが、地上局の連中とすぐに分かった。ドイツ仕込みの管制術を何とかこなす、通信科の頼もしい連中だ。当初は滅茶苦茶な状況に機能不全に陥っていたが、どうにか立ち直ってくれたらしい。
「打通1番、聞こえているぞ」
「鴨川上空に敵爆雷撃連合、横須賀方面に向かう。迎撃願います」
「任せろ、千切っては投げてきてやる!」
付近の敵味方の入り乱れ具合を監視しつつ、喜色を露わに操縦桿を倒す。
幸いにも立ち塞がらんとする敵機の姿はなく、僚機も何機か追随してくる。好機到来、まったくありがたい限り。最も多くの戦果を挙げるためには、関係する者全員の密なる連携が、横文字で言うところのチームワークが欠かせないのだ。
「その真髄、今こそ見せてくれる」
打井は沸々たる殺意と新戦術への期待を胸に、地上から指示された目標の捜索を開始する。
「どうだ野郎ども、全機揃っているか?」
「ジークに突っ込まれて危ういところでしたが、うちの隊は何とか」
「よし。では敵艦まで一気に突っ込むとするぞ」
元気のいい応答にガハラー少佐は満足し、SB2Cヘルダイバーからなる中隊を先導していく。
バンクーバー沖で航空母艦『蒼龍』を襲撃し、壮絶なる最期を遂げたマクラスキー少佐。救国の英雄にして急降下爆撃機乗りの鑑とでも言うべき彼の意志を継ぎ、合衆国海軍の撃沈艦リストに新たな名を付け加えるのは、今をおいて他にない。
「あいつをやる」
横須賀軍港に停泊する艦艇群、そのうちの1隻にガハラーは狙いを定める。
優先すべきはもちろん航空母艦で、翔鶴型と思しきそれを爆撃目標とした。それから密なる防御陣形を解くように命じる。普段であれば編隊ごと襲撃に入るところだが、相手の速力は当然ながら0ノット。であれば1機ずつ順繰りに急降下していく方が、より大きな戦果を望めるとの判断だった。
そしてその艦尾と愛機の軸線を合わせ、急角度への降下に移っていく。
スキーで35度といったら凄まじい傾斜だが、こちらはその6割増し以上。毎度のことながら臓物がすっこ抜けそうだ。混乱しているのか高射砲はあまり炸裂していなかったが、艦載の機関砲などは撃ち上げてきて、それに絡み取られれば地獄へと真っ逆さま。まったく男らしい戦闘で、平べったい艦影が急速に迫る。
「高度5000……4000……」
後部座席のハリソン軍曹が高度を読み上げ、
「3000……2000!」
「今ッ!」
投弾。それから操縦桿を一気に引く。
体の真上に象か何かが腰を下ろしたかのようで、視界が眩み、全身も爆発しそうになる。それでも決して腕力を緩めない。緩めたら海面に激突だと、肉体がきちんと覚えているのだ。
そうして身軽となった機体は、何とか水平へと戻った。
こじんまりした家々の連なる横須賀市街の真上。寝ぼけ眼の者どもをエンジン音と機銃掃射で盛大に脅かしながら、300フィートほどの低高度を一気に駆け抜ける。
ここで気になるのは戦果。そう思った刹那、後ろから歓喜に満ち満ちた声が響いてきた。
「やりました、命中です! あッ、更にもう1発命中!」
太平洋:サイパン島北東沖
やたらと面倒を押し付けられ、また面倒事を起こしもする航空母艦『天鷹』。
彼女の搭載したる第666海軍航空隊の、野晒しのニトログリセリンが如き搭乗員達は、今日に限っては積極的に論を戦わせていた。会場となった士官室では時折落下傘囊やビール瓶が飛び交ったりはするが、普段の行状と比べれば誤差みたいなものである。
その主だった題というのは、成層圏を飛翔する敵をどう相手取るかであった。
豪州はケアンズを爆撃した帰路、忌々しいB-29の電探偵察機が艦隊上空1万メートルに一晩中張り付き、位置を打電しまくったりした。そのお陰で敵攻撃機がワンサカ現れ、少なくない犠牲が生じたのだから、何らかの対策が必要という訳だ。まったく真剣そのものな内容で、海軍のお偉方がこの光景を見ていたら、上野動物園のエテ公が言葉を喋るのを目撃するより驚いたかもしれない。
とはいえ――議論は早々に暗礁に乗り上げてしまっていた。バンカラのやくざ者揃いであるのも一因かもしれないが、それ以上に物理的問題が立ち塞がっていたからである。
「実際、局地戦の雷電ですら、捕捉に失敗してばかりだと聞くからな……」
腕組みしながら難しい顔をするは、新任の戦闘機隊長たる久我山大尉。
呉の飲み屋で出鱈目に酩酊した挙げ句、『雲龍』の艦長を海に放り投げた科で『天鷹』に転属となった彼だが、呑み過ぎていない時はまともな士官である。
「金星エンジンのお陰で性能が向上したとはいえ、零戦ではどうにも追い付けん」
「高角砲弾で撃墜はできんのでしょうか?」
空手家の秋元中尉が首を傾げ、
「いや、例えばまた秋月型を回していただくとか。射高で言うなら届きそうですし」
「ヒデキ、三角関係をすっかり忘ちまったか? 敵がいつも真上を飛んでいる訳もなかろう。それに相手が電探偵察機なら、一度くらいは写真を撮りにくるかもしれんが、後は電探の射程ぎりぎりを飛ぶはずだ」
「ちなみに敵電探の有効射程は40海里くらいと見積もられ……ひっく」
通信参謀の佃少佐が丸暗記した内容を述べ、例によって奇天烈な吃逆。
やはり零戦では抜本的な解決は望めなさそうで、三菱が鋭意開発中だという烈風が配備されたとしても難しいかもしれない。爆弾や増槽の代わりにロケットを括り付けて上昇という爆発的な案も出たが、そもそも高度1万メートルの成層圏では、姿勢を維持するだけでも大層難しいのである。
「それに……敵は皆が寝静まった頃にやってきた訳だろう」
飛行隊長の博田少佐が更なる難題を添加する。
「夜間の発着艦はただでさえ骨が折れる上、空中戦となると難易度は更に跳ね上がる。とはいえこれは電探偵察機対策に限った話でもないかもしれんな。我が軍でも夜間雷撃部隊が新編され、猛訓練に明け暮れているというし、米英軍が同じ戦術を使ってくる場合もあり得る。確か鳴門中佐もジブチ沖でそんな目に遭ったと言っておられたな……とすれば夜戦対策は必須かもしれん」
「あ、それでしたら、こいつが役立つかも」
佃は思い立ったように言うと、妙チクリンな缶詰を取り出した。
今時珍しい舶来品なのだろうか、蓋にローマ字で品目名が書かれている。ただ英語でもドイツ語でもないようで誰にも読めなかった。しかも缶が何故か膨らんでいて、怪しいことこの上ない。
「デンパ、何だそれは? というか、嫌な予感がする。果たして開けて大丈夫な代物なのだろうな?」
「抜山少佐にもらった缶詰ですし、問題ないと思います……ひっく。中身は北欧産のニシンで、食べると視力回復に良いとか。ヤツメウナギより効くかもしれません」
「ふゥむ……まあいい、男は度胸、何でも試してみるとするか。酒の肴になるかもしれんしな」
「じゃあ、自分が開けさせていただきます」
久我山が率先して缶詰を手に取った。衆人環視の中、開封の儀式がしめやかに執り行われる。
もしも士官室にノーベル賞に興味があったり、ボフォース社の兵器取扱書を読んだりした者がいたら、彼は全力で止めたに違いない。だが所詮は『天鷹』、そんな奇特な人間などいるはずもない。
言うまでもなく、缶の蓋に記されていた文字列は"SURSTRÖMMING"である。
そして阿鼻叫喚地獄が顕現して暫くした後、「大変だ、米軍が横須賀を空襲したッ!」と大慌ての士官がやってきたのだが……彼は普段なら機関室に次いで喧しいはずの室内がシンと静まり返り、しかも死屍累々となっているのにびっくり仰天。化学事故と勘違いして更なる騒動を巻き起こすこととなった。
本土が大変な時に、こんな調子で大丈夫か。諸々の報告を受けた高谷少将も、流石に閉口したようである。
次回は8月4日 18時頃に更新の予定です。
迎撃隊は奮戦するも、横須賀停泊中の航空母艦が次々と被弾していきます。
一方の『天鷹』はサイパン沖に。大変なものを開封してしまい、戦う前から被害を受けてしまっているようですが……果たして彼等は、この難局にどう立ち向かうのでしょうか?




