脅威! 青天の霹靂作戦②
マーシャル諸島:メジュロ環礁
純白の砂浜の脇に椰子の木の茂るそこは、まさに絵に描いたような南洋の島である。
火山の沈んだ跡とされる礁湖には、澄んだ海水が湛えられ、極彩色をした独特の生態系が広がる。そうした内地では見られぬ風景は観光にはもってこいと言えそうで、また波の穏やかさが故、船舶の停泊拠点としても最適だ。
だが防御拠点として機能させるには、これほど不向きな立地もあるまい。
何より地積が限られる上、地面を人の背丈ほども掘り返せば、すぐさま海水が滲み出てしまうのだ。お陰で地下陣地の構築は困難を極めた。現地製造の珊瑚コンクリートと、椰子の木を伐採して作った丸太でもって、俄作りの掩体やトーチカを建設するのがやっとというあり様なのである。
(だが……人員の防護はまだ楽か)
零戦隊の指揮官としてこの地に降り立って間もない笹本大尉は、司令室の窓より愛機を一瞥し、幾分険しい顔を浮かべる。
それを納めたるは簡素な無蓋掩体。爆弾の炸裂によって生じる破片に対し、辛うじて防御力を発揮できるかどうかの代物だ。つまるところ滑走路上にそのまま機体を並べておくよりはましといった程度。これが最前線の備えかと目を疑いたくもなるが、何もかもが不足する島嶼においてはこれが限界で、更に言うならば燃料庫や弾薬庫まで似たようなものだった。
なお恐るべき敵機動部隊は、間もなく来寇するものと見られている。
明朝、メジュロ島の東北東550海里を飛行していた索敵機が、米戦闘機パイロットと管制官が航空無線で喋るのを傍受したのだ。その辺りには島など存在しないから、航空母艦が接近しつつあることは明白。おおよその位置関係と速度からして、早ければ正午頃にも空襲が始まる可能性があった。
米海軍は当面、マーシャル諸島方面では一撃離脱戦法を採るものと見積もられてはいる。それでもメジュロ基地は空襲に対して著しく脆弱で、下手をすればその一撃だけで航空作戦の基盤を失ってしまいかねなかった。
「だからこそ、確実に先手を取らねばならぬ」
基地司令の山本大佐は同じく難しい表情で言い、
「先手必勝、攻撃は最大の防御だ。有力な機動部隊相手にそれを通用させるのは大変に難しいし、多くの犠牲も覚悟せねばならぬが、後手に回れば地上撃破の憂き目に遭うだけであろうからな」
「行うは難しですが、何とかやってみせます」
「苦労をかける。済まんな」
「ともかくもお任せを。空の上ならば負けたりはいたしません」
笹本は古兵らしく微笑み、飛行計画の確認を終えてから待機所へと戻る。
恐れを知らぬ武者の面をした部下達は、今日は厳しい戦いになりそうだと肌で察しつつ、何ともなさげに説明に耳を傾ける。心底美味そうに握り飯など頬張る彼等のうち、何割が明日を迎えられるのかは分からぬが、機動部隊に対する索敵攻撃という大任に、誰もが若き血潮を滾らせているようだった。
なお単座の戦闘機でもって索敵というのは、なかなか不可解に思えるかもしれない。
だが長駆進出する先は、大海原ばかりが延々と広がる中部太平洋。零戦隊が敵機と交戦状態に入ったと通報してきたならば、付近に敵空母がいるという推測が成立するから、そこに戦力を集中させるのである。
「見敵必殺の精神で敵直掩機を捕捉撃攘し、是が非でも後進のため血路を開け。先駆けたる諸君等の双肩に、作戦のすべてが懸かっているのだ」
「ええ。見事討ち果たしてきますぜ」
搭乗員達は訓示に腕を鳴らし、準備万端整った機体に飛び乗っていく。
そうして次々と滑走路を駆け、編隊を組み上げた零戦隊の勇姿を目にするや、笹本は堪えようのない安堵を覚えた。どんな結果に終わるにせよ、愛機を地上撃破されるよりは良いに決まっているからだ。
太平洋:マーシャル諸島沖
「新たな敵編隊を捉えた。スカイレンジャー隊、君達から見て二時方向に進んでくれ」
「スカイレンジャーリーダー了解。直ちに向かう」
歴戦のアスティア少佐は迎撃管制官の要請を受領し、その旨を麾下の7機に伝達する。
応答を確認するや操縦桿を手早く倒し、愛機のF6Fヘルキャットを旋回させる。蒼穹に描かれる白く整った飛行機雲。僚機の半分は新人だが、組んで長いグラント大尉が見事な教育的手腕を発揮してくれたお陰もあって、かなり動きが良くなっていた。あの慌てん坊がとも思うが、どん底から這い上がった者はいい指導教官になる。
「よし、今日もクールにいくぞ」
アスティアは自分を含めた全員に言い聞かせる。
実際それが死活的に重要だ。五感から得られる諸々を条件反射的に処理するのと並行して、管制官が断続的に伝えてくる情報を基に、彼我の位置関係を脳裏に描いていく。地上であれば容易にできることであっても、空の上での半分頭では途端に難しくなる。だからこそ熟練者が引率してやらねばならない。
そうしてエンジンの音高らかに、蒼穹を進むこと数分。
決闘の時間はすぐそこと気を引き締め、視力に可能な限り神経を割り当てる。目標のいそうな辺りを重点的に捜索。すると……真っ白な雲を背景に進む、天井のシミみたいなものが幾つか視認できた。機数は8もしくは9。高度はこちらがおよそ1000フィートほど優位と見積もられた。
「スカイレンジャー、そろそろ敵が見えるはずだ。どうだ?」
「たった今、確認した」
「オーケー、そのまま撃墜してくれ。なるべく手早く頼む」
「スカイレンジャーリーダー了解。任せてくれ」
管制との交信終了。アスティアは航空無線を中隊系に切り替える。
「これより勝負の時間だ。敵のケツを取る、全機ついてこい」
「了解」
元気のいい応答。満足とともにアスティアは愛機を増速させた。
次第に明瞭となっていく機影を横目に捉えつつ、操縦桿を軽く引き寄せる。右上昇旋回でもう少々の高度を稼いだ後、真後ろから一気に畳みかけんとする。
だが――相手もまた、それは重々承知であったらしい。
ようやくジークと分かった敵機は、宝石みたいに煌く何かを次々と落とし、フワリと舞い上がっていく。増槽を捨てたのだ。
「おッ、気取られたか」
アスティアは楽しそうに毒づき、真剣勝負に向けて愛機を吶喊させていった。
奇襲性は既になく、あるのは若干の優位のみ。それが何より気分を昂ぶらせた。相手は見張りを怠たることのない、確かな技量を有する連中と分かったからだ。強敵と渡り合うことを厭う者は戦闘機乗り失格。激烈なるエンジン音と加速度の中、見る者を魅了せんばかりの運動をする日の丸の翼を睨みつつ、航空無線の送話器を取った。
「各機、敵はエキスパートだ。だが俺等もそうだ。油断せず、落ち着いていくぞ」
迎撃管制官達が疲弊しつつあることは明らかだった。
第58任務部隊の旗艦たる航空母艦『フランクリン』は、最新鋭の電子装備を多数装備していた。だが計器に示された情報を読み取るのも、それらを総合して状況を判断するのも、命令を直掩機に口頭伝達するのも、他でもない人間なのである。専門的訓練を積んだ彼等は優秀だったが、能力の限界は間違いなく存在し、そこに近付けば近付くほどミスも増大していく。
そうした苦境を嘲笑うかのように、レーダーが新たな反応群を捉えた。
対象の速度や高度が大急ぎで算出され、戦況表示用のアクリルボードに情報が追記される。盤面は既に子供の落書きが如き様相。僚艦の『サン・ジャシント』からF6Fの飛行隊が緊急発進し、辛うじて手の空いた少尉が誘導を担当するも、これまでに蓄積した疲れからか、不幸にも見当違いの指示を出してしまう。
「あーッ、何やってんだもう」
「帯域を間違えるな、えらくジャムっちまってる」
窮屈な戦闘情報室に喧騒と怒号が満ちる。
その内奥に座するミッチャー中将は、泰然自若を装いつつも、混沌とし始めた戦況に僅かに眉を顰めた。
マーシャル諸島のあちこちに点在する航空基地から、日本軍機が襲来してきていた。
十数機前後の群れが四方八方から、五月雨式に接近してくるのだ。逐次投入というよりは分進合撃に近いと思われるそれは、第58任務部隊の迎撃管制能力を飽和しつつあったのである。
「しかも……敵はどいつもこいつもジークばかりと言うのか?」
「はい。そこら中で空中戦が勃発しております」
参謀長もまた当惑気味で、
「直掩隊は敵を押さえ込んではおりますが、合計80機近くが襲ってきたようで」
「忌々しいジュディやジルは?」
「ジュディが数機、確認されておるようです。ただこれらはジークどもの誘導機か何かであったようで、急降下爆撃に移る気配を見せてはおりません」
「なるほど、我々もやった手だ。これは拙いことになったかもしれんな」
ミッチャーは重苦しく呻く。
5隻の航空母艦を擁する第58任務部隊。その300機にも上る搭載機の半分ほどが、F6FやF4Uといった戦闘機によって占められている。まず日本軍機の作戦行動半径ぎりぎりの辺りをこれ見よがしに遊弋し、真っ先に襲い掛かってくるであろう長距離雷撃機を悉く返り討ちにした後、一気呵成に攻勢へと転じる計画だったのだ。
だが事前の予想に反し、やってきたのは零戦ばかりで構成された部隊だった。
事の真相を述べるならば、それはマーシャル諸島防衛に従事するはずの陸攻隊や陸爆隊が、ソロモン方面へと転進してしまったためでしかない。幾人かの基地司令が、索敵能力の不足を零戦隊で補っただけでしかない。それでも戦闘機ばかりが襲ってくるとは思わなかったミッチャーは、その確実な撃滅を期して直掩機多数の発艦を命じ、結果として第58任務部隊は厄介なファイター・スイープ戦に縺れ込まれてしまっていた。
追加で発艦させられる機体は底を突きつつあり、管制官達は依然として天手古舞。そうした厳然たる事実を改めて認識され、嫌な予感に冷や汗が頬を伝った。
「ただジークどもは最初から爆装していないか、迎撃戦闘と同時に爆弾を捨てたかしたようなので……艦隊を防衛するという意味では上手くいっていると言えそうです」
「参謀長、どうして敵が……」
これ以上やってこないと判断できるのか。そう続けようとした時だった。
「軽巡洋艦『パサデナ』より入電! 八時方向に新たな機影を視認、低空より急速接近中!」
「糞ッ、こいつらが敵の本隊か」
ミッチャーは思わず吐き捨てた。司令部要員の誰もが顔面蒼白となり、恐慌があちこちへと伝搬する。
プロペラが海面を叩くような高度から侵入してきた、信じ難い技量を誇る17機の天山。それらは猛烈なる対空砲火によって1ダースまで数を減らしながらも、磁石に吸い寄せられる砂鉄が如く輪形陣内に押し入り、一糸乱れぬ攻撃陣形を保って突撃してきた。
犠牲となったのは航空母艦『バンカーヒル』だった。
航空魚雷3発を立て続けに喰らい、更には被弾機の自爆攻撃によって艦長以下を喪った彼女がこの先生き残るには、かなりの幸運が必要となるに違いない。
次回は7月26日 18時頃に更新の予定です。
マーシャル沖第1ラウンドは日本海軍に軍配が上がりましたが……ところでハルゼーは何処にいるのでしょう?
ちなみに爆装していない戦闘機を用いた索敵攻撃は、機動部隊の大まかな位置を掴むため、天号作戦などで実際に行われていたようです。無論、戦闘機隊が航法を誤っていると、大変なことになってしまうのですが。




