脅威! 青天の霹靂作戦①
太平洋:トラック諸島沖
やたらと女絡みの問題を起こす陸奥大佐を見れば一目瞭然であるが、助平根性とは大変に厄介なものに違いない。
ガダルカナル島の海兵隊を物的人的に支援するべく、米海軍は高速輸送船やら護衛空母やらを動員していた。そのためソロモン方面に航空戦力を増派し、それらを片っ端から沈めてしまえないかとなったのだ。
絶対国防圏とは何だったのかと首を傾げたくもなるし、当初の陸海軍の確執を考えれば、まったく調子のいい話としか言えぬ。
高度な柔軟性を有しつつ臨機応変に対応とか言っておけば、まあ多少はそれらしく聞こえるのかもしれないが……つまるところひょんなことからガダルカナル救援が決まった挙句、それで妙な具合に戦果が挙がってしまったものだから、今度は戦果を拡張したくなったという行き当たりばったりである。
本来、米軍の来寇を厳に警戒していたマーシャル諸島方面に関しては、
「米水陸両用戦力はマダガスカルで1個師団が壊滅、ガ島にもう1個師団が展開しておるし、揚陸船団の主力は欧州だ」
「であれば流石の米軍といえど、これ以上の上陸作戦を同時に実行はできまい」
「機動部隊による襲撃は今後も予想されるが、一過性なものにしかならないだろう」
といった具合に、侵攻は数か月ほど遠のいたと判断されることとなった。
結果として発動することとなったのが、に号作戦である。
当然、いろは順から命名されたものであるのだが……名前からして二匹目の泥鰌を狙っているような雰囲気だ。陸奥ならろくでもない妄想を膨らませかねない。しかもトラックの燃料備蓄が心許ないからと、艦載機の半分と陸攻隊をソロモン方面へと展開させ、寺本中将麾下の陸軍飛行隊を巻き込んでの航空戦を実施するという内容となってしまった。
そして第七航空戦隊の高谷少将にとって不満なのは、例によって航空機輸送を押し付けられたことだ。
山口中将の叱咤でもって、多少は将官としての自覚が見えてきた訳ではあるが……面白くないものはやはり面白くない。敵機動部隊がマーシャル諸島に襲撃を仕掛けてくるなら、それを捕捉し撃滅するのが筋だろうと会議の場で彼は唸った。しかし聯合艦隊司令部からやってきた頭の切れる参謀に、一撃離脱的に行われるそれに対処するのは極めて困難、無為に燃料を消費するだけに終わると数量付きで捻じ伏せられてしまったからどうにもならぬ。
「ううむ……」
高谷は難しい顔をし、それから卓上に並べられた寿司を眺める。
整備科と銀蠅科を掛け持ちの困った下士官が、何時の間にやらこさえていた一本釣り装置。それでもって水揚げしたマグロを『天鷹』の飛行甲板で解体し、できたのがこの脂の滴るようなトロの握りである。彼は一度に2つ食べた。
「まったく、こんな調子でよいのだろうか?」
「特に問題はないかと」
同じく寿司を摘みつつ、どうにも捉えどころのない口調で答えるは、ヌケサクこと抜山主計少佐。
ペルシヤ湾で英仮装巡洋艦に体当たりされた後、あちこちを転々とし、また再び合流したのである。司令官室でしょうもない愚痴に付き合わされるのも、彼にとっては久方ぶりということだろうか。
「目下、連合国軍は欧州にかかり切りです。しかも今のところ勝負は五分といったところのようで、手持ちの地上兵力と航空戦力をとにかく注ぎ込み、突破を図っておると。とはいえドイツは並ぶものなき大陸軍国で、欧州大陸全域の人口や産業を動員できる。ここでヒ総統が二兎を追おうとさえしなければ、枢軸の勝機が見えてもきましょう」
「ドイツは友邦にして同盟国であるから、まあそこは頑張ってもらわねば困るが……」
高谷は首を傾げて思案し、
「とはいえヌケサク、欧州の戦場に正規空母は……ドイツやイタリヤがそれなりに艦隊を持っているとしても、英軍のと合わせて3隻か4隻あれば十分に違いない。兵隊が足りないから上陸作戦はできんのかもしれんが、再建なった海軍力をもって、太平洋のあちこちを荒らして回られたらどうする? 例えばトラック諸島近海に機動部隊を隠密裏に接近させ、今こそ真珠湾の仇討ちだとか何とか、ニミッツめがおっ始めるかもしれん」
「それは実際、懸念されてはおるようで」
抜山は粉末卵成形の握りを頬張った後、ノートを取り出してパラパラと捲り、
「実際ウェークやナウルに水上機や飛行艇を送って哨戒させておるとのこと。しかも一部は対水上電探を搭載した新型と」
「ヌケサク、相変わらず目聡いな」
「お褒めに与りまったく光栄です。ただ少将、米太平洋艦隊がかような大規模作戦を採る可能性は、現状ではまだ小さいとも見られておるようです」
「ほう、その心は?」
「無線をあれこれ傍受した結果、判明したそうなのですが……どうも米海軍は緒戦で大損害を被った後に戦力を急拡大させただけあって、将兵の練度がまるで追い付いていないのだと。真珠湾に集結しつつある大艦隊にしても、訓練も早々に配属させたものだから、まともな艦隊運動もやれないようなのがゴロゴロおるのだと」
「なるほど、そこは福永サンの見立て通りか」
高谷は少し前に目を通したイケイケドンドンな書籍を思い出し、
「だが米国は世論で動く国だ。しかもあと1か月くらいで大統領選挙をやるというのだろう? だったら準備ができてなかろうと、打って出てくる可能性も高まってくるんじゃないかね? 欧州上陸に成功したはいいが、苦戦続きで兵隊が大勢死んでおるとかでは選挙も盛り上がらんから、機動部隊でトラック諸島を空襲だとなるかもしれん。というか、俺ならそうする」
「ですのでまあ、蓋然性は小さいとしても備えているということでしょう」
「うむ。あのル大統領めには、是非ともそのように判断して欲しいところだ。そういう兆候が出てくれば、下らん作戦は中止してさっさと艦載機を回収するだろうし、他の陸上機部隊と協同して敵をボコボコにする絶好の機会となる。それにいい加減、『天鷹』にも立派な戦果を挙げさせてやりたいところであるしな」
高谷はバンカラ顏で意気込み、トロの握りをまたも2つ食べ、来るかも分からぬ海戦に想いを馳せる。
再び機動部隊指揮官として戦場へと赴きたいところだった。幾多の空襲を掻い潜りながら日の丸の翼を放ち、物量に驕れる敵機動部隊を痛撃、見事その航空母艦を撃沈するのである。第666海軍航空隊などという嫌がらせな部隊名に未だ憤る荒くれどもにしても、ここで奮戦して結果を残しさえすせば、その程度が何だと思うようになるやもしれぬ。
(だが……)
高谷はそこでハッとなり、自らを厳に戒める。
良くも悪くも『天鷹』乗組員は身内である。はみ出し者や鼻つまみ者の集団ではあるが、一蓮托生の大家族の如きものである。しかし機動部隊指揮官というのは、海軍一般の艦艇をも統率する存在に他ならない。そこに甘えがあったとは言わぬとしても、従来のやり方を踏襲するだけで済まぬのは確かである。
ならば――改めて仁義を切っていかねばなるまい。妙な静けさが室内に満ちる中、抜山が寿司を平らげながら奇異の目で眺めてくるのを無視しつつ、高谷は決意を反芻する。
ただそうした沈黙は、変則的な形で破られることとなった。
弱々しい声で「失礼します」と入室してきたのは、まったくもって意外な人物。豪州沖で奇跡的な操艦を披露した直後にぶっ倒れ、頭を強打したからか暫くアーパーになり、挙句マラリヤにまで罹ってしまった航海長の鳴門中佐である。流石にトロにつられて現れたという風でもない。
「メイロ、安静にしておれと言ったろ。迷路ならぬ冥土に行く心算か?」
「少将、ともかくもこれをご覧ください」
鳴門は真っ青な顔をしながら、尚も原稿の束を見せつけてきた。
ただ大声を張り上げたところで精根が尽きたのか、彼は途端に白目を剥き、思い切りその場に崩れ落ちてしまった。あれこれと記された用紙が床面にばら撒かれる。
「おい、しっかりしろ」
流石の高谷もびっくりし、急ぎ衛生兵を呼んで介抱させた。
マラリヤは死に至る病であるというのに、どうして治療薬を飲んで大人しくしていられぬのか。まずそう思いはしたものの、次に鳴門が病身を押してまで何を記していたのかが気にかかる。そうして従兵が拾い上げ終えた原稿を受け取り、内容をさらりと一瞥してみると……これがとんでもない代物だった。
「何だァ、こりゃあ……たまげたな」
露ほども悪い意味でなく、高谷は唸らざるを得なかった。
彼は度重なる急降下爆撃を悉く回避してみせた鳴門に、今後の戦闘のためにも、頭とマラリヤが治ったら操艦のコツを文章に起こせと命じていた。その命令は一部が無視され、瞠目に値する成果物が早々に出来上がってしまったようである。
次回は7月23日 18時頃に更新の予定です。
米軍の反攻もいよいよ間近か……というところで、聯合艦隊が妙なことを始めています。そんな作戦で大丈夫か!?
ところで文章を書いていて、私も脂のしたたるようなトロマグロスシを一度に2つ食べたくなりました。




