風雲ガダルカナル③
ソロモン海:ウッドラーク島沖
「ううむ……まったくもってよろしくない状況だ」
航空母艦『天鷹』の艦橋にて、高谷少将は海図をジッと睨みつけながら唸る。
少し前にこの辺りで飛行場を襲い、辻斬りめいて輸送船を沈めるなどしていた米快速機動部隊。その撃破を目的として出撃した訳であるが……トラックを出て1週間が経過したにもかかわらず、依然として哨戒網にかからぬのである。
すると憤怒のマグマを溜め込んでいた荒くれ飛行機乗りどもが、またもやドカンと噴火したりする。
まったくはた迷惑なことこの上ない。とはいえ腕力で無理に抑え込むだけでは駄目なのは明白だ。戦になれば一心不乱に敵を叩けばいいのだから、さっさと敵が出てこないものかと思い悩んでいたのだが……思い切りそれに水を差す言葉が飛び出してきた。
「その、敵機動部隊ですが……正直なところ、出てこないと思いますよ」
「おいメイロ、それは困るぞ」
鳴門中佐の茫洋とした推測に、高谷は随分戸惑った顔をする。
「いったい何故、そんな結論になる?」
「相手は軽空母2隻の、チンケというか軽便な部隊でしょう? こちらは数は同じで、3万トンの空母が主力ですから、そりゃあ正面切っての戦闘など望まんのではないかと。で、我々が任務に飽きて帰ったら、またぞろ出てきて乱暴狼藉を働くと」
「つまり何だ、今回はまったくの無駄足だったという訳か?」
「軍艦はそこに存在するだけでも十分な効果があると言うものです」
今度は艦長の陸奥大佐が口を挟む。
続けて心底下らぬ喩え話を付け加えそうな雰囲気だったので、鋭利な視線を投げつけて黙らせた。
ただ敵将ニミッツの立場と考えると、有利でないと悟ったら逃げるというのは合理的なのかもしれなかった。
元々の工業力からして、時間が米国の味方であるのは言うまでもない。それに毎度トラックの燃料事情と格闘せねばならぬ聯合艦隊と違い、米太平洋艦隊は好きなだけ重油を使えるようである。となれば出てくるとしたら、所在不明のエセックス級2隻が加わるなど十分な勝ち目があると断じた時で、幾ら無鉄砲で向こう見ずな高谷とて、不利な戦を独力でやりたいとは思わない。
(いや待て、そういうことなのか?)
あまりない知恵を高谷は巡らせ、一応の結論に行き着く。
敵が快速機動部隊のみであればそれを叩き潰せばよいし、エセックス級まで現れるようであれば、第三航空艦隊主力も出撃して大海戦になるだろう。前者はもはやあり得なさそうだから、後者に持っていくのがよい。とすれば……。
「そうだ、豪州へ行こう」
「はい!?」
「豪州だ。当然、爆撃しに行くという訳だ。ガダルカナルには近付くなと言われたが、豪州に近付くなとは言われておらん。だったらやってやればいい。敵機動部隊を誘引するための行動をしろとあるから名目も立つし、実際出てくるかもしれんしな」
まったく行き当たりばったり思考回路もあったものである。
しかも周囲の佐官達が唖然とするのを、肯定を意味する沈黙と解釈してしまうから手に負えない。
「よし、そうと決まれば善は急げだ。メイロ、早速だが艦隊の航海計画を作ってこい。ああそれに……ポートモレスビーには陸軍の航空隊が展開しておるらしいから、いっそのことそちらと合同作戦にしちまうのもいいかもしれんな」
ヌーメア:第三艦隊司令部
「ええッ、真珠湾に戻れというのですか!?」
決定を聞かされるや、クラーク少将は目を剥いた。
おかしな話だと真っ先に思った。ガダルカナル島の海兵師団は、日本軍の組織的夜襲を何とか凌ぎはした。とはいえソロモン諸島沖を食中毒空母を中心とする艦隊が遊弋するなど、依然として予断を許さない状況であるはずだった。
だが第三艦隊司令長官たるハルゼー大将は、間違いなくそうだと厳かに告げた。
しかも更に続きがあった。クラークが指揮していた快速機動部隊の『ベローウッド』、『クラウンポイント』だけでなく、エセックス級の『フランクリン』や歴戦の『エンタープライズ』まで一旦引き上げるという、驚くべき内容だったのである。
「これでは南太平洋はガラ空きではありませんか」
「案ずるな。そこは解決済みだ」
ハルゼーは鼻を鳴らし、参謀に詳細を話させる。
海兵隊が守り抜いたガダルカナル島の飛行場の天気は、概ね晴れ時々雨、ところにより榴弾といった具合ではあるらしいが、既に50機もの戦闘機が展開しているという。ちょっと東にあるマキラなる島に建設中の滑走路と合わせれば、航空戦力は倍になるとの計算で、ラバウルやブーゲンビルの日本軍機にも十分対抗可能になる見通しだった。
更に鉄底海峡に向け、護衛空母9隻と標準戦艦4隻を中心とする艦隊が既に向かったとのこと。鈍足の艦が多いので攻めるには適さないが、防衛ならば問題なかろうとの判断だ。
「加えて陸軍の爆撃隊がソロモン一帯とニューギニアの各地を吹き飛ばしまくっている。これで上手くやれんのなら、そいつは脳味噌の代わりに糠味噌が入っておる」
「なるほど、了解いたしました。しかし食中毒空母が気にかかります」
「実を言うと、俺もだ。早くあの腐れあばずれ空母を沈めてやりたくて仕方がない」
ハルゼーは一切の疑念を抱かせぬ声色で言い、拳を握ったりもする。
それから彼はまた参謀を一瞥し、以心伝心した後に向き直る。打って変わって、後生大事に抱えていた秘密を打ち明ける悪童が如き面持ちとなっていた。
「とはいえ忘れてはならぬのは、急ぐとゴミになるという諺だ。忌々しいジャップ言語にも、似た意味の言い回しがあるらしい。まあこれから何が始まるか、こいつを見たら一目瞭然だろう」
「では……謹んで拝見いたします」
クラークは参謀から書類の束を受け取り、パラパラと捲る。
刹那。好戦的なるその顔立ちが奮えた。ハルゼーもしてやったりとばかりの微笑みを、それから百獣王が如き獰猛さを、歴戦のシワが刻まれた相に湛えていた。
ラバウル:第八方面軍司令部
今村中将は、第八方面軍の参謀達は、どうすべきか考え倦ねていた。
苦境に立たされているガダルカナル島の第2師団に、何とかして救援を送りたいところである。しかし海軍の協力がなければ飛んで火に入る夏の虫という状況で、しかもそれが得られそうにないのであった。
「持久戦といいながら突撃して大損害とか、馬鹿でしょ……」
「確か輸送作戦は不要との話でしたよね?」
かような心ない言葉ばかりで、まったく嫌になってくる。
言い分は海軍に大いにある。それは間違いないし、確かに陸軍の失点以外の何物でもない。だが同じく陛下の赤子たる将兵が、孤島で歯を食いしばりながら戦っているのである。それを踏まえぬかのような態度には業腹だった。
またそうした心情は、同期がまさに第2師団という少佐にとっては、より切実なものだった。
問題はそれが悪い方向に作用したことだ。必死に頼み込みに行った彼は、海軍の佐官どもが赤誠を踏み躙って芸者遊びに赴こうとするのに憤り、遂には暴力沙汰を起こしてしまった。何とか有耶無耶にしはしたものの、関係は拗れる一方の八方塞がり。
「やはりここは無理にでも『あきつ丸』で……」
「駄目だ駄目だ、成功率が低過ぎる。自殺行為にしかならん」
「なら第2師団を見捨てよと言うのか」
会議は紛糾し、ただ不運と踊っているばかり。
そうした喧々囂々の中、怯え切った表情の伝令がやってきて、急を要する電話が入ったと伝えてきた。相手は第四航空軍司令官の寺本中将。一向に進捗せぬ論判に心的な見切りを付けつつ、今村は受話しに向かう。ゲリラが度々切断してくるとはいえ、ラバウルとポートモレスビーの間で有線通信ができるというのは大変に助かる。
「今村だ。寺本君、何があったかね?」
「先程こちらに海軍機が着陸しまして。『天鷹』の機体です。便乗しとった参謀が、何でも豪州爆撃をやりたいから協力しろと」
「うん、豪州爆撃だと……?」
この状況で何を言い出すかと思えば。聞いた当初、今村は強烈に眉を顰めた。
だが次の瞬間、脳裏に電撃が走った。それまで大いに頭を悩ませていたものが一気に吹き飛び、綺麗に晴れ渡っていくのを感じた。それから孤島にて奮戦する将兵の歓喜に咽ぶ姿が、ありありと幻視された。
そして我が意を得たりとばかりの声が、遠くポートモレスビーより聞こえてくる。
「まさしくこれは、天佑神助ではないかと」
「いや、そこは"天鷹人助"だろう」
今村は幾分の余裕を得、冗談を口にする。
祈祷の類が通じるか分からぬ神仏より、今甘寧なる少将に率いられし機動部隊の方が遥かにありがたかった。しかもそれが絶好の位置にいようとは。
「ともかくも第四航空軍は高谷機動部隊に全面協力し、作戦準備を大至急整えてもらいたい。ここが正念場となりそうだからな」
次回は6月23日 18時頃に更新の予定です。
高谷少将がまた余計なことを思い付き、しかも行動に移してしまいました。
しかもガダルカナル島の情勢に頭を悩ませている陸軍まで、何故か豪州爆撃作戦に乗り気というあり様。いったい何を考えているのやら。




