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風雲ガダルカナル①

ガダルカナル島:ルンガ飛行場付近



「突撃、突撃ィ! 米兵を海に追い落とせ!」


「天皇陛下万歳!」


 凄まじいまでの鬨の声が、闇夜の静寂をあっという間に吹き飛ばす。

 陸軍第2師団が伝統的に得手とする、組織的夜襲が開始されたのだ。それはまったく伊達なものではなかった。昭和17年の末よりガダルカナル島に駐留していた同師団の夜襲部隊は、地形をよく把握し熱帯性気候にも慣熟していたこともあり、1つの大隊も欠けることなく発起点に着いていたのだから。


「一気呵成に突っ込んで、アメ公の飛行機を奪ってやろうぞ!」


 時を同じくして吶喊を始めた将兵の中には、大言壮語を憚らぬ屈強な軍曹の姿もあった。

 そうした台詞に表れている通り、野戦砲や急造ロケット砲による支援を受けながら彼等が目指すは、星条旗が翻りしルンガ飛行場。ベニヤ製の囮機ばかりが置かれていたそこは、言ってみれば撒き餌として機能するはずだった。上陸作戦に際しては敵部隊が真っ先に向かってくるであろうから、多数の地雷と仕掛け罠、決死部隊による果敢な防衛戦闘によって出血を強要する。更に仕上げとして工兵に滑走路を徹底的に爆破させることで、大損害に見合った成果は何も得られないといった状況に米軍を追い込む――概ねそんな手筈だったのだ。


 実のところを言うなら、それは十分に目論見通りに進んだ。

 唯一問題があったとすれば、米機械化力が予想を大きく上回っていたことだろう。堂々と浜辺に突っ込んできた揚陸艦の前扉から、戦車とともに多数の重機が湧いて出て、あっという間に修復作業を開始してしまった。砲兵による妨害も行われたが焼け石に水で、上陸戦開始から10日ほどで戦闘機が着陸する始末。少なくとも1か月は飛行場は使えまいという事前の見積もりは、現実の前に脆くも崩れてしまったのである。

 そして第2師団を率いる岡崎中将はすぐさま夜襲実施を決断した。ガダルカナル島においては長期持久が至上命題であったとはいえ、米制空権が盤石となってしまっては足許が覚束ないとの考えだった。


「ここで米軍機を焼き討てば、当面あそこには降りなくなろう」


「もはや決まったようなものですな」


 部下の勇戦を見守るばかりとなった岡崎に、参謀長が追従する。

 組織的な夜戦を行い得る師団など、世界広しといえど数少なく、それに対処できる部隊についても同様に違いない。事実、大陸戦線ではそうやって勝ってきたのだ。


「栄光の仙台師団史に、また新たなる……えッ!?」


 参謀長が途端に目を剥き、岡崎もそれに続いた。

 世界が急激に明るみ始めていた。空に次々と打ち上げられた星弾が、幽鬼の如く不気味な青白光を煌々と放ち、高級将校達の顏もまたその色に染まっていく。





ブーゲンビル島:ブイン飛行場



「空襲、空襲!」


 監視哨にあった兵が叫び、ガンガン喧しく鐘を鳴らす。

 とはいえその対応は遅きに失したと言う他ない。電探の覆域を避けて低空より侵入してきた敵機は、既に目と鼻の先にまで迫っていたのだから。


 それから間もなく。デップリとした体躯の憎たらしいグラマンの群れが、滑走路に向かって緩降下し始める。

 真っ先に標的とされたのは、陸軍飛行第50戦隊に所属する12機の疾風。熾烈なる地上戦闘を続けているガダルカナル島の友軍を支援するべく、出撃しようとしていたところを狙われた形だった。指揮所に急ぎ掲げられるは、当然ながら離陸中止を意味する旗旒。


「糞、やられたッ」


 既に古参の蔭山大尉は毒づきながらもは愛機から飛び降り、


「間に合わん、退避しろ!」


「さっさと降りて壕まで走れ!」


 否が応でも恐怖感を増幅させる発動音が接近する中、機上の部下に向かって大声で怒鳴る。

 戦場で長く生き延びてきた下士官などは、言われるまでもなくその通りにしていた。だが経験の浅い者ほど、こういう場合の反応と諦めが悪い。蔭山は改めてもう一度声を張り上げた後、防空壕の入口まで全速力で駆け抜けたが、そこで振り返ってみたところ、無理矢理にでも離陸しようとする1機の姿が目に飛び込んできた。


「山根、何してる!」


「さっさと飛び降りろ!」


 戦友一同の声も虚しく、山根という飛行兵の乗る機はノロノロと滑走し続ける。

 米軍からすれば、いい獲物以外の何物でもなかっただろう。胴体に妙チクリンなネズミの絵を描いたグラマンが、疾風に向けて50口径弾を雨霰と浴びせかける。戦闘機2、3機分の国家予算でもって丹念に育成されたはずの若輩者は、その本領を発揮する前に愛機と運命を共にすることとなった。


 そしてそれを皮切りに、数十ものグラマンがブイン飛行場のあちこちを攻撃し始めた。

 発射されたロケット弾が次々と爆ぜ、滑走路上にあった疾風は次から次へと炎上していく。皆、空に上がってさえいれば負けないはずだった。だが地を這うしかなくなった航空従事者達にできたのは、悔し涙を飲んだり復仇を誓ったりすることくらいでしかない。


「ありゃあ、艦載機だよな……近くに敵空母がいるんだろうか?」


「恐らくな。海軍の奴等、何をボケっとしてやがる」


 下士官達の忌々しげなる声が耳朶を震わせる。

 思い返してみればこの飛行場は、元々は海軍航空隊の基地であったはずだ。彼等はいったい何処へ消えてしまったのだろうか。かような具合に訝しんだ蔭山は、何とも悍ましい可能性に行き着いた。


「まさか海軍の奴等、ソロモン諸島を見捨てたんじゃないだろうか?」





トラック諸島:航空母艦『赤城』



 このところトラック諸島には、結構な数の航空母艦がやってきていた。

 真珠湾攻撃以来の古強者たる『赤城』と『飛龍』、改装を終えて戦列に加わった『千歳』、『千代田』といった具合である。先月中旬にウェーク島が艦載機多数による空襲を受け、次はいよいよマーシャル諸島ではとの見方が一気に広がった。そうした関係で、第三航空艦隊司令長官の多聞丸こと山口中将の下に戦力が集められていたのである。


 ただマーシャル諸島での邀撃作戦をやるには、それでもまったく不十分と山口は見積もっていた。

 米海軍は5隻ものエセックス級航空母艦を基幹とする機動部隊を編成し、真珠湾を根拠地として積極的に活動させているようだった。こちらの戦力を温存しつつ、敵戦力を削れ。そんな都合のよい作戦をやれというなら、基地航空隊との連携を考慮に入れたとしても、最低でも翔鶴型の2隻を追加してもらわねばならないとの計算である。


「本土防衛というが、敵機動部隊に空襲はされても上陸はありえん」


「そちらこそ基地航空隊でどうにかして、こちらに空母を全部寄越したらどうなんだ」


 かような臆面もない要望を受け、聯合艦隊司令部は増援を約束した。

 もっともトラック回航を命じられた航空母艦は、悪名高き『天鷹』ただ1隻である。続々量産中の雲龍型の就役に備え、航空隊の錬成をやらねばならぬとのことだが、嫌がらせに見えてしまって仕方がない。


 加えてそれに前後して、米軍は予想外のガダルカナル島上陸をやってのけた。

 第七航空戦隊司令官の高谷少将といったら、絵に描いたようなバンカラ提督である。海軍の問題児だとか恥晒しだとか陰口を叩かれまくっている。そんな人物がこのような状況で何を言い出すかなど、火を見るより明らかだった。


「ともかく本格的な反攻が始まったというのだろう。ならば早急に叩き潰し、思い切りその出鼻を挫いてやらなければ拙いだろう。敵機動部隊も遊弋しておるそうだから、兵力の出し惜しみは禁物。だのに何を悠長なことを言っておるんだ」


「ええい喧しい。貴様な、そうやってダミ声を出すんじゃない」


 鬼神に迫る剣幕の高谷少将に対し、山口は心底うんざりといった顔をする。

 同じく海兵40期かつ剣道仲間ということもあって、貴様と俺の関係だが、卒業席次はまさに天と地。名ばかり航空戦隊を任されているだけの誰かとは、背負っているものの重みが違う。


「それから昔から言っとるが、話は最後まで聞け。貴様の役目は、まさにガダルカナル作戦の露払いだ」


「おお、まことか? これは済まぬことをした」


「貴様は済まぬことだらけだが……まあいい。ブチ、内容を説明してやれ」


 山口に請われて文書を取り出したのは、航空参謀の淵田美津雄中佐だった。

 真珠湾作戦において第一次攻撃隊を率い、有名なトラトラトラの打電をしたことで知られる、生ける英雄のような男だ。飛行機を操縦した経験が無免許運転の1回こっきりな高谷は、これまた引け目を感じてしまうのだ。


 ただ説明を聞いているうちに闘志がモリモリ湧いてきて、下らぬ鬱屈は吹っ飛んだ。

 かつて望んだとおりの任務、つまるところ南太平洋での敵空母討伐作戦だったためである。ガダルカナル島への補給や増援の遮断を目論んでか、このところ米快速機動部隊がソロモン諸島沖で跳梁跋扈しているという。酷い時には内南洋最南端のカピンガマランギ環礁沖まで進出し、船団を襲撃しすらしたとのこと。つまるところ、それらを追い払うなりコテンパンに叩き潰すなりしてこいという訳だった。


「そのための戦力として、第十戦隊および『海鷹』を回します。『海鷹』は明後日、到着する予定です」


「まあ、遂に名ばかり航空戦隊の汚名返上って訳だ」


 淵田の説明を山口がチョイと捕捉し、


「どうだ、これでちっとは機嫌も治ったか?」


「いやはや、既に武者震いがしてきた」


「露払いであるから、深追いは禁物だぞ。後で合力してガダルカナルを叩く際、その前に沈んでいましたでは困るからな」


「無論、それくらい承知の上よ」


 本当に理解したのか怪しい限りだが、高谷は本当に上機嫌。力余ってカップの取っ手を粉砕するほどだ。

 それから必ずや米快速機動部隊を撃ち破り、ガダルカナル島救援の魁とならんと宣言した。戦力の分散はまさに愚の骨頂。そうニミッツめに教えてやるのだと壮語し、喜び勇んで『天鷹』へと帰ってゆく。


「しかし中将、よろしかったのでしょうか?」 


「言いたいことは分かる。だがあいつはあの通り竹を割ったような性格だ、上手く言い包めておかんとどうにもならん」


 淵田の呈する疑義に、山口は困惑げな面持ちで答える。

 実のところ第三航空艦隊としては、ヌーメアに停泊中のエセックス級空母を『天鷹』が釣り上げた場合にはその撃滅を図る心算であったが、ガダルカナル作戦に関してはやる心算などなかったのである。聯合艦隊司令部が依然としてマーシャル方面および機動部隊同士の決戦を重視しているが故で、更には同島の扱いを巡って陸軍と一悶着あったためでもあった。


 ただそれでも高谷の直情径行な人柄を、幾人かには見習って欲しいと山口は思う。

 大所高所から物事を判断するに当たっては、局地の情勢に囚われてはならない。それは紛れもない事実としても……謀を巡らせているうちに頭が最前線から完全に遊離してしまう困ったのが、存在することを認めざるを得ないからである。

次回は6月17日 18時頃に更新の予定です。


史実と比べてほぼ2年遅れで、米軍がガダルカナル島に上陸を開始しました。

陸軍第2師団は米軍など鎧袖一触と思いきや手痛い反撃を食らい、海軍は米機動部隊の撃滅にしか興味がないなど、足並みが乱れまくっています。果たしてどうなってしまうのやら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 磐石の米軍はやっぱり怖いなぁ…… 周囲の島の基地群も襲撃を受けているし餓島は早々に放棄になりそう [気になる点] トラック島に艦隊が輸送艦も含めて集結してましたが…… いよいよ、絶対国防圏…
[良い点] ガダルカナル帰りの人の講話を聞いたことがあるんですが、最大の敵は虫と有線マイクロフォンだったそうです。 殆どの人が虫でやられ、飢えに耐えかねて米軍陣地に近づくと有線マイクロフォンで察知され…
[良い点] 多聞丸を閉口させる高谷少将どんだけ(汗) 丸め込まれちゃいましたが、天鷹と海鷹合わせても主力艦撃沈はちょっと厳しいか。 [気になる点] 天鷹が史実艦を沈めるのはちょっと無理かもしれませんが…
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